茶道教室の初釜です。
茶道と初めて出会ったのは高校1年の時です。
母に勧められるまま、茶道教室へ。今から思えばもったいないことですが、欲も興味もなく、言われるままに通ったものです。記憶が定かでありませんが3,4年位通ったでしょうか。
ところが昨年の春、数十年ぶりに、もう一度習いなおしたいと思ったのです。
母が生前、「お茶をもう一度習えばいいのに」とよく言っていたのが絶えず私の頭にありました。
「孝行したい時に親は無し」今から孝行のつもりで習ってみよう、というのもきっかけの一つです。
稽古は普段は洋服ですが、初稽古は出来れば和服でと先輩から聞き、さてどんなものが相応しいかと和服のTPOに悩みました。
和服は、結婚前に母が揃えてくれたものばかりですから、今の年齢からすれば派手なものばかりです。
正月なので、着物は今の私の年でもまだ着られそうな、白地に絞りで雲どりした綸子が相応しいかと、これは迷わず決められました。そして帯は、今の時期にぴったりの、白い椿を織り込んだ朱赤の緞子の帯がいいだろうか。
ただ、かなり派手な色合いですから、ちょっとどうかと思いましたが、このまま一度も締めずにいたのでは母に申し訳が立たない、などといろいろ迷い、でも結局、思い切ってそれに決めました。
さて、次は上着です。多少地味目な道行があり、それが相応しいかとも思いましたが、それはもう少し後でも着られると、除外。
いくつかある羽織の内、それこそ仕付け糸が付いたままの未使用の真赤な羽織があります。これもかなり派手かと思いましたが、この羽織は母が特に気にいってたことを思いだし、今のうちに着なければもう着る時期を逃すと思い、これにしようと。
似合うか似合わないか、派手かそうでないか、という判断基準より、揃えてくれたものを活かして着ることが、母の供養になるのでは・・・。
そう思いながらも、不釣り合いを心配しながら教室に入るや、教室の仲間の一人が「その赤い羽織、素敵ですね」という言葉に、思いきってこれを選んで良かった、とホッと胸をなでおろしました。
45年間タンスに眠っていたものを、こうしてやっと使うことが出来、母からの宿題を一つかたずけたような気がしました。
「願わくばもう少し早く着てほしかった。やっと着物の良さがわかったのね 」と草葉の陰から、母の声が聞こえてきそうです。