唯物論者

唯物論の再構築

ハイパーインフレーション

2013-01-27 01:28:19 | 政治時評

 デフレーションとは物価下落に伴なう通貨価値高騰を指し、インフレーションとは物価上昇に伴なう通貨価値下落を指す。そしてハイパーインフレーションとは、桁外れな物価上昇に伴なう通貨価値暴落を指す。ここでの物価上昇率に対する桁外れ度合いの判定は、インフレに直面した社会の歴史や置かれている経済状況に応ずる。ウィキペディアの記載は、月あたりに物価が1.5倍に達したインフレをハイパーインフレに扱っている。ただし現実には、物価上昇に伴なう通貨価値暴落と、経済活動の停止が同時に発生した場合に、はじめてそのインフレがハイパーインフレだと認知される。一見すると、ハイパーインフレの発生時点の事実関係は錯綜しており、経済活動の停止が物価上昇を生むのか、物価上昇が経済活動の停止を生むのかが判定されにくい。というのも経済活動は、インフレに対抗するために、自らの限界まで生産力の質および量の増進に挑戦し続けるためである。一見するとその経済活動は、その限界点に達するまであたかも好調であり、ときとしてデフレであったかのようにさえ見える。このことから一般に経済活動の停止がハイパーインフレとしての物価上昇を生むと理解されることとなる。しかし実際には経済活動の停止をもたらしたのは、原材料や労賃、および地代の物価上昇である。この物価上昇は、戦乱による物品の欠乏、または通貨価値下落に伴なう輸入産品の相対的な価格高騰などを背景にする。産業資本はこのインフレに対抗して生き延びるために、自らの限界まで生産力の質および量の増進に挑戦する。しかし産業資本は、いよいよ生産を続けることが損失になる局面を迎えるなら、あっさりと生産活動を放棄する。物価上昇率が利潤率を凌駕するなら、産業資本の生産は余儀なく停止させられるわけである。しかもインフレ開始前に利潤率が十分低下しているなら、物価上昇が利潤を喰い潰すのも容易である。この場合、経済活動の停止とそれに続くハイパーインフレは、緩やかなインフレを経ることなく、猛烈な勢いで発現することになる。つまり商品棚にパンが並ぶこともなしに、パンの価格表示が次々に上昇することとなる。
 なお筆者の見解では、ハイパーインフレ開始前の労賃上昇率に対して物価上昇率が凌駕するなら、既にその状況をハイパーインフレとして扱う。それがハイパーインフレとして認知されないのは、労働者の場合、物価上昇が労賃上昇分を喰い潰しても、自らの労働を断念することができないためである。産業資本と違い労働者には、インフレに対抗して生き延びるために、自らの限界を超えてでも、労働力の質および量の増進に挑戦するほかに選択肢は無い。しかし労賃の相対的逓減が進むと、今度は労働力の質的低下が始まる。無気力な労働は怠惰と不正として現れ、社会を腐敗させる。

 藩札や軍票の大量発行で藩札や軍票の価値暴落が起きる物語、または空手形の大量発行で企業が不渡りを出す話は、時代劇やドラマなどでおなじみである。しかし空手形が不渡りになるまでの間、その債権は自らを額面価値のままに表現して商品と交換され続ける。その債権が空手形として発現するのは、その債権が自らと引換えに商品を引換えできない時点を待たなければいけない。もし空手形が継続的な商品交換の持続の中で、自らを基礎づける担保を確保するなら、空手形は実手形となる。したがってこのようなケインズ流の空手形の綱渡りは、継続的な商品交換の持続の中で自らを基礎づける担保をどう確保できるかにかかっている。もしその間に空手形が自らの担保確保に失敗するなら、空手形の賭けは失敗に終り、空手形としての自らの正体を露呈せざるを得ない。
 この話は、空手形を一企業の債権の話として考えたなら、債権の不渡りとは企業が商品引渡しに失敗した段階、または取引先や社員に対する現金決算で支払をできない事例として捉えられる。ところが空手形を一国の通貨の話として考えた場合、何をもって通貨の不渡りとして捉えるのかが見えにくい。というのも通貨の暴落は、国内で漸次進む物価の高騰として現れるからである。この通貨価値の暴落は、国内外の商品生産ラインの停止に伴い、国際商取引の不履行の積み重ねがもたらすものである。つまり通貨の不渡りは、国家間の商品流通の断絶を通じて、国内のインフレとして発現する。その流通の断絶は、ことさらにデフォルトの形を取る必要も無い。国外資本による商品流通の継続意欲は、通貨価値下落による想定利益の欠損によって十分に喪失するからである。もともと空手形とは、虚実の労働力と現実の労働力、または無効な労働力と有効な労働力とを交換する詐欺証文である。空手形がもともとあった状態どおりに取引相手に虚実の労働力を引き渡すなら、それは債権による空手形としての自らの正体の露呈に終わる。そこで引き起こされる信用崩壊も限定的である。しかし国家間の取引の場合、空手形はもともとあった状態どおりに相手に虚実の労働力を引き渡すだけで終わらない。むしろ国家の空手形は、空手形を発行した国家に対し、虚実労働の穴埋めをするための見返りの無い労働力の充実を強制する。通貨価値の暴落とは、詐欺行為を働いた国家に対して国際経済が与えた判決であり、選択の余地の無い具体的な懲罰なのである。それは詐欺国家に対して、他国の商品の買取をその商品価値をはるかに超える自国の労働力量と交換する形で、自らの虚実労働を穴埋めることを強制する。
 空手形の発行は、もっぱら経済的困難を逃れるための気の迷いとして選択される。そして空手形の発行は、経済的困難を一時期的に回避し、生産者にしばしの悦楽をもたらす。空手形の発行者は、そこで実感された悦楽をもって自らの行為の正しさを周囲に吹聴するが、それは錯覚である。どんな貧乏人でも借金をすれば、しばらく贅沢な暮らしをできるというのは当たり前の話である。虚偽的悦楽がもたらす禁断症状は、ある程度の時間をあけた後に、より大きな苦痛として共同体構成員全体に襲い掛かることになる。

 ハイパーインフレによる経済活動の停止は、後から見れば軽微なインフレ、それでいながら利潤を食い潰す物価上昇として発現する。この物価上昇が利潤を食い潰す条件は、商品生産の基礎を為す原材料や労賃、および地代の高騰である。それは基本的に国内で急遽生産拡大を行うことが困難な原材料である。原材料の高騰が起きる条件には、大きく絶対的条件と相対的条件の二通りがある。そして絶対的条件には、大きく次の二通りがある。一つは経済活動の外部条件としての物品の欠乏、もう一つは経済活動の内部条件としての商品の対外的な価値下落である。前者は戦乱や革命、天災といった経済活動の外部から現れる困難であり、後者は通貨価値下落や労働力の量的減少といった経済活動の基礎の破壊として現れる困難である。他方の原材料の高騰が起きる相対的条件には、絶対的条件を発現させるような経済の脆弱化をもたらす要素をあげれば良い。安全や成長の基盤を放棄した経済構造、労働力の質的低下、やたらに低い利潤率が社会を覆うなら、ガソリン価格高騰の軽い一押しでも十分に利潤を食い潰す物価上昇が成立することになる。

 ケインズ理論をアレンジした究極の空論として、発行した債券の引き取りを永久に次代に委ねるという経済活性方法がある。すなわちそれは、借金の返済を永久に先延ばしにして贅沢を続けるという理屈である。なるほど現瞬間において未来とは、常に逃げ水のごとく現れる。したがって債券の返済を常に次代の子供たちに委ねるなら、現瞬間の借金は常に返済不要であるかのようである。支払いの期限が到来したなら、さらにまた利息分を含めた借金を新たに繰り延べるだけで良いわけである。しかしそれは一種のネズミ講である。それは、破綻の発生が現れる前に自らの寿命が終えれば良いと考えるだけの悪魔の発想である。ネズミ講の最大の難関は、繰延べ債権の処分先の確保である。繰延べ債権の買取先が無くなれば、ネズミ講はそこで破綻を迎える。そして同様に日本経済も、デフレ不況と膨張した財政赤字の中で、日本国債の買取先が無くなる心配をする状況を迎えている。アメリカの場合、繰延べ債権の買取先の確保は国外に向いており、例えば自らの植民地政権に対して、その国の公的貯金制度を民営化させ、その資産300兆円の全てとプラス100兆円を米国債の買取に仕向けるという大技を出している。一方で日本の国債は、そのほとんどが国内で消化されている。そしてそのことが日本国債の信頼性を高めている。また国内における国債買取も、その信頼性の高さを大前提にしている。その意味で日本国債の海外への販路拡大は、そのこと自体が日本国債の信頼性を低め、日本国債の国内における販路縮小要因となる。このような日本国債の自己都合は、繰延べ債権の処分先の確保という最大の難関に対し、常に激しく対立してきた。そこで現在進んでいるのが、日本銀行に繰延べ債権を買い取らせると言う財政ファイナンスである。しかしこの財政ファイナンスは、借金で贅沢な暮らしをするという理屈を超えることはできない。またそれは、日本国債のジャンク化をもたらし、国内における販路縮小要因となる。仮に日銀が無利子国債を引き受け始めたなら、恐ろしくて国内投資家は国債の買取をできなくなる。もともと必要だったのは、デフレ円高を維持した財政再建であり、そのための政府主導の経済再生だったはずである。したがってせめて財政ファイナンスを行うにしても、その投資先は経済再生のための将来を担う経済母体の構築でなければならない。ところが現在進んでいるのは、昔ながらの建設業界など資産家への国家資産のバラマキだけである。また1000兆円の国の借金を生み出した当事者が、今度はデフレ不況からの脱却をインフレ誘導で目指すという寝言を言っている。経済が好調になればインフレになるのであり、インフレになれば経済が好調になるわけではない。
 筆者は破綻の発生について、長期金利の高騰と円安の進行に伴なう石油価格や原材料費、およびガス電気料金の高騰が口火になると予想する。一昨年に石油価格高騰により各地の漁船出漁が停止する事態が発生した。それは、ガソリン代の高騰が漁獲収益を喰い潰すため、漁業関係者が操業を断念したものである。円安の場合、このような経済活動の停止は、円安で打撃を被る国内向けの商品生産を行う企業全てで発生する可能性がある。ただし海外向けに商品生産を行う企業では、このような経済活動の停止は起きないかもしれない。なぜなら生産共同体における商品の生産活動は、商品価格=原材料費+人件費にすぎないからである。このうち原材料費は、国際市場価格として、競争し合うどの国にとっても同じ条件である。つまり海外向け商品が外地市場において割高に見えるのか廉価に見えるのかというのは、全て原材料費に上乗せされた人件費の大きさを表現しただけにすぎない。だからこそ円高により日本国内にいた企業は、高額な国内労働者を忌避し、生産活動の全てを海外に拠点を移したわけである。この人件費の高さの大きな原因として地代が絡んでいるのだが、このことの説明は、以前の記事(デフレと恐慌)で記載したので、ここでは割愛する。

 ちなみに政府のインフレ目標は年率2%だそうである。当然ながら、銀行の定期預金の金利はそれを超える必要がある。もちろんこのことは国債についても該当し、しかも道義的に政府は、変動債を含めて国債利子率を年2%以上に宣言する必要がある。またそうでなければ、国債購入者には損失の覚悟が必要となる。しかし高利子国債を発売すれば、国の借金の膨張は天井知らずになる。おまけに長期金利の高騰と既存発行分の低利国債の市場放出が一斉に開始することになる。逆に低利子国債を発売しても、それを買う人がいない場合、その全てを日銀が引き受けることになる。日銀の資産は112兆円である。もし日銀が1年に50兆円の国債を全て引き受けるとしたら、2年ちょっとで日銀が破産する。もちろんその場合、外貨準備も全て消失するので、悪くするとジンバブエ型のハイパーインフレがやってくるかもしれない。
(2013/01/27)


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 なおハイパーインフレを月あたりに物価が1.5倍に達したインフレに限定した場合、月あたりに物価が1.4倍に達したインフレはハイパーインフレではないこととなる。このような場合に、ハイパーインフレは起きなかったと主張する場合もあるかもしれない。しかしそれは無意味な理屈である。そのような主張でも優れたものとして次のブログがある。

ハイパーインフレは起きないが、リフレは経済を破綻させる


2013/03/08追記]
 昨年11月時点でまだ自民党総裁であった安倍総理は、財政ファイナンスを主張したわけでなく、建設国債の日銀買取を主張しただけだそうである。ただしそれは、政府指示の買取である限り、事実上の財政ファイナンスである。実際に安倍総理は、アメリカ流に日銀に輪転機を回させれば済むかのような発言もしている。しかし日本国債の国際的な位置は、米国債と異なる。しかも日本の財政事情の悪さは、既に周知の事柄である。したがって日本はアメリカの真似をしないでよろしい。なお経済破綻の危惧が杞憂に終わるなら、それだけでもリフレ反対論者は、危険信号を発した甲斐を持つし、空鉄砲の謗りにも甘んじる。その意味で是非とも、安倍総理を含めた今後10年を担う施政者には、これから始まらんとするリフレの綱渡りを無事に渡り切るのを願っている。

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