TAZAN-NO-ISHI

「他山の石」で軌道修正しながら
 真の幸せにつながる言葉を
 メモってゆきたい

<臨在と来臨>

2020-11-26 | 新教会短信
★【▼真のキリスト教774 主は、善人悪人を問わず、全ての人のもとに臨在しておられる。なぜなら主の臨在なしには、人間は誰ひとり存在し得ないからである。しかし、主が来臨(側近く到来)されるのは、主を受け入れ、つまり主を信じその戒めを守る人たちだけである。
 主の絶え間ない臨在は、人間を合理的に且つ霊的にする。これらのことは、霊界の太陽からのように主から発出する光が人間の理性に及ぼす結果である。なぜなら、この光は真理であり、人間はこの真理によって合理性を持つようになるからである。しかし主の来臨は、その光に熱を結合される…即ち真理に愛を結合させる人たちに到来される。何故なら、霊的な太陽から発出する熱は神への愛と隣人に対する愛だからである。
 主の臨在とそこから生ずる理性の照らしは、熱と結合しない限り生命を維持することの出来ない太陽の光に例えられよう。然し、主の来臨は熱の高まる春暖の状態に例えることができよう、春が来ると光は熱と結合するので地は柔らげられ、種は発芽し、草木は実を結ぶ。このように、人間の霊の霊的環境と人間の身体の自然的環境は類似している。】


人間は誰ひとり自分の意志で
此の世に誕生した者はいない。

「命は主のものであり、人間は
 その命を受ける器にすぎない。」
とのことを知らされたとき
超ショックだった
のを思い出す。

主の臨在とは、
その命を宿している状態である。
主を心に迎え、その教えに
従う人々にのみ到来することが
主の「来臨」なのだ。

今からでも遅くない。
主の来臨を待ち望むに
相応しい生き方をしたいと
祈念している。
  /隣人語録より
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コメント
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