父が救急車で運ばれたことから発生した各種の事件に振り回された先週、週末にしか帰れなかったあたしが帰って積み残しを片付けて、今後どうするかを弟と話し合い、突発事件に対応し帰宅。
今日は昼までしかいられないので、郵便局に行って父の入院中の郵便物を局留めにしてもらい、昼間で病室で雑談して過ごし、母にくれぐれも一人で外出しないように、父の看護を24時間大変だけどお願いしますとお願いして別れた。早めに空港に着き、台風でスケジュールが乱れることも心配なのですぐに乗れる便に変更した。少し前にキャンセルが出たためにたまたま空いていた席(あたしってこ~ゆ~のばっかり、ぷぷぷ)をもらい、空港到着から25分後には搭乗。効率がいいんだか、ずうずうしいんだか(苦笑)。
離陸したのも気づかないくらい即刻爆睡。飲み物のサービスで目が覚め(往路では超爆睡で、飲み物のサービス程度では気づかず、着陸の衝撃で目が覚めた・・・)、自分の目で様子を確かめ、そのうえで血のつながった弟と同じ判断に至ったことに安堵をおぼえたことで、昨晩は最近では一番よく眠れた気がする。おかげで貰えた珈琲(苦笑)。カップを片手に窓の外を眺めると、むむむ、あれは・・・
雲の間から見える人工的な形をした島、あれはまさしく関空じゃぁあ~りませんか
ここはウガンダに行くときに乗り継いだ場所だし、確かその昔ムンバイにもここから行ったと思うし、空港ターミナルビル向かいのホテルで会議をして会議が終わったら関空から即帰京したこともある、関空って結構使ってる。でも、こんなふうに上から見るの初めてのような気がする。
ってことは・・・、としばらく窓に貼りついていたら、こっちも人工の島のセントレア(中央左寄り)
クリックして拡大してくだされ
このまま見てたら富士山も見えるかな?と機内誌の地図のページを開いて、小学生の子供みたいに窓に貼りついてたけど、台風の影響か雲が多くて残念ながら富士山は駄目でした。でも、福岡からだとこんなふうに太平洋岸を東に向かい、御前崎あたりで右に旋回して、房総半島が見えたら北上する、っていうルートを飛んでいるということを今頃知った(苦笑)。仕事で乗る時は通路側を希望するのが常だし、プライベートで乗る時は話に夢中になっているか爆睡しているかどっちかなので、こんなに窓に貼りついて過ごしたのは、ひょっとしたら子供の時以来か?みたいな。
ってなわけで、浜名湖が海につながってる様子(左端)などもみえて楽しかったし
富士山がありそうな場所は雲がもくもく、富士山付近は気流が難しいとかいうのを機内誌で以前読んだのを思い出した
クリックしてくだされ
今回帰って母の様子を確認し、弟とのあいだでは「施設入所やむなし」という結果になった。父にとって「この年齢になっても二人で在宅で暮らせていて、美術館に行ったり、大学の公開講座に行ったりしている」ということが、どれだけ日々のモチベーションになっているかは十分わかっているつもり。それなのにこんな辛い判断を迫るあたしは鬼娘だと思う。だけど、母が父の病室から帰宅して「父がいるのはどこだっけ」と電話をかけてきて、「N病院」というと「そこじゃない」「いや、そこだから行ってみてちょうだい」「そんなはずはない」で激昂すること数回、父が退院してもひとりで外出させられないと思うし、そもそもかなり感情の起伏が激しくなっていて、父からじっくり話を聞くと母は父に手をあげているらしいし。
母の言動には大丈夫かいな?てんこもりかと思うと、鍵を失くしたから鍵屋を呼んで鍵を変える、という離れ業を演じたりできてしまうし(おかげでこっそり自宅の鍵を持っていた弟は入れなくなって大変。今回「家に帰って入院中必要なものを取ってくる」と鍵を借り、合鍵を作ってきた(汗))、足腰は全く問題ないし普通に喋っていると事実か作話か判別がつかないくらい話がうまい。認知症って、つくづく記憶や見当識に係る病気であって、知能に関するものではないんだなぁって思い知らされる。
そうすると、もう足腰が少し不安な父の手には負えない。だから父を物理的に守ってあげるためにも、自分がケアしてほしい状態なのに母をケアする生活から解放してあげるためにも、そして何より精神的にもサポートできる人をそばに置くためにも、父が退院したらあまり間をおかず(置いてしまって落ち着いちゃうと「大丈夫」と拒絶される可能性が大きいから)、複数の施設を見てもらってそのなかから選んでもらうしかない、ということになった。父の気持ちは尊重しつつも、「施設に入らない」というオプションがないことを、理性とか知性に訴えて「入らない方向で」ではなく「どれに入るか」方向に誘導していくしかない。
親世代も子供世代も「今日が最高地点」の日々だ。これから体力や免疫力が増進する確率は極めて低く、良くて現状維持、という毎日を送っている。だから今は「まだ早いよ」と思われるような策を先手を打って取っていくしかない。きっといつか「あの時思いきって決断して、本当によかった」と思ってもらえると、あたしたち子供世代が信じて揺らがないでやっていくしかないのである。特養といわれる施設は何百人も待機中なので、最初からそれは除外。ターゲットはケア付き高齢者住宅か老人保健施設。この種類の施設は今年度の介護保険法の改正などもあって、今年開設されるところが多く、実家がある自治体にも複数個所オープンする。建物が新しいことも抵抗感を和らげてくれるかなぁと期待。
ってわけで、完全放電して帰宅。来週の仕事の資料が机上に待っていて、げんなりする半面、あたしが生きてる世界に戻ってこれた気がしてなんだかほっとした。
今日は昼までしかいられないので、郵便局に行って父の入院中の郵便物を局留めにしてもらい、昼間で病室で雑談して過ごし、母にくれぐれも一人で外出しないように、父の看護を24時間大変だけどお願いしますとお願いして別れた。早めに空港に着き、台風でスケジュールが乱れることも心配なのですぐに乗れる便に変更した。少し前にキャンセルが出たためにたまたま空いていた席(あたしってこ~ゆ~のばっかり、ぷぷぷ)をもらい、空港到着から25分後には搭乗。効率がいいんだか、ずうずうしいんだか(苦笑)。
離陸したのも気づかないくらい即刻爆睡。飲み物のサービスで目が覚め(往路では超爆睡で、飲み物のサービス程度では気づかず、着陸の衝撃で目が覚めた・・・)、自分の目で様子を確かめ、そのうえで血のつながった弟と同じ判断に至ったことに安堵をおぼえたことで、昨晩は最近では一番よく眠れた気がする。おかげで貰えた珈琲(苦笑)。カップを片手に窓の外を眺めると、むむむ、あれは・・・
雲の間から見える人工的な形をした島、あれはまさしく関空じゃぁあ~りませんか
ここはウガンダに行くときに乗り継いだ場所だし、確かその昔ムンバイにもここから行ったと思うし、空港ターミナルビル向かいのホテルで会議をして会議が終わったら関空から即帰京したこともある、関空って結構使ってる。でも、こんなふうに上から見るの初めてのような気がする。
ってことは・・・、としばらく窓に貼りついていたら、こっちも人工の島のセントレア(中央左寄り)
クリックして拡大してくだされ
このまま見てたら富士山も見えるかな?と機内誌の地図のページを開いて、小学生の子供みたいに窓に貼りついてたけど、台風の影響か雲が多くて残念ながら富士山は駄目でした。でも、福岡からだとこんなふうに太平洋岸を東に向かい、御前崎あたりで右に旋回して、房総半島が見えたら北上する、っていうルートを飛んでいるということを今頃知った(苦笑)。仕事で乗る時は通路側を希望するのが常だし、プライベートで乗る時は話に夢中になっているか爆睡しているかどっちかなので、こんなに窓に貼りついて過ごしたのは、ひょっとしたら子供の時以来か?みたいな。
ってなわけで、浜名湖が海につながってる様子(左端)などもみえて楽しかったし
富士山がありそうな場所は雲がもくもく、富士山付近は気流が難しいとかいうのを機内誌で以前読んだのを思い出した
クリックしてくだされ
今回帰って母の様子を確認し、弟とのあいだでは「施設入所やむなし」という結果になった。父にとって「この年齢になっても二人で在宅で暮らせていて、美術館に行ったり、大学の公開講座に行ったりしている」ということが、どれだけ日々のモチベーションになっているかは十分わかっているつもり。それなのにこんな辛い判断を迫るあたしは鬼娘だと思う。だけど、母が父の病室から帰宅して「父がいるのはどこだっけ」と電話をかけてきて、「N病院」というと「そこじゃない」「いや、そこだから行ってみてちょうだい」「そんなはずはない」で激昂すること数回、父が退院してもひとりで外出させられないと思うし、そもそもかなり感情の起伏が激しくなっていて、父からじっくり話を聞くと母は父に手をあげているらしいし。
母の言動には大丈夫かいな?てんこもりかと思うと、鍵を失くしたから鍵屋を呼んで鍵を変える、という離れ業を演じたりできてしまうし(おかげでこっそり自宅の鍵を持っていた弟は入れなくなって大変。今回「家に帰って入院中必要なものを取ってくる」と鍵を借り、合鍵を作ってきた(汗))、足腰は全く問題ないし普通に喋っていると事実か作話か判別がつかないくらい話がうまい。認知症って、つくづく記憶や見当識に係る病気であって、知能に関するものではないんだなぁって思い知らされる。
そうすると、もう足腰が少し不安な父の手には負えない。だから父を物理的に守ってあげるためにも、自分がケアしてほしい状態なのに母をケアする生活から解放してあげるためにも、そして何より精神的にもサポートできる人をそばに置くためにも、父が退院したらあまり間をおかず(置いてしまって落ち着いちゃうと「大丈夫」と拒絶される可能性が大きいから)、複数の施設を見てもらってそのなかから選んでもらうしかない、ということになった。父の気持ちは尊重しつつも、「施設に入らない」というオプションがないことを、理性とか知性に訴えて「入らない方向で」ではなく「どれに入るか」方向に誘導していくしかない。
親世代も子供世代も「今日が最高地点」の日々だ。これから体力や免疫力が増進する確率は極めて低く、良くて現状維持、という毎日を送っている。だから今は「まだ早いよ」と思われるような策を先手を打って取っていくしかない。きっといつか「あの時思いきって決断して、本当によかった」と思ってもらえると、あたしたち子供世代が信じて揺らがないでやっていくしかないのである。特養といわれる施設は何百人も待機中なので、最初からそれは除外。ターゲットはケア付き高齢者住宅か老人保健施設。この種類の施設は今年度の介護保険法の改正などもあって、今年開設されるところが多く、実家がある自治体にも複数個所オープンする。建物が新しいことも抵抗感を和らげてくれるかなぁと期待。
ってわけで、完全放電して帰宅。来週の仕事の資料が机上に待っていて、げんなりする半面、あたしが生きてる世界に戻ってこれた気がしてなんだかほっとした。
お父様が納得されるといいですね。
何だか昨年の私の事のようです・・・。
まともなのか?認知なのか?本当に判断に
苦しむ行動をしますよね。(我が家の場合)
我が家の父は、警察署に免許を返せ!と連日
文句を言いましたよ。(^^ゞ
鍵の件、何だか似てるな~と思いました。
我が家は、親の貯蓄を見ながら、有料老人ホー
ムなら何年入れるとかシビアに計算しました。
今考えても、あれで良かったんだと。
強行手段だったけど、あれが最善の方法だったと思ってます。
弟さんと相談しながら、乗り切ってくださいね。
これは、一生続かないから・・・。
いずれ終わりが、ありますから・・・。
最善の方法で・・・。m(__)m
高齢化があたかも悪いことばかりのように伝えられますが、
高齢者用の施設やサービスを充実させることで
新たな雇用が生まれ、
充実することで女性が仕事を続けられ、人口減による労働者不足を補える
悪いことばかりじゃないんですけどね、欲しいサービスが欲しい形で充実されれば。。。
それまでは、みんなで悩むしかないんでしょうね。
やっぱり、あたし、首相やってあげてもいいっすよ(爆)
うん、我が家はtomokeさんが通った道を驀進中です(苦笑)
ブログのトピックとしてはどうなんだろう?って思ったりもしましたが、
書くことで頭が整理されるので、時々ここで愚痴ったり毒吐いたりしようと思います(苦笑)
最終的に絶対によかったって思ってもらえると確信できる手段を選び、
それを弟と二人でぶれることなく両親に勧めて納得してもらう、
それしかないんだと、自分たちがまず納得することから始めます。