TAZAN-NO-ISHI

「他山の石」で軌道修正しながら
 真の幸せにつながる言葉を
 メモってゆきたい

<天界か地獄か>

2024-01-28 | 新教会短信
 ▼天界の秘義2335  自分を罪に定めるものは人間自身である。何故なら彼は善をしりぞけるからである。彼は、身体の生命の中で善を避けたように、他生でも善を避ける。したがって天界と主を避けるのである。

 ▼天界の秘義5851  同じ霊が絶えず同じ人間と共に居るのではなく、その人の状態、即ちその情愛の状態に従って、又はその愛と目的の状態に従って交代し、前の者が退くと、他の者がそれを承け継ぐのである。一般に、人間と共に居る霊は、その人自身に似た性質の霊である。貪欲な者には貪欲な霊が居り、高慢な者には高慢な霊が居る。復讐を望む者にはそうした性格の霊が居り、詐欺を働く者には同じような霊が居るのである。人は自らの生活に応じて地獄から霊を呼び寄せるのである。】

決定権は、個人の自由に委ねられているとは言え
一度きりの現世が永遠の生活を左右するからには
とにもかくにも腰を据えて、考えねばなるまい。
  /隣人語録より


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<孤独>

2024-01-24 | 道しるべ
【 『孤独を嫌悪したり恐れたりする勿れ。孤独な時は自由であるばかりでなく、人生の真髄を知るためには絶対に必要だと言われている。』 作者不詳 】

孤独って惨めなものですが
自由であるとは気づきませんでした。
お言葉ありがとうございます。
  /隣人語録より


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<永遠に生きる>

2024-01-13 | 新教会短信
【 ▼新エルサレムと教義239  人間の生命は死後も変わることは出来ない。それは生命の状態のままにとどまっている。なぜなら人間の霊の性質は、あらゆる点でその愛の性質と同一であり、地獄の愛は天界の愛には決して書き写されることは出来ないからである。それはその二つのものは相反しているためである(ルカ福音書16:26)。このことから地獄にいる者は永遠にそこに留まり、天界に入る者は永遠にそこに留まることが明白である。】

何といっても、人間の生命が
永遠である事はありがたい。

しかし、心の状態は
この世の生き方で決まる。
つまり自己改革のチャンスは
現世しかないわけです。
恥多き生活からは脱皮しておきたい。
  /隣人語録より


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