唯物論者

唯物論の再構築

霊魂

2011-05-29 15:42:03 | 各論

 観念論、特に霊能者たちによる宗教との関係で唯物論がしばしば提示させられる話題に、霊魂や霊界の存在がある。霊魂とは肉体を離れた意識であり、霊界とは物質世界を離れた霊魂の世界である。この霊魂の代表格が神である。ここで言う神は、人間と無縁に独自の法則で動く存在ではない。神をそのようにみなす場合、それは神ではない。そのような神は、せいぜい鯨や象のように人間と無関係の単なる異種生命体である。また神が善人に対立するのであれば、それは神ではなく、単なる悪霊である。したがって神は、善人の保護者、それも無謬の完全者として定義される必要がある。聖霊たちを含めこのような神たちは、旧世界での倫理の実現にある程度の役割を果してきた。ただし現代世界でのそれらの存在は、むしろ倫理に反した存在になりつつある。

[霊魂の存在についての一般的反論]
 霊魂を非存在と扱う場合、文字通り霊魂は存在しないことになる。したがって霊魂を存在させるためには、霊魂を存在として扱わなければならない。そして存在には、次の二種類しかない、感覚を通じて直観される存在、および悟性を通じて概念される存在である。
 前者の感覚を通じて直観される存在は、物質である。視覚や聴覚などの感覚は、感覚器に対する物体運動の結果でしかない。後者の悟性を通じて概念される存在は、観念である。観念は、感覚器に対する物体運動の結果ではない。しかし観念の起源には、物体の感覚が必要である。物体の感覚を起源としない観念とは、事実に基づかない単なる虚偽であり、意識の創作物にすぎない。また概念化される物体の感覚も、文法規則に従っている必要がある。そうではない物体の感覚は、概念として成立しない。したがって霊魂が存在するためには、とにかく最初に霊魂の感覚が必要となる。そこで次に考えるべきなのは、霊魂の感覚の可能性である。

 物理とは物質の運動法則である。物理において物質の運動を規定するのも、やはり物質である。もし非物質が物質の運動を規定すると、物体が原因もなしに運動方向を変え、理由もなしに停止することになる。そのような事態は、慣性法則やエネルギー保存則を否定するものである。この不合理を避けるために、物理は非物質が物質の運動を規定するのを拒否する。したがって物理では、意識が物体の運動方向を変えるために、手や道具などの意識にとって随意な物体が媒介者として必要となる。逆に霊魂にとっても自らを表現をするために、手や道具を代替する随意な物体を媒介者として必要とする。つまり霊魂を単なる非物質に扱う限り、生者は霊魂を感覚することも、物理手段を通じて霊魂の存在を検証することもできない。また霊魂にしても、いかなる物体運動にも関与できない。つまり自らの存在を生者に感覚させることも、物体を通じて自らの存在を表現することもできない。
 このことから霊魂を感覚するために、最初の定義を翻して、霊魂を物質に扱う必要がある。そうすれば霊魂は、物理に従う形で、生者の感覚を通じて生者と情報連繋できるようになる。しかし霊魂を物質に扱うと、霊魂の説明に一つの困難が生じる。それは、霊魂が肉体とは別の物質的基体をもつことである。
 霊魂は肉体的な死を迎えると、最初の物質的基体、つまり肉体を離れると思われている。霊魂を物質に扱うと、死後の霊魂は肉体と別の物質的基体に転じなければいけない。それは霊魂の二度目の死を可能にする。そして霊魂の二度目の物質的基体が死を迎えると、次の二通りが可能である。霊魂はさらに別の物質的基体に転じるか、それとも二度目の物質的基体の死で霊魂が本当に消滅するかである。
 前者の展開は玉ねぎの皮剥きのような話であり、最初から霊魂を不滅の物質として扱う方が素直である。しかし死のように、全ての形質を喪失した後でも残り得る存在は、形質の形式もしくは存在の形式しかない。ここで言う形質の形式とは、故人の考え方や行動様式のようなものを指している。この形式は、その不変性において情緒を持たない。それは機械が情緒を必要としないのと同じである。情緒とは、意識状態の自律的な変化だからである。霊魂がそのような形式を指すのであるなら、ビデオ画像は全て霊魂と呼ばれるに値する。また存在の形式は、質料を持たない単なる存在である。霊魂がそのような形式を指すのであれば、全ての霊魂は、記憶すら失った、相互に交換可能なのっぺらぼうの無個性なものになる。わざわざそのような霊魂を想定する利点はどこにも無い。
 一方の後者の展開は、最初の肉体死を無駄にする。二度目の死で本当の消滅を許容するくらいなら、最初の肉体死で消滅を許容すべきだからである。前者の展開にも言えることだが、死後の霊魂としての再生と消滅は、神による選別、つまり天国や地獄の概念に結びついている。しかし現世の報いを生まれ変わった後に受けるのは、新生児に罪を問うのと同じであり、道義に反する。したがって物理だけでなく倫理においても、単一な死が妥当である。
 ちなみに上記の困難とは別に、もともと霊魂を肉体から離れた意識として定義した時点で、肉体の存在意義が失なわれるという困難があった。肉体無しに意識が存在可能なら、肉体はもともと不要だからである。両者の分離が可能であり、かつ霊魂の存続が可能であるなら、霊魂は肉体に喰らいついた一種の寄生虫に帰結する。およそこのような存在は、肉体からすれば邪魔者である。邪魔者に感じるのは肉体自体の意識であり、霊魂として肉体と別に存在する意識ではない。先住民と侵略者の構図における倫理に照らすと、侵略者としての霊魂は肉体から追放されるべきである。やはり物理だけでなく倫理においても、単一な意識が妥当となる。

[霊魂の存在についての唯物論者の反論]
 そもそも倫理は、生きた人間が自ら人間たり得る社会秩序を目指すための規則であり、霊魂や霊界と無関係である。現実社会の人間が倫理を要求し自ら規定するのであって、死後の運命や神が倫理を規定するのではない。したがって唯物論において、それらの存在の有無は、どうでも良い事柄である。このために唯物論者は、神がいてもいなくても、天国があろうとなかろうと、自ら信ずる倫理を目指す。もし神が間違っているなら、神の住む天国を拒否し、自ら求めて地獄に落ちる人間が唯物論者である。むしろ間違いを犯すような神は、神の定義に反する意味で、地獄に落ちるべきである。したがって霊魂の存在の有無に関わらず、倫理内容について神や天国に配慮する必要はどこにも無い。むしろそれらに配慮した倫理内容は、逆に生者の社会生活の劣化を引き起こす。また神への信仰、神の言葉のかたりの元で倫理を実現するのは、倫理そのものにとっても邪道である。さらに進んで言えば、人間は霊魂や霊界の存在を許してはならない。それは、それらが単に理屈に反した迷信というだけの理由ではない。それらの存在自体が正義に反するためである。

 スピノザは物体の自律を認め、物体が遵守する法を物理法則とみなす。つまり人間が社会法規を遵守して社会生活を営むように、物体は物理法則を遵守して運動するわけである。この限りで物理法則に反する物体は、物質世界のアウトローであり、無法者であり、ヤクザものであり、簡単に言えば悪である。神が正義の実現者であるなら、神にとってもこのような自然法の破壊を許容できない。つまり物理と神の定義の双方の要請において、霊魂はいかなる物体運動にも介入し得ない。したがってもし霊魂が物質であり、同時に物理法則を遵守しないのであるなら、霊魂はその存在自体が悪であると規定して良い。
 このような悪の規定から霊魂を免除させるには、霊魂を物理法則を遵守する物質に扱うか、霊魂を物理法則を遵守しない非物質と扱うしかない。もちろん物理法則を遵守する物質とは、巷にある物体にすぎない。実際スピノザは神をそのように扱った。しかし霊能者や宗教家にとって、それは受け入れられない選択である。したがって彼らには、霊魂を物理法則を遵守しない非物質と扱う道しか残されていない。
 なるほど霊魂が非物質であれば、それらが物理法則を遵守しないとしても、ひとまずそのような悪の規定を免れる。一方で人間の対象認識方法は、感覚による直観と悟性による概念把握の二種類しかない。霊魂が非物質であるのと、感覚を通じた霊魂認識が不可能であるのは同義である。したがって霊能者が霊魂を認識するためには、悟性を通じた霊魂認識しか方法が残っていない。通常ここには、存在一般の起源を具体的事実に置くのか、事実ではない作り出された観念に置くのか。つまり唯物論なのか観念論なのかの選択がある。もちろんすでに見た展開に従えば、霊魂を具体的事実から引き出すのは不可能である。したがって霊魂の概念は、具体的事実ではなく観念から産まれ出るしかない。通常そのように産まれ出た事実は、でっち上げと呼ばれている。そしてでっち上げた事実をもとに真理を語るのは、結局のところ悪なのである。

 善良な人間は、霊魂に怯える必要は無い。自然界において霊魂は、自然法の破壊者として、存在自体が許されない悪そのものだからである。つまり幽霊は許されない存在なのである。その存在を許容するのは、法の破壊者、例えばヤクザの存在を許容するのと同義である。倫理は霊魂の存在の積極的排除を人間に命じている。もし神が存在するとしても、神も同様に霊魂の存在の積極的排除を人間に命じる義務を負っている。つまり悪霊に襲われるような悪夢を見ることでさえ、霊魂の存在を無意識的にであれ許容する点で、正義に反し神に背く行為なのである。
(2011/05/29)


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