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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

京都雑感:グリッド構造について2

2011-10-12 | 京都

京都市街のグリッド構造については以前にも記事にした。

風水(あるいは呪術的)視点から見てみるのも面白い。

 

辻は「異界との門」であるという。

従って、辻を数多く備える京都の町並みは

平安京建都当時から呪術的意味合いを多く備えていた。

 

この見方は現在においても荒唐無稽と言い切るわけにはいかない。

現に、交通事故の過半数は交差点で発生するからである。

(死の世界への入り口!)

それでなくても、京都のように道幅が狭い路地で、

かつ建物が歩道いっぱいにまでせり出している状況では、

歩行者の視野は交差点のぎりぎり近くになるまで狭いままである。

そのため、しばしば交差点で横からの不意の往来に驚かされたりする。

このような場所は、古来から「お化けがでやすい場所」として

扱われるのである。

 

繰り返しになるが、道幅が狭いとグリッド構造の都市でも

決して見通しがよくなるわけではない。

そして、このような場所に怪談が発生するのである。

 

先日は「京都の鬼門」について述べたが、

京都御所の北東角(猿ヶ辻)は鬼門除けのために角が折れ曲がっている。

若干強引なこじつけをすれば、角を折り曲げることにより

辻付近での視界を広げ、不意の遭遇を緩和する効果がある。

 

それでも、幕末にはここで暗殺事件が発生したりしている(朔平門外の変)。

 

--------------

 

京都はそれでなくとも神社仏閣や小さな伝統的コミュニティが多く、

その気になればオカルト的なネタにはあふれている。

 

(京都人そのものがオカルトかも知れないが、

それを言うと本当に呪われる可能性が高いのでやめておこう。)


京都と鬼門

2011-10-11 | 京都

以前、ハロウィンの記事を書いたことに関連する話題。

 

日本では一年の節目として代表的なものに

節分(端午の節句)がある。

一年のうちで最も気温が下がる時期であり、同時に春の始まりでもある。

 

日本独特の風水理論である「四神相応」によると、これは

冬(対応する四神は玄武。方角は北。色は黒(玄))と

春(対応する四神は青龍。方角は東。色は青)の狭間にある。

 

従って、鬼門は方角的には東北であり、これが「鬼門」である。

この方角の対応は太陽の動きと照らし合わせると納得しやすい。

北は冬、寒さ、夜に対応する方角である。

東は日の出の方角であり、日の出の瞬間は

一日のうちで気温が最も低い一方で、一日の始まりを表す。

 

鬼門は丑寅の方角なので、鬼が牛の角をはやし、

寅皮の褌を腰に巻いているのはご存じの通り。

 

時節の切り替わりの時期には、現世と異界の門が

一時的に開き、神々が通り抜ける。

不安定な時期であり、同時に希望の始まりでもある。

一概に、鬼門を不吉なものとして捉えるのは中らない。

 

京都の地理はこうした四神相応を抜きにして語ることはできない。

 

四神相応にあわせた理想的な都は、

東に河(鴨川)または青龍砂(東大文字)、

南に池(巨椋池:干拓により20世紀に消滅)、

西に大通り(山陰道)または白虎砂(嵐山)、北に山(丹波高地)があることであり、

平安京は、この理論に合致する場所として選ばれた。

 

京都の鬼門にあたる東北に位置するのは比叡山延暦寺であり、

都への鬼の侵入を防ぐ王城鎮護の山とされた。

しかし後年、延暦寺は武装化が進み、暴れ神輿を担いで強訴を繰り返し、

白河法皇の名言である天下三不如意の一つである

「山法師」(あとの二つは賀茂河の水、双六の賽)に数え上げられるに至る。

織田信長の比叡山焼き討ちは有名であるが、

それ以前にも度々当時の政権と紛争を起こしているのは、

比叡山が独立国状態を維持していたからである。

 

都を守るはずの僧が鬼になったのである。


京都雑感:グリッド構造について

2011-09-16 | 京都

京都の街は碁盤の目(グリッド構造)である。

道路が東西、または南北方向に平行に何本も通っている。

これは平安京を設置するにあたり、

都市計画がそのように練られたからである。

(通常、都市計画がないと街は多くの場合幹線道路から

道が枝分かれしていき、山河や起伏の影響を受けながら成長するので

グリッドにはなかなかならない)

 

とはいってもここで、だから京都は他の都市と違うのだ、

ということを述べたいわけではない。

グリッド構造の都市はそれこそ掃いて捨てるほどある。

日本でも、札幌などは道路名まで数字で徹底されていて、

「子どもがこの街で育てば、デカルト座標を教える前から理解できるな」

などと数学系出身の人間は無駄に喜んでしまったりする。

 

ただ、グリッド構造の街並みが整然としているからといって、

京都の街自体がすぐ理解できると思うのはただの勘違いである。

 

確かに、曲がりくねった道が多い街よりも、グリッド構造の都市の方が

目的地にたどり着くまでの道のりは簡単にわかるし、

その道のりも寄り道をしなければ直線距離の高々√2倍で済む。

 

とはいえ、普通に歩いていると見えてこない街の風景というのが

実はたくさんある。

逆説的なのだが、グリッド構造の街並みだと目的地までの最短ルートが

かなりたくさんあり、そのとき人は無意識に分かりやすい幹線道路を選ぶ。

従って、その脇にある細道はなかなか通らない。

 

こういう細道に「ほんまもんの」京都の店が潜んでいたりする

(よくも悪くも)のである。

地元の常連しか知らない店などである。

グリッド構造の都市は、見通しがよいようで、実は隠れ場所が多いのだ。

 

人は、道を歩いているうちは所詮、「線」しか見ていない。

結局、街という「面」全体を理解するのは年季がいるのだろう。


京都の見どころ2

2011-09-08 | 京都

昨日の記事と関連して。

 

あるとき、私が外国の研究集会に赴く前、

向こうの世話人の先生に京都の土産物を渡そうと考えていた。

軽く、ある程度丈夫なものがよいので扇子を選ぶことにした。

 

しかし、柄を選ぶとなると難しい。

京都に住む男性という視点から行くと、

黒地に月、すすきの絵柄の入ったものなどといった

渋めのものをつい選んでしまうのだが、店員に尋ねると

もっと日本的なものだとはっきり分かる絵柄が外国人に好まれるのだとか。

 

結局、富嶽百景の神奈川沖浪裏の絵柄を選んだ。

後で考えると、これは絵全体の構成がなかなか数学的に興味深く、

悪い選択ではなかったと思ってはいる。

 

ただ、自分ならこの扇子は買わないだろう、とも思ってしまう。

それほど、「日本人が、日本的だと思っているもの」と、

「外国人の視点から見えている日本的なもの」とはズレがある。

 

だから、外国人に「京都(あるいは日本)の何がお勧めか」と訊かれてもとまどうのである。

 

もう一つ言っておくと、

「日本人も外国人も日本固有のもの」と思っていないにも関わらず、

日本でしか見られないものが実はたくさんある。

たとえば、食品ならカレーライス、ハンバーグ、とんかつ、ラーメンなど。

本来、外国由来だったかもしれないが、年月を経て日本人向けに変質したために

海外で同じものが手に入らなくなっているのである。

 

日本が実は誇るべきものはそういった家庭料理やB級グルメの安さと

質の高さなのではないか、と私は秘かに思っている。

 

外国人に勧めても絶対喜ばないだろうが。


京都の見どころ1

2011-09-07 | 京都

海外にいたとき、外国の先生に

「京都の見どころを教えてくれ」と言われ、

妙に返答に困った記憶がある。

 

彼は純日本的な伝統文化が見たいらしい。

でも、正直なところ、私だってそういう伝統文化にあまり触れていないのだ。

 

能、狂言、茶会、歌舞伎、舞妓、琴・三味線などなど。

京都において特定の場所に行けば確かに目にすることはできるだろう。

そういう意味では、確かに京都には何でもある。

でも、そこに行くためには金とコネが必要なのだ。

ふらりと一般人が行けるわけではないのだ。

 

とりあえず彼に対する質問には「寺がたくさんあるよ」と言ってごまかした。

手軽に触れることができる日本文化であることは間違いない。

 

他にも、和菓子、扇子、抹茶、着物、和紙製品など、

観光客を狙い撃ちにしたような郷土品はそれこそ腐るほどある。

ただ、それらは彼が本当に望んでいるものかどうかは分からないし、

私から言う必要もないと思ったから勧めなかった。

それこそガイドブックを見ればよい。

 

そういう手軽なものは、それ単体では価値が薄いのである。