つながる・つたえる・ささえあう

2015年3月の大法要テーマがブログタイトルです。
北九州市八幡東区 浄土真宗 敬行寺住職(ごいんげ)のブログです。

起工式・・・大工事が始まります

2012-03-25 10:00:31 | インポート

3月23日に、新納骨堂の起工式がありました。

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数年前より敬行寺では納骨堂が不足し、順番待ちの方が多数おられました。また、現在の真如堂は45年、本堂は35年が経ち、器具の老朽化や段差の問題もでてきました。納骨堂建設はご門徒の念願だと受け止め、皆様のご理解をいただいて、新納骨堂の建設を発願しました。

現場にテントを張っていただき、お荘厳を整えて設計管理、施工の業者さんと一緒に『讃仏偈』をお勤めしました。導師のごいんげ(住職)、いつもよりさらに緊張しています。

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起工式終了後に一枚。儀式が終わってホッとしているのと、これから大事業が始まる緊張感がみなぎっています。お互い協力して、満足のできる仕事をしていきましょうね。

今年中には現在加入していただいている皆様の納骨堂の壇の移動、新規募集を開始できるような日程で工事が進んでいくことと思います。工事中、参詣のみなさんにも色々とご迷惑をおかけしますが、ご理解をどうぞよろしくおねがいします。

忙しくなるぞー。ナモアミダブツ。


ナマステー・・・4 王舎城(おうしゃじょう)へ

2012-03-18 20:45:11 | インポート

霊鷲山を下山した一行は、七重の牢獄跡へ。

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ここで『観無量寿経』が説かれたといいます。アジャセ王子に幽閉されたビンビサーラ王。お妃のイダイケ夫人の請いにより、お釈迦さまが説法なさったといいます。業に苦しむビンビサーラ王。身内に悩むイダイケ夫人。親殺しの大罪人アジャセ王子。皆、間違いなく救う、お念仏のみ教え。お釈迦さまの「アジャセのために涅槃に入らず」という言葉を初めて聞いたときは、身が震えました。ナモアミダブツ。

ただ石が積んであるだけじゃないんですよ。「ここで、この場所で『王舎城の悲劇』が起こったのか」と感慨にふけり、ふと後ろを振り向くと、

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伊藤副住職が、お土産売りのおじさんにつかまっていました。インドの観光地は土産売りがいっぱい。おじさんは、霊鷲山からバイクで追いかけてきていたのでした。伊藤くんは、優しくて人の話をよく聞いてくれます。お土産売りのおじさんたちにも大人気。

その後、この牢獄跡で『観無量寿経』を読経。さすがに勤行中は土産売りのおじさんたちも遠慮してくれました。ありがとう。

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一行は竹林精舎(しょうじゃ)へ。精舎(教えを聞いたり、修行をしたりする場所)は、町から近くなく、遠くなく、静かで修行しやすい場所におかれることが多いそうです。(諏訪さん情報)

この竹林精舎で、土産売りのおじさん達に人気だったのは、ごいんげでした。サリーの布を買ってくれと、大分言われました。安いのか高いのか。品質を見る目のないごいんげは、とまどうばかりでした。しかし、おじさんたち、日本語上手だなあ。円とルピーの為替もばっちり頭に入っているみたいでした。さすが、「0(ゼロ)」を発見したインド人。

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インドの女学生がいました。かしこそうです。さすが、「0(ゼロ)」を発見した・・・もういい?

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これは、轍(わだち)の跡です。昔の戦車の車輪の跡が残っていました。その車輪の幅から、鉄のシャフトが用いられていたことが分かり、マガダ国(王舎城)の国力の強さが分かるそうです。(諏訪さん情報)

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王舎城の西門跡。ただ石を積んでいるだけじゃないですよ。城と言っても日本の城とは様子が違い、町全体を「城」と呼んでいたそうです。(またまた諏訪さん情報)中国の城を想像したらいいのでしょうか。

つづく。


ナマステー・・・3(お経登山)

2012-03-07 18:07:59 | インポート

「ブッダーン、サラナーン、ガッチャーミー。」三帰依の響くブダガヤを後にした一行は翌日ラージギル(王舎城)参拝。『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』が説かれた地です。

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耆闍崛山(ぎしゃくっせん)。あの山の頂上でお釈迦さまが『無量寿経』のお説法を。山といっても高さ100メートル位、道のりは約2キロです。旅行の実行委員長、古海住職の発案で、一行は『仏説無量寿経』の四十八願文をお勤めしながら登山することになりました。

思いのほかこれがきつかった。すぐに息があがってしまい、第十八願(ご本願)までお勤めするのがやっとでした。

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登山道の横にいた牛。インドではそこらじゅうに牛がいます。ヒンズー教では聖なる動物、お乳をだして、私たちのいのちを育んでくれるお母さんのような身近な存在なのです。インドの北部でもベジタリアンのインド人は多く、乳製品は大事な栄養なのだとか。(インド人ガイド、マダンさんによる情報)

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頂上近くには、高弟が瞑想をなさっていた洞窟が。シャリホツ尊者(?)が記念撮影をしていました。

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この山は、霊鷲山(りょうじゅせん)とも呼ばれています。頂上付近にあるこの岩が鷲の頭に見えるとか、山全体が鷲が翼を広げているように見えるからだそうです。(これは諏訪さん情報)

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お経の続きを頂上でお勤めしました。無量寿経のお説法の時には一万二千人のお弟子が聴聞していたとお経のはじめに出てきます。そんな広さはありませんが、そのままに聞かせていただくのが、「豊かな心でお経を読むということです。」と古海住職からお話がありました。

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頂上から麓を見下ろします。「ここで一万二千人が聞いていらっしゃったんだな。」といただいたとき、二千五百年の時を超え、お釈迦さまが「お念仏申せよ」と直接私に説法して下さっているような気持ちになりました。これを「豊かな心」というのでしょうか。ナモアミダブツ。

つづく。