霊鷲山を下山した一行は、七重の牢獄跡へ。
ここで『観無量寿経』が説かれたといいます。アジャセ王子に幽閉されたビンビサーラ王。お妃のイダイケ夫人の請いにより、お釈迦さまが説法なさったといいます。業に苦しむビンビサーラ王。身内に悩むイダイケ夫人。親殺しの大罪人アジャセ王子。皆、間違いなく救う、お念仏のみ教え。お釈迦さまの「アジャセのために涅槃に入らず」という言葉を初めて聞いたときは、身が震えました。ナモアミダブツ。
ただ石が積んであるだけじゃないんですよ。「ここで、この場所で『王舎城の悲劇』が起こったのか」と感慨にふけり、ふと後ろを振り向くと、
伊藤副住職が、お土産売りのおじさんにつかまっていました。インドの観光地は土産売りがいっぱい。おじさんは、霊鷲山からバイクで追いかけてきていたのでした。伊藤くんは、優しくて人の話をよく聞いてくれます。お土産売りのおじさんたちにも大人気。
その後、この牢獄跡で『観無量寿経』を読経。さすがに勤行中は土産売りのおじさんたちも遠慮してくれました。ありがとう。
一行は竹林精舎(しょうじゃ)へ。精舎(教えを聞いたり、修行をしたりする場所)は、町から近くなく、遠くなく、静かで修行しやすい場所におかれることが多いそうです。(諏訪さん情報)
この竹林精舎で、土産売りのおじさん達に人気だったのは、ごいんげでした。サリーの布を買ってくれと、大分言われました。安いのか高いのか。品質を見る目のないごいんげは、とまどうばかりでした。しかし、おじさんたち、日本語上手だなあ。円とルピーの為替もばっちり頭に入っているみたいでした。さすが、「0(ゼロ)」を発見したインド人。
インドの女学生がいました。かしこそうです。さすが、「0(ゼロ)」を発見した・・・もういい?
これは、轍(わだち)の跡です。昔の戦車の車輪の跡が残っていました。その車輪の幅から、鉄のシャフトが用いられていたことが分かり、マガダ国(王舎城)の国力の強さが分かるそうです。(諏訪さん情報)
王舎城の西門跡。ただ石を積んでいるだけじゃないですよ。城と言っても日本の城とは様子が違い、町全体を「城」と呼んでいたそうです。(またまた諏訪さん情報)中国の城を想像したらいいのでしょうか。
つづく。