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重慶市
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中華人民共和国 重慶市
簡称:渝
別称:山城、霧都
旧称:巴郡、江州、楚州、渝州、恭州
中華人民共和国中の重慶市の位置
中心座標 北緯29度33分00秒 東経106度30分00秒
簡体字 重
繁体字 重慶
音 Chngqng
カタカナ転記 チョンチン
国家 中華人民共和国
行政級別 直轄市
政府所在地 渝中区
設立 1997年
市委書記 張徳江(中国共産党中央政治局委員、国務院副総理を兼任)
市長 黄奇帆(前副市長、元上海浦東新区管理委員会副委員長)
面積 - 総面積 82,400 km
海抜 237 m
人口 - 総人口(2010) 2884.6 万人
- 市区人口(2011) 671 万人
- 都市化率(2008) 48.3 %
経済 - GDP(2010) 10011 億元
- 一人あたりGDP 34,705元
電話番号 023
郵便番号 400000 - 409912
ナンバープレート 渝 A, B, C, F, G, H
行政区画代碼 500000
市樹 黄桷樹
市花 山茶
2010年のHDIは 0.783。
公式ウェブサイト: http://www.cq.gov.cn/
重慶市(じゅうけいし、中国語:重市、英語:Chongqing)は、中華人民共和国の最も若い直轄市である。国家中心都市の一つに指定されている。
重慶市の人口は2884万人(2010年)[1]。市の面積そのものが北海道並みに広く、市内に多くの県や農村部を抱えていることから、人口密度は350人/km2とかなり低い。2011年の都市的地域の人口は671万人であり、中国第7位、世界では第45位の都市部である[2]。
略称の「渝」は重慶市内にある嘉陵江の古称、渝水からきている。もともとは四川省に属していたが、1997年3月14日第八期全人代第五次会議で直轄市に昇格した。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第66位の都市と評価されており[3]、中国本土では北京、上海、広州、深センに次ぐ第5位である。
歴史
古代の巴国の地である。巴国は紀元前316年に秦国に滅ぼされた。南北朝時代に宋が渝州と命名した。これを略した「渝」は現在も重慶の略称として自動車のナンバープレート等に使われている。
1189年(淳熙16年)南宋の光宗により重慶と命名された。
1891年長江沿岸の港湾として対外開放され、1929年重慶市政府が成立した。
日中戦争で首都であった南京が陥落すると、1938年に蒋介石の中国国民党は首都機能を重慶に移転させ、日本軍は中国の臨時首都となった重慶に戦略爆撃、後に無差別爆撃を行った(重慶爆撃)。
[編集]経済
重慶市の2011年の市内総生産は約10011億元(約1570億ドル)である。一人当たりのGDPは約5443ドルであるが、これは中国本土のちょうど平均数字である。
重慶は1895年に締結された日清講和条約の条文にある「清国は、荊州府沙市、重慶府、蘇州府、杭州府を日本に開放する」により対外開放され、長江を使って宜昌を経由して東部へ、また中部の各所への輸送が強化され、外資、民族資本が投入され近代工業が興った。
日中戦争中に南京市、武漢市などから主要工場を疎開させたため産業が集積した。
中華人民共和国成立後、内陸部工業化の重点都市となり、中ソ対立の時期には上海市や東北部から工場が四川省などへ移転し重慶にも多額の国家投資が1976年まで投入された。重慶は機械工業、総合化学工業、医薬品、電子機器、電力設備、食品加工、建築資材、ガラス工業、冶金などの各工業が組み合わさった一大基地となり、一時は「工業は重慶に学べ」のスローガンすら出た。
一時中国6大工業基地の一翼となるが、内陸部から資本の撤退により衰退をしていった。1980年代の改革開放後、上海など沿海部の都市が目覚しく発展したのに対し、重慶は発展から取り残され、以前とは逆に経済的に立ち遅れた地域になっていた。
1997年内陸部振興のため重慶直轄市が新設され、中国人民銀行重慶営業管理部が設置されるなど、再生の努力がなされている。現在の主力産業は自動車産業(自動車、オートバイ)であり、また中国内最大の軍事設備生産の拠点でもある。 改革開放政策による急激な需要の増大に対し、老齢化した設備により一時期大気汚染がひどく、多数の公害病患者が出たことでも知られたが、近年は設備の近代化や環境対策により以前ほど深刻ではなくなってきている。
市内のガス田で2006年3月25日に大規模な天然ガス漏出事故が発生。付近の住民1万人以上が避難する騒ぎとなった。
[編集]行政区画
重慶市は中央直轄市として19市区、15県、4自治県を管轄する。
市区:(○=都市的地域)
渝中区 ○
沙坪区 ○
九竜坡区 ○
大渡口区 ○
巴南区 ○
万州区
陵区
黔江区
江北区 ○
渝北区 ○
北碚区 ○
南岸区 ○
長寿区
永川区
合川区
江津区
南川区
江区
大足区
県:潼南県、栄昌県、璧山県、銅梁県、梁平県、城口県、江県、武隆県、豊都県、奉節県、開県、雲陽県、忠県、巫渓県、巫山県
自治県:石柱トゥチャ族自治県、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県、酉陽トゥチャ族ミャオ族自治県、秀山トゥチャ族ミャオ族自治県
[編集]年表
沿革
[編集]重慶市(第1次)
1949年10月1日 - 中華人民共和国重慶市が発足。一区から十八区までの区が成立。(18区)
1950年3月19日 (18区1管理処)
川東行署区璧山専区北碚行政管理処を編入。
川東行署区璧山専区江北県の一部が十八区に編入。
1950年6月 (7区1管理処)
二区・三区・四区・五区・六区・七区が一区に編入。
九区・十区が合併し、二区が発足。
十三区・十四区が合併し、三区が発足。
八区・十七区が合併し、四区が発足。
十二区および十五区・十一区の各一部が合併し、五区が発足。
十八区および十五区の残部・十一区の残部が合併し、六区が発足。
十六区が七区に改称。
1951年2月22日 - 川東行署区江津専区巴県の一部が北碚行政管理処に編入。(7区1管理処)
1951年6月2日 (7区1県)
北碚行政管理処が川東行署区に編入。(同日市制施行し、行署区直轄県級行政区の北碚市となる。)
川東行署区江津専区巴県を編入。
川東行署区江津専区江北県の一部が六区・七区に分割編入。
1951年6月21日 - 巴県の一部が北碚市に編入。(7区1県)
1951年11月5日 - 巴県の一部が北碚市に編入。(7区1県)
1951年12月7日 - 川東行署区江津専区江北県の一部が六区に編入。(7区1県)
1952年7月31日 - 巴県の一部が川東行署区江津専区江津県に編入。(7区1県)
1952年9月27日 - 四川省北碚市、江津専区江県・江北県、陵専区長寿県を編入。(7区1市4県)
1952年10月7日 (5区1市4県)
七区が二区に編入。
六区および巴県の一部が五区に編入。
四区の一部が一区に編入。
1952年12月19日 - 長寿県の一部が四川省陵専区陵県に編入。(5区1市4県)
1953年1月16日 (5区1市)
巴県・江県・江北県が四川省江津専区に編入。
長寿県が四川省陵専区に編入。
1953年3月13日 - 北碚市が区制施行し、六区となる。(6区)
1953年3月27日 - 四区の一部が四川省江津専区巴県に編入。(6区)
1954年3月18日 - 四川省江津専区巴県の一部が四区に編入。(6区)
1954年6月19日 - 四川省に編入され、四川省重慶市となる。
重慶市 - Wikipedia
http://www.google.com/gwt/x?wsc=tb&wsi=81a5c554d8265005&source=m&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org/wiki/%25E9%2587%258D%25E6%2585%25B6%25E5%25B8%2582&ei=EBn9T8zqB5evkAWT6u2SDA&ct=pg1&whp=30
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