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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

京都市市長選

2012-01-27 | 京都

京都市市長選が近く行われる。

 

投票率向上のための啓発活動として

選挙管理委員会が街中にポスターを貼っている:

そこには笑顔の男性と女性が

「『優しさ』かな」

「『絆』だよね」

というセリフと共に描かれている。

 

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そんな曖昧で悠長なこと言ってる場合じゃないだろう、

と実情を知っている人なら思うはずだ。

京都市は放漫経営により財政破綻寸前なのである。

大阪を笑ってはいられない。

 

世界に冠たる観光都市で外部からの資金獲得には困らないはずなのに、

どうして借金を溜めこむことになったのか。

 

このポスターに反発を覚えるのは、

こうした実態を綺麗な言葉で糊塗しようという思惑が透けて見えるからだ。

 

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大阪は維新の会を率いる橋本市長が辣腕を奮っている。

まだ評価をするべき段階ではないが、少なくとも現状の課題に対し

正面から取り組んでいるようには見える。

 

対する京都はどうかというと、立候補者は前回と同じ、

門川大作(現市長)と中村和雄である。

この二人は前回市長選で競って(差は千票未満)

僅差で門川が勝った。

 

門川は教育畑出身らしく、公立中学・高校の改善には

一定の効果を挙げている。

市会計にもメスを入れ、実質収支は22年度決算で黒字に転換した。

 

http://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/cmsfiles/contents/0000105/105022/22kessanngaikyou.pdf

 

ただし。この資料の6ページで騙されないでほしいのだが、

市の実質市債残高は1兆9000億円もある。

グラフの縦の目盛を細工して大きく残高削減しているように見せているが、

実際は3年かけて3%程度しか減らせていない。

借金を100年かけて返済しようとでも思っているのだろうか。

絶望的な金額である。

あと、門川は金銭授受に関して色々黒い。

 

中村は、共産党の支援を受けている。

京都市は、過去に共産党出身者に市政を任せたときに

教育・インフラともに痛い目にあった歴史があるので、

(元々アンチ共産であることを除いても)私は到底支持する気になれない。

門川に不満があったとしても、である。

 

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結局、どちらが「まだマシか」で市長を選ばなければならないところが辛い。

京都市はいずれかの段階で、利権に切り込まないといけないのだが。


パリジャンと京都人

2012-01-14 | 京都

これは私の持論なのだが、

パリジャンと京都人は似ているように思う。

 

まず、それぞれの都市が置かれている状況が似ている。

観光都市として、イメージ戦略の浸透が成功して

毎年国内外から多数の観光客が訪れている。

パリは「花の都」、京都は「雅の古都」…

正直住んでみると、「持ち上げるのもほどほどにしておけ」

と突っ込みたくなるくらい上のキャッチコピーとのギャップを感じるのだが。

 

この二つの都市の住民は、都市の歴史遺産に乗っかって

商売をしていると言ってもいいのだが、

それが逆にこれらの都市住民独特のプライドと頑固さの原因にもなっている。

よそ者に対して厳しいのである。

外部から来た人間は、彼らにとっては「田舎者」である。

 

パリジャンは露骨に顔に出す。

京都人は愛想笑いくらいはする。

根底にある差別意識は、「いけず」という伝統芸で表現する。

 

縄張り意識も強い。

京都の祇園祭に出てくる山や鉾はそれぞれの町の

意地の張り合いで豪奢になっていったのである。

 

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パリに行ってみると、日本人が想像する以上に

様々な肌の色の人種に巡り合う。

黒人、中東系、アジア人、…

彼らが経営するレストランも多い。

 

それらの人々の存在はイメージを崩すからなのか、

日本で販売されているパリの観光本ではあまり強調されていないが、

もはや彼らこそがパリの中心的存在と言ってもいい。

 

正直なところ、パリでフレンチ料理を食べるのは

コストパフォーマンスが悪い。

日本でも十分美味しいフレンチは食べられるし、サービス精神も良い。

パリでそういったサービスを期待しない方がいいと思う。

日本人は彼らにとっては「田舎者」なのだから。

お金を持っていてもせいぜいが成金扱いである。

 

むしろ、ケバブなどを扱っている中東系の料理店などの方が値段も手ごろで美味しい。

彼らは一生懸命商売しているからサービス精神もある。

「パリらしくない」と、日本人観光客は首をかしげるかも知れないが、

本当は彼らが一番「パリらしい」のである。


京都のもう一つの座標軸

2011-10-26 | 京都

京都は道が東西南北に走っていて、座標平面のようになっている。

 

しかし、京都では忘れてはいけないもう一つの座標軸がある。

時間軸である。

街中の所々にさりげなく昔と行き来する門や淵があり、

覗き込むとそれが想像を絶する深さがあったりする。

まっすぐな道とは違い、時間軸方向は色々見通しが悪く、

それが京都の町並みを見た目以上に複雑にしている。

 

時間軸と言ってもピンと来ないかもしれないが、

それは地層として形を変えて垂直方向の軸として現れる。

京都の歴史が地中に層となって折り重なっている。

京都の街は掘り起こすと必ずと言っていいほど

遺跡が見つかるので、新規にビルが建つまでしばしば時間がかかる。

京都中心部の再開発がなかなか進まない原因の一つにもなっている気がするが、

京都人自身がさほど再開発を望んでいないのでこれでいいのかも知れない。

 

ともかく、京都が持つ歴史の長さのために、

時間軸を併せて考えると京都全体は伝統としがらみが複雑に絡み合った

迷路のような都市になっている。

 

それもこれも、京都自身が長い間都市としての機能を失うことなく、

連綿と続いてきたからであるが、一度それがまとめて全て灰燼に帰す危機があった。

太平洋戦争である。

戦争末期に、東京は大空襲を受け、

広島、長崎には原爆を投下された。

 

京都は空襲を受けたが少なかった。

実はマンハッタン計画の初めから、京都は原爆投下候補地だったのである。

原爆の威力を評価するには、原爆投下時に街並みが保たれていなければならない。

「アメリカが日本の文化財を守ろうとしたから京都を攻撃しなかった」

というのはあまり信用できない理由づけらしい。

 

結果的には、京都は大空襲も、原爆投下も行われることがないまま

終戦を迎えた。

都市としての運がたまたま良かったのである。

四神相応の地で、風水的に恵まれていたからだ…と

こじつけるのはさすがにやりすぎだと思うが。


阿倍晴明と五芒星

2011-10-24 | 京都

京都の堀川烏丸を少し下ったところに晴明神社がある。(注)

 

阿倍晴明というのは、平安時代に活躍した陰陽師の中でも

腕利きであったとされる。

少し前の話になるが、夢枕獏原作、岡野玲子作画の「陰陽師」という

漫画の主人公にもなっている。

(余談だが、以前の記事はこの漫画の影響を受けている)

 

この神社の正面でひときわ目を引くのは、五芒星が描かれた一対の大提灯である。

五芒星は日本の伝統文化となかなか思いにくいが、その由来は実はかなり古い。

この阿倍晴明神社の場合、五芒星は晴明紋であり、

陰陽師の用いる陰陽五行説にちなんだものである。

(これは中国から伝わったものらしいが、日本で独自に発展を遂げた。

ちなみに既出の四神相応も日本では中国の本来の理論とは異なった解釈になっている。)

 

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五芒星自体の歴史は五行説よりさらに古く、メソポタミアまで遡るらしい。

魔術の記号、または魔除けのシンボルとして世界各地で用いられる。

 

ただし、キリスト教圏ではユダヤ教由来の六芒星(ダビデの星)が

教義上聖なる意味を持つとされ、五芒星は異端の象徴として禍々しいイメージを

植えつけられてしまった。

五芒星の上下を逆にすると、二本の角が「悪魔」のように見えるらしい(?)。

 

小説・映画の「ダ・ヴィンチ・コード」ではこの五芒星のキリスト教的な負のイメージを

うまく活用しているのだが、逆にいうとそうした文化背景を持たない日本人などには

理解しにくい側面もある。

 

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多少数学の話をすると、5角形は(従って五芒星も)定規とコンパスで作図可能である。

素数pのうち、作図可能な正p角形は2^(2^n)+1の形をしていることが

知られており(作図可能の十分条件でもある)、これらのpはフェルマー素数と呼ばれている。

今のところ、フェルマー素数はp=3,5,17,257,65537しか知られていない。

 

要するに、7角形は絶対(!)作図できないが、65537角形は作図できる…理論上は。

65537角形を本気で手で作図しようとする人がいるのかどうかは疑問であるが。

 

(注)大阪阿倍野にも阿倍晴明神社があるらしい。


地主神社

2011-10-18 | 京都

清水寺のすぐ側に、地主神社がある。

 

日本建国以前から存在する神社らしく、その起源はわからない。

一説によると、縄文時代まで遡るらしい。

1994年に世界文化遺産に指定されている。

 

ただ、参拝してみると分かるのだが、

その肩書とは裏腹にえらくファンシーな外見になっている。

最近改築されたのか、使用木材も新しく、

年月の重みを感じることができない。

どこぞの新興テーマパークの中に入っていても違和感がない感じである。

縁結びの神社ということで、最近の恋愛至上主義の風潮からか

ひっきりなしに参拝客が訪れ、修繕費用などに困らないのだろう。

 

神頼みをしてもさして期待できないにもかかわらず、

これほどの人が訪れ、お金を落としていくのは裏を返すと、

恋愛で悩み、苦しむ人がよほど多いということの裏返しなのだろうか。

現代社会の病性を表しているような気がする。

 

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京都では石を投げれば寺社仏閣にあたる。

清水道を上がる途中でも道端にいくつか

小さな寺がひっそり佇んでいるが、

観光客の目的は清水寺と地主神社なので見向きもされない。

 

その名声によって厳然と存在する寺社の間の格差。

小さな寺社を無視し、有名どころにばかり願掛けを行う参拝者。

それで神仏が参拝者に振り向いてくれるのかどうかは、分からない。