TAZAN-NO-ISHI

「他山の石」で軌道修正しながら
 真の幸せにつながる言葉を
 メモってゆきたい

<来世観>

2019-12-02 | 新教会短信
★【 ▼黙示録講解659:1  「埋葬されること」は、聖言では目覚めること又は復活することを意味する。それは人間は死んで葬られるとき、彼は目覚める、又は永遠の生命に蘇るためである。何故なら人間は死後、この世で生きていた時と同様に生き続けるが、自然界で人間に役立った物質的な身体を脱ぎ去り、霊的な身体の中でその生命を生き続けるからである。それゆえ埋葬は、彼が自然界で持ち回った言わば抜け殻を捨て去ることでしかない。
 ▼天界の秘義10229  人間は、人間自身からは悪以外には何ごとも考えない。なぜなら、人間は自分のためでない限り、神についても、また隣人にたいする善についても、天界と永遠の生命についてさえも考えようとしないし、ただこの世と世の生活のことだけしか考えないからである。
 人間はこのような状態にいる限り、その人の下にあるものから考え、上にあるものからは考えない。かくてその人は地獄から考え、天界からは考えないのである。それで人間は善であることを考えるためには、天界から考えなくてはならない。従って その心が天界へ挙げられなくてはならない。このことは、専ら聖言からの真理により行われるのである。なぜなら、聖言の諸真理が神の何であるか、隣人の何であるかを、天界に永遠の生命が存在することを、とくに愛のなんであるかを、また善の何であるかを教えるからである。
 これらの諸真理が心に入ると、その人の内部は自己の上に挙げられ、自己の下にあるものから引き取られ、かくて地獄から引き揚げられるのである。このように悪から浄められ遠ざけられることは、すべて諸真理によって行われるのである。
 ▼天界の秘義9709  内なる人が閉ざされている人には、内なる人の存在することや、天界や永遠の生命のあることが解らない。そして可笑しなことには、それにもかかわらず、彼らは他人よりも自分が賢いと思っている。これは、彼らは自分と自分自身に属しているものを愛し、又それらを崇めているためである。/スウェデンボルグ著】


行先を知らずに
目標を定めることは
ナンセンスであろう。
あの世が近くなってはじめて
死後世界の実在を教わった。

その教えによると
われわれ世人はみな
人生の方向を見失ない
滅びに向かって
爆進しているようだ。

「主と共なる 永遠の生命(活)」こそが
進むべき道
真の方向だったのだ。
今からでも遅くない
真人間の道を選びとらねば…。
  /隣人語録より

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コメント
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