萱葺きだより

三方だより改め 萱葺きだよりとして
ブログ始めます。
新米萱葺き職人の日々を、いつ更新できるか今から不安です。

帰ってきました。

2008年12月27日 20時24分49秒 | Weblog
12月4日より旅に出ていましたが、26日に無事帰ってきました。
いろんな事がありすぎて、一度にはUPできませんので、
正月休みの暇にまかせて、四国、九州バイクの旅ブログを
書いて行こうと思っています。
世の中、派遣切りや失業でこんな能天気にバイクでフラフラしていて
申し訳ないですが、その分自分でリスクを背負って生きる職人です。
これからは、会社に雇われるのではなく、自分の技術や人柄を武器に
商売する相手が見える商売が流行るような気がします。
裏返せば、何も信用できない世の中なんでしょうね。
民間が瀬戸際に立っているときに、役所は26日が御用収めって
お前らみんな解雇されろ!!と私は思う。

霧島では雪

2008年12月21日 20時48分43秒 | Weblog
鹿児島の枕崎から宮崎へ引き返すこととする。
12月始めからの旅行もいよいよ終盤を迎える。
枕崎では公園に野宿し近くのスナックへ自分のお祝いに出かけた。
恵比寿町の居酒屋枕海(まんかい)とても親切にしていただきありがとう
ございました。
カウンターの大柄なお姉さん、私とおない年とは思えない若々しさで
楽しいひと時をありがとうございました。
このまま行けば正月も九州になりそうなので、折り返しのポイントを
見つけ引き返す事となる。
霧島では雪でさすがに野宿は苦しく国民宿舎に泊まることとなるが
温泉がめっちゃすごく、卵スープか下水の浄化槽みたいに湯の花が
浴槽にあふれるかけ流し温泉。
全身、ゆで卵が腐ったような硫化水素ずけになってツルツルになりました。
霧島温泉 みやま荘 温泉は最高です。

 知覧飛行場

2008年12月20日 20時30分19秒 | Weblog
鹿児島市内を抜けて佐多岬を目指す。
途中、知覧飛行場跡を尋ねる。
中学校2年生の時に読んだ知覧の特攻の話は今でも強烈に焼きついているが
今回、再度思わされることとなった。
知覧は陸軍の飛行場で、特攻機もキー型とかで、繊細ではないけれど
1t爆弾を抱えての特攻は今想像することができない。
遺書や書簡を遺品として展示してあるが、昔の人は字がとてもきれいだ。
明日死に向く書簡の内容は、日常をつずった内容が多かったが、本当は
母親にありのままの心境を残しかったに違いないと思う。
大勢が右と言ってる時代に左とは言えない時代。
今、大勢が右と言う時代、勇気を出して左といえる人や政治家が出ないのは
ナゼなのだろうか?
せっかく与えられた選挙権を放棄し、文句ばかり言う今の若い人たち。
一度、広島、長崎、知覧に行ってほしい。
なぜ、君たちが今生きていられるかの答えを見つけに。
その為なら、1兆円国庫から支出しても私は良いと思う。

弐式大艇

2008年12月19日 09時05分31秒 | Weblog
鹿屋の海上自衛隊基地を見学する。
資料館があり、昔の飛行機が現物展示してある。
目玉は弐式大艇とゼロ戦。
よくまあ、あんな大きな飛行機が空を飛んだんだと感心する。
昔はエンジンだって非力だったろうに。
それに引き換え、ゼロ戦は繊細な作りでちょっとでも被弾したら
バラバラになりそう。
性能美は究極のデザインを生むのがわかる。
でも、そんな飛行機に乗って敵空母に突っ込む二十歳前後のパイロット。
今の日本があるのも、みなさんのおかげです。
生きていれば80歳を超える年、そんな年寄りを年金や医療費で苦しめる
今の政治。
いたずらに雇用不安をあおるTVや新聞、企業努力せず便乗解雇する会社。
明日はどうなるかわからない社会。
国会中継や新聞を見ていると、昔特攻で死んでいった人達が
守ろうとした日本が今こうなってると知ったら死んでも死に切れないと思う。
とりあえず、公務員の半数はこの際失業してもらおう。
失業体験したあと再度職務につけば、今までしていた仕事の改善点が山のように
出てくるんじゃないかな。

日本最南端

2008年12月18日 08時46分34秒 | Weblog
鹿児島の先端、佐多岬に到着。
本土最南端と書かれてあるが、沖縄は日本ではないのか?
日本人は最南端とか最北端など先っぽが好きな人種のようで
ありふれた半島に行くことに有り難味を感じる。
佐多岬は最南端でなければわざわざ行くほどでもない辺ぴな所だったけど、
日本一周した人は到着すると感動するんだろうな。
途中内之浦宇宙基地に寄ってロケット見学したけど、種子島に基地が移ってしまい
時代遅れの博物館のようで、あれはあれで見るとこがあると思う。
ロケット管制室なんか、昔の電算機みたいで、NECが作ってたらしく、制御ボタンや制御パネルが某銀行の電算機と同じ雰囲気で懐かしかった。
風が強くてテントが飛びそうなので、山の中の空き地に野宿する。

先輩すみません!!

2008年12月17日 20時59分53秒 | Weblog
宮崎まで数キロのところで日没となり
お風呂を探して野宿となる。
ホコホコの体を湯冷めしないよう近場の公園を目指すが
国道を外れると何も無い。
シーガイヤ近くの県民の森にあつらえたような東屋があり
テントを張って遅い夕食となるが、突然大声とともにテントを揺すぶられ
ビックリして外に出ると、東屋の住民が血相を変えて怒って向かってくる。
恐ろしかった、怖かった。
でも飲んでたので、ふらふら言いつくろって最後は一緒に酒盛りした。
浮浪者のおっさんも話せば良い人で、寒いから自分の布団に入って飲めと
言ってくれるが、虫がいそうで遠慮した。
良い人、普通の人、やさしい人、貧乏な人 
裕福でも人に思いやりの無い人が多い世の中。
人としての原点を感じた一夜でした。
おっちゃん、元気か、寒いけど病気するなよ!!

早寝早起き

2008年12月16日 16時41分49秒 | Weblog
夕方4時くらいから今晩の宿と風呂、夕食の心配をしながらの走りとなる。
最初は温泉。次に温泉から近い寝場所の検討をつけてスーパーの惣菜売り場へ
駆け込み、夕食の買出しとなる。
九州はさすが温泉天国だけあってどんな銭湯や温泉でもレベルが高い。
今日は西風が強くテント張る場所も考えなくては飛ばされてしまう。
夕食は豆腐、豚肉、白菜、ウドンの水炊き。
狭いテントの中で鍋を作れば、すごく暖かくなり焼酎のお湯割りを
シュラフの中に足をつっこんで飲めば極楽の世界。
女は要らないと思いながら、道に迷った30過ぎのおねえさんがテントを
尋ねてきたらと思うと、ドキドキする。(まあ来るのは職質するおまわりくらい)

母艦離脱

2008年12月15日 16時13分10秒 | Weblog
カブを乗せていたライトエースをとある漁港の公民館裏に
駐車し、これから純粋なカブの旅が始まる。
冬期なのでシュラフ2枚、毛布1枚、これだけで結構な荷物となる。
まるで豆腐屋の引越しみたいな積載でカブは一路、鹿児島を目指して南下する。
途中、あまりに景色の良い川の沈下橋で写真を撮ろうとカブを離れたすきに
強風がカブを倒し危うくカブは水没するとこだった。
クリアケースが割れた位で幸運だった。
川底も透き通って見える絶品の川だけど、たぶん水深は3m近くある。
沈んだカブを呆然と見送る姿を想像しただけでも、ケースが割れるくらい
ありがたいと思える。
ケースに貼った金比羅さんのステッカーが効いたのだと思う。

つわものと一緒に

2008年12月14日 10時07分31秒 | Weblog
昨夜隣に張ったテントに声をかけると
なんと女の子だった。
7月からずーーーーーーっとバイクで走り回っているとのこと。
最近は女の子の方が行動的というか、歩き遍路も女の子を良く見る。
佐多岬まで一緒に走るが、風が強くてバイクがこけそうになる。
5年前、途中まで自転車で走った岬までの道をカブで走る。
坂の連続でよく自転車で走ったものと感心する。
突端の佐多岬は行くだけの価値があるすごいとこでした。
彼女は九州から四国へ、私は四国から九州へ。
フェリーを見送ってくれたまゆちゃん。
今でもどこか走っているのでしょうか?
東京へ帰ったらメールくださいね。
この半年の体験は貴方の宝物になるでしょうね。

卒業検定

2008年12月13日 08時49分32秒 | Weblog
5泊6日の二輪教習も今日で終わった。
コースは最初に覚えた1コースが試験コースとなったが
一本橋と急制動が終わったあと、コース間違えて波状路を飛ばしてしまい
無線でコースに戻る指示が、ああ何の疑いもなくコースを間違えてしまった。
ぐるっと回ってやり直し、検定終了。
減点も少なく合格できたが、久々に緊張した時間を過ごした。
観音寺自動車教習所はコースも広く、宿泊施設もよく合宿で免許取るなら
おすすめですが、おっさん一人で来ると寂しいかも。
午後から九州を目指してカブをトラックに載せて旅立つ。
大型バイク乗る機会はこれで終わったかも。
小型船舶取ったときも、免許取って一度も乗らずに失効してるし・・・。
四国佐多岬の道の駅でテントを張って野宿する。