数学基礎論における金字塔に、
「ゲーデルの不完全性定理」がある。
当時は数学基礎論の勃興期だった。
「数学で何が証明できるか」という問いを定式化できるところまで
言語が整備されてきたのである。
多くの数学者は楽観的であった:
公理系(分からない人はここでは数学の始める前の
最初の約束事、と思っておけばよい)を整備すれば、
「何が証明でき、何が証明できないか」がはっきりすると考えたのである。
当時の大数学者のヒルベルトもそう考えていたという。
彼がそれを証明しようと講演で世界の数学者たちに呼びかけていた裏で、
ゲーデルは1931年に、ひっそりと彼の大論文を世に出した。
「数学の公理系が無矛盾である限り、証明も否定もできない問題が存在する」
というのが彼の主張だった。
さらにその数年後、実際に「連続体仮説」が通常の公理系の中では
証明も否定もできない命題であることがゲーデル及びコーエンによって示された。
数学が万能ではない、ということが示された。1930年代の話である。
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物理においては1920年代が量子力学の幕開けだった。
1927年にハイゼンベルクは不確定性原理を発表した。
これは、
「素粒子の位置と運動量の観測誤差を同時に十分小さくすることはできない」
もっというと、そのそれぞれの誤差の積は大体プランク定数を下回ることがないという主張である。
この段階において、旧来の物理の世界で仮想的に考えられていた
「ラプラスの悪魔」は完全に滅びることとなった:
現在の宇宙の全ての物質の位置、運動量などの全ての物理量を
把握しても、未来の完全予測はできない。
それどころか、全ての物理量を「同時に」把握することはできない。
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人間の理性の結晶と思われていた数学と物理において、
10年の間をおかずに決定的な限界(注)がそれぞれに見いだされ、
価値観の転換を迫られた。
奇しくも、当時はナチスの台頭により、社会面でも人間の理性と
議会制民主主義に疑念が生じた頃だった。
このシンクロニシティは、果たして偶然の産物だったのだろうか。
(注)「限界」というのは語弊があるかもしれない。
不完全性定理も不確定性原理も、それぞれの分野の
新たな発展の扉を開くきっかけだったという方が正確である。