kebaneco日記

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故郷の偉人たち?

2021年05月24日 | 折々の話題

昨日早めに到着したので、主人と義母の最期の時の話とか前の晩のことなどを話しながら、葬儀社の前の公園を散歩。

 

斉藤實

 

1858年に生まれて海軍大佐・次官を経て海軍大臣、朝鮮総督、首相内大臣、を歴任。この銅像は朝倉文夫作。

 

こっちは後藤新平

 

1857年生まれ、医業を志し内務省衛生局長、台湾民政長官、初代満鉄総裁、通信相兼鉄道院総裁、外相、東京市長、などを歴任。関東大震災以降担当大臣として復興に当たった。ボーイスカウト・東京放送局(現NHK)の初代総裁、政治の倫理化を進め、日露関係正常化に力を注いだ。この銅像も朝倉文夫作。

 

新緑の中歩きながら、「(2週間入院して)そろそろ退院ね」と言われていた矢先に、夜の見回りで息をしていないことがわかったんだと聞かされた。義母は義父が亡くなった後「私は消えるようにいなくなりたい」と言っていたそうだけど、まさにそんな感じでいなくなっちゃった。

 

義母に最後に会ったのは、前回の退院の時に会いに行った主人。あたしがお花を持たせた、あの時。最後に話したのは、やっぱりあたしたちだった。スピーカーフォンにして2人で色々話して「何か欲しいものはないの?」ってあたしが聞いたら「ない。満たされてますよ」って言われたのが思い出される。

 

前日出棺の時「お好きだったものを入れてあげてください」と言われて、通夜に来ていた叔母から「トマトがとても好きだった」と聞いたらしい。主人はそれを聞いてあ〜、と思ったらしい。「kebaがよく送ってあげてたトマトソース、あれ本当に欲しかったんだね、おねだりしない母があれだけは送って欲しいって言ってきたもんね」と聞かされた。

 

送るのは全然嫌じゃなかったけど、本当はそんなに食べてなくて実は冷凍庫に山ほど残ってたら申し訳ないな、とどこかで思いながらいろんなものを作って送ってた。トマトソースは本当に楽しみにしてくれていたんだ。「あたし、トマト好きだから」ってひとこと言ってくれればよかったのに・・・、いっくらでも送ってあげたのに。物をおねだりすることができなかったのも母らしい。お棺にトマトを入れてあげたんだそうな。今度お墓にお供えしよう。

 

おまけ:

孔雀さまもおられました

 

「尻尾広げないかなぁ〜、ばあぁ〜っと」というあたしに「大したことないんじゃない?短いぞ、あれ、メスなのかな」と冷静な主人。確かに孔雀って書いてあるけど言われなかったら七面鳥じゃん(苦笑)。そんなニンゲンの勝手な会話にお構いなく、餌を啄む孔雀さまでした。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お悔やみ申し上げます。 (タカコ)
2021-05-24 19:30:33
そうねぇ~~
言わない。って、奥ゆかしいとか、良いことばかりじゃない。
チャーンと言って貰った方が嬉しいこともある。
でも、それも その人らしさ、
って、あれこれ話題にするのが供養って、思ってる私。
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ご愁傷さまでした (tsubone)
2021-05-24 19:35:21
なんて去り際が潔い方だったんでしょう。

kebaさんと良い感じの姑嫁の関係だったんですね。
トマトソースの話もじ~~んときますね。
ご冥福をお祈りします。
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お義母さま (しまそだち)
2021-05-24 20:41:12
素敵な方だったんですね
用いる表現が 美しい 
お人柄が にじみ出ているような

ご冥福をお祈り申し上げます
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Unknown (クラリス)
2021-05-24 22:01:48
『満たされてますよ』 お義母様、なんて素敵なんでしょう。
お人柄そのものを表しているような感じがしました。
 

ご冥福をお祈りいたします。
お二人ともお疲れが出ませんように。ゆるりとお過ごしくださいね。
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お悔やみ申し上げます。 (みどり)
2021-05-25 10:39:46
お義母様、希望通りに逝かれたのですね。
理想的な死に方です。
人は生きてきたように死ぬ、生き方と逝き方は同じって言いますが、お義母様のお人柄が偲ばれます。
トマトソースのこと、亡くなってから知るなんて。
でもそういうことありますね。
kebaさんご夫妻もお疲れがでませんように。
ケバさんに慰めてもらってください。
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たかこさま (keba)
2021-05-25 11:28:35
義母にとってあたしは嫁なので、やっぱり言えることと言えないことがあったと思う。トマトソースだけは、あたしが両親を立て続けに亡くした後お悔やみの手紙をくれて、でもその中に「トマトソース忘れないでね」って書いてあって驚いた記憶があり、そんなに好きだったのかぁ〜って、今頃・・・
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tsuboneさま (keba)
2021-05-25 11:31:07
ここ数年は、向こうで火を入れればすぐに食べられるように準備したものを持参して帰省、だったので、その流れでいろんなものを作っては送る、ことが増えていました。トマトソース(スープとして食す)は亡くなった父も好きで老人ホームにストックして必要に応じて出してもらっていたので、四人の親みんなに食べてもらえました。いい思い出。
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しまそだちさま (keba)
2021-05-25 11:33:33
1番覚えていて、今回主人とその従兄弟と話していて笑ったのは、あたしがあまりに雪を珍しがるので「雪が降って嬉しいのはkebaさんと犬だけよ」ってしみじみいわれた一言。別に揶揄ってるわけじゃなくて、「ここは喜んでる場合じゃない大変なのよ」をそういう言い方でさらりと伝えてくれたのだと思う。その後に「この辺りのお嫁さんは冬には帰省しないのに、あなたたちは冬に来てくれて」と感謝されたのです。外から来た人たちはこの雪を嫌気して冬は避けるのに、ありがとうね、っていう意味も入ってたと思う。
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クラリスさま (keba)
2021-05-25 11:36:02
そうなの、感謝する人、だった。そして、満たされてますよ、と言う言葉があたしたちにとって義母から聞いた最後の一言でした。

だから、二人で古いうちに住んで、何もしなくても体がきついのに、義父の面倒を見るという重責から解放してあげられた去年の夏のドタバタが、今では本当に愛おしい思い出です。
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みどりさま (keba)
2021-05-25 13:32:06
義母が亡くなった状況を考えると、まさに希望通りだったのだと思いました。そしてたぶん義父がお迎えに来てくれたんだと思う、三途の川の向こう川で待ってたけど待ちきれずに。

あたしは葬儀と納骨だけしか参列できなかったけど、最後まで冷凍庫にあるトマトソースを持っていこうかどうか迷ってたんです。その時はまだ母がトマトが好きだったっていう話を知らなくて、知ってたら絶対持って行ってた〜
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