さあ、一行はスラバスティーに向かって走る、走る(バスが)走る。夜、ドライブインへ。お菓子とチャイをいただきます。
ずい分気温が下がっています。チャイからの湯気に注目。深夜、ようやくホテルに到着しました。車窓から見る星空がきれいで、ホテルに着いてすぐに表にでたごいんげ、しばし夜空を見上げました。写真に撮れなかったのが残念。見に行ってくださいね。
翌朝、いよいよ祇園精舎へ。
そしてこれです。レンガだらけで、どこがメインなのか・・・。分からないときは、金箔を探します。タイやミャンマーの仏教徒たちが、大切な聖地に金箔を貼っていくのです。
お勤めをしました。もちろん『仏説阿弥陀経』。この祇園精舎で説かれたお説法です。伊藤副住職が、お釈迦さまが実在の方であったことをあらためて感じたこと、そして阿弥陀さまが「今現在説法」なさっているそのお説法をここで聞かせていただいている感動をお話し下さいました。ナモアミダブツ。
サルがいました。かわいい。しかし、インドの猿は狂犬病をもっている可能性が高いそうです(諏訪さん情報)。サルなのに狂猿病ではなく・・・。
ここでも遺跡整備の仕事をされている方がいました。インドでも女性が就ける仕事は限られているらしく、肉体労働をしている女性も多いのだとか。この後、素敵な笑顔を返してくれました。ありがとう。
祇園精舎から少し行ったところに、アングリマーラの家がありました。殺人鬼のアヒンサーが、殺した相手の指を切り取って首飾りを作っていましたが、お釈迦さまに出会ってやがて仏弟子になるのです。
あれ、スダッタ長者の家だったでしょうか。1月から随分時間が経ったので記憶が曖昧に。
祇園精舎は、「祇樹給孤独園」と『阿弥陀経』には出てきます。コーサラ国(舎衛城)の王子、祇陀太子(ジェータ王子)と孤独な人に施しを重ねていた給孤独長者(スダッタ長者)との協力で、お釈迦さまと仏教教団に寄贈されたお寺です。(これは諏訪さん情報ではなく、中央仏教学院の仏教学の講師、北畠晃融先生情報)
さらに行くと、あったあった。祇園精舎の鐘。「日本国祇園精舎の鐘の会」より吉沢の梵鐘が寄贈された旨、書いてありました。
祇園精舎の鐘を撞くごいんげ。もっと腰を入れて!さすがにいい響きでした。これが「諸行無常の響き」でしょうか。
4年前にはインド人が鐘を撞いていました(左は4年前の諏訪さん)。鐘の響きは全世界共通なのでしょうか。ナモアミダブツ。(まだまだつづく)
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