関空まで戻ってきた。羽田行きを待ちつつ、着替えたりお喋りしたりで11時まで過ごすことになりそう。
今回は飛行機がとれたこと自体が強運の証だったので、ひとまず強運がまだ衰えてないことを確認できた。クロアチアという国の素晴らしさとクロアチア人の愛想はないけど勤勉な国民性に触れて、クロアチアにして良かったと思ったし、あたしもまた頑張らなきゃなぁ~と、元気を注入され、やる気スイッチ(あったんかい、ってなにげに関西風)をONにしてもらってきた。
そして、最後の最後にドキドキハラハラ事件がおき、強運尽きたか~と思ったけど、普通に帰国でき、悪運強運をまたまた実感できた(笑)。
その、最後の最後の事件とは、死亡者のでた規模の大きい交通事故による渋滞で空港への道が大渋滞して、25分といわれていた距離に1時間15分もかかったこと。タクシーだったら手持ちの現金では足りなくなってただろう。
ホテルの車の運転手は優秀だった。暫く待っても状況が改善しないため、機転を利かせて「迂回道路が幹線道路に再度合流する地点が事故現場より空港に近いかもしれない」と、引き返して舗装もされていない細い山道を行ってくれ、離陸15分前に空港に到着できたのである。事故の情報が入っていたのだろう、通常45分前に搭乗手続きを終了するカウンターで、まだ手続きをやってくれた。車のなかでは遅れた場合に備えて、月曜日の仕事の関係者への連絡を考えていたので、スリル満点だったけど、結果オーライっす。
車の予約の時、7時半の飛行機に乗るのになんで5時45分にホテルを出ろと言うのか理解できなかったけど、言われた通りにしてよかった。少々のお金をケチってタクシーにせずホテルの車を手配してよかった、と安堵した。ま、強運のなせる技やね(笑)
写真はドブロヴニクの旧市街。クロアチアにはまた来なくちゃ。旅の記録はまた追々。
今回は飛行機がとれたこと自体が強運の証だったので、ひとまず強運がまだ衰えてないことを確認できた。クロアチアという国の素晴らしさとクロアチア人の愛想はないけど勤勉な国民性に触れて、クロアチアにして良かったと思ったし、あたしもまた頑張らなきゃなぁ~と、元気を注入され、やる気スイッチ(あったんかい、ってなにげに関西風)をONにしてもらってきた。
そして、最後の最後にドキドキハラハラ事件がおき、強運尽きたか~と思ったけど、普通に帰国でき、悪運強運をまたまた実感できた(笑)。
その、最後の最後の事件とは、死亡者のでた規模の大きい交通事故による渋滞で空港への道が大渋滞して、25分といわれていた距離に1時間15分もかかったこと。タクシーだったら手持ちの現金では足りなくなってただろう。
ホテルの車の運転手は優秀だった。暫く待っても状況が改善しないため、機転を利かせて「迂回道路が幹線道路に再度合流する地点が事故現場より空港に近いかもしれない」と、引き返して舗装もされていない細い山道を行ってくれ、離陸15分前に空港に到着できたのである。事故の情報が入っていたのだろう、通常45分前に搭乗手続きを終了するカウンターで、まだ手続きをやってくれた。車のなかでは遅れた場合に備えて、月曜日の仕事の関係者への連絡を考えていたので、スリル満点だったけど、結果オーライっす。
車の予約の時、7時半の飛行機に乗るのになんで5時45分にホテルを出ろと言うのか理解できなかったけど、言われた通りにしてよかった。少々のお金をケチってタクシーにせずホテルの車を手配してよかった、と安堵した。ま、強運のなせる技やね(笑)
写真はドブロヴニクの旧市街。クロアチアにはまた来なくちゃ。旅の記録はまた追々。
空港に着いても、どこがチェックインカウンターか、日本語オンリーの私だったら、案内板探すだけでも、手間取りそう(笑)
運に見放されてる私は、しばらくPCのない生活でしたが、その間にクロアチア旅行終わっちゃってました。
ザグレグの教会のモザイク屋根、モスタルの橋の景色、山の上からのドブロヴニクの景色、素晴らしいところですね。
でも、モスタルの”悲しいほどに美しい景色”というのが、心に残りました。争いのない、平和な世の中になってほしいですね。
この後の、クロアチアの旅の様子、楽しみです。
パソコン問題解決前に帰ってきちゃいました(笑)
今朝は6時起きで社会復帰です。
クロアチアは色々考えさせられました。
旅行記書きながら反芻していきます。