限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

語りつないで!遺族の思い 命こそ宝

2018-01-20 20:04:17 | 日記

 私が 敗戦50周年記念比島慰霊の旅に参加したのは1994年11月24日でした。8人兄弟の末っ子13歳の私に 敗戦時3兄17歳の戦死広報がきたのです。あれから50年 やっと兄の厚生省主催比島慰霊の旅に参加することができたのです。全国からの遺族が機内に座ると なんとススキ色 50年の年月が遺族を白髪にしたのでしょう。

 機内食 見て偲ばるる敗戦の 比島で飢えし 兄の苦しみ       慰霊団 写真見せ合う 老婦人 青年の夫 白髪の妹        

 比島巡拝 亡き夫偲び 杖つきて 荷物を引きて 77の妻は(保険外交で一人息子を育て 独り暮らし やっとの思いで参加)

 知事らの 献花の中に ただ一つ 「戦争反対」うたうものあり(ここで初めて平和遺族会との出会いがありました。) 

  父の顔 知らぬ遺児達 慰霊時の雨の思いを 我にとうなり (Tさんも黄泉の国に旅立ちしとか 遺児の長女は結婚せず母を支えて〃)        

 腰かがみ 床を見つめて巡拝の しわ深き妻 重き足取り

 あれから72年遺族も黄泉の国に旅立った方も多いです。当時kさん72才 昭和18年結婚 翌年長女出産 20年夫戦死 乳牛30頭小姑5人 5歳下の義弟と23年結婚 長女が病のため来られず逆縁の夫との旅でした。初めての異国 バタ-の紙もむけず困っていたので助けたのですが,年下の夫も糖尿で視力が弱かったのです。今94才です。どうしていられるでしょう。

 そして72年後 死者の悲しみを生かさず戦前回帰になっていませんか!

 集団疎開 お手玉をほぐしあずきで飢えをしのぐ       検閲で飢えも寒さも子ら書けず   体罰も挙国一致で許されて

 愛国と言う名で子等を戦場へ                鼻すすり 生き神様(天皇)の勅語聞く

 負けいくさ 国体護持で民殺し (神風とか嘘の情報】    空襲で あごが外れた壕の中

 道徳の名で 物言えぬ子ら育て               ドレミフアをハニホヘトだと教えられ(捕虜になることを許されず)

そして 勤評 勤評は上向き 子を見ず流される       教師に 君が代強制 職員会議より校長の議決権を        

 特攻の生き残り 郷土にいられず上京 教師となり校長に 君が代歌えと流されていく (矛盾はあれどこれでよいのか

 今年の平和遺族会 nさんは父を知らず逆縁で母と結婚したの義父 弟を思ひ早く家を飛び出し東京で仕事に就いたそうです。流されず過去を思ひ夜学に通い教師の道についたのです。「平和こそ宝」と地域で今も活動しています。  我が友も 今 9条守れと日々歩く

 過去の歴史を忘れず未来に生かすことが大切なのに 沖縄との連帯を! 命こそ宝 アメリカの不沈空母でありません。民意を生かせ!


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