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従軍慰安婦とは - はてなキーワード
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「従軍慰安婦」とは、1932年の第一次上海事変から1945年の敗戦までの期間に、日本、植民地、占領地から、日本陸海軍がつくった慰安所(買売春施設)に集められ、軍人・軍属の性の相手をさせられた(未成年者を含む)女性たちのことです。
日本陸海軍の「慰安婦」とされた女性たちには、日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、華僑、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、ユーラシアン(白人とアジア系の混血)、太平洋諸島の人々などがいました[注1][注2][注3]。
1991年に韓国の元慰安婦が戦後50年にわたる沈黙を破って名乗り出て、補償と謝罪の要求が提起されたことで慰安婦問題は広く知れ渡るようになりました。
従軍慰安婦という呼称は千田夏光のルポ『従軍慰安婦“声なき”女八万人の告発』(1973年)からきていると言われていますが、それより以前の1971年8月23日号『週刊実話』のなかにも「従軍慰安婦」の記述がみられます。
近年は、日本国内では「慰安婦」と括弧を付けて表現されることが多く、海外ではcomfort womanまたはsex slave(性奴隷)[注4]という表記が一般的で、韓国では「挺身隊」といわれることが多い。
1991年まで日本政府は軍と慰安婦の関係を「民間業者が連れ歩いた」「関与していない」と国会で答弁し、軍との関係や責任を否認してきました。しかし、1992年1月に軍の関与を立証する6点の史料が発見されると、政府は当時の史料の調査や元慰安婦の方々への聞き取り調査などを行い、それを踏まえ1993年には軍の関与と強制性を認め[注5]元慰安婦の方々へ謝罪しました。また、民間の基金から公的な賠償ではない「償い金」というかたちで一定の補償を行いました。ただしこれには、韓国、台湾、フィリピンで受け取りを拒否する人が相次ぎ、中国は対象になっていないなど問題も残しました。
現在、従軍慰安婦の問題は、国際社会では、女性への性暴力と人権侵害という普遍的な問題であると認識されており、他にも、被害を名乗り出た女性たちの尊厳の回復や補償の問題、慰安所において性的行為を強制された体験からくるPTSDの治療の問題、軍隊という国家組織が管理売春制度を創設し運用していた問題、さらに前借金で人身を拘束し廃業の自由の保障も無く、事実上の人身売買制度であったという問題、醜業やピーと蔑視したまなざしの問題、“慰安”婦という実態と乖離した呼称の問題など、さまざまな問題が含まれています。
性暴力や人身売買の問題は今でも世界各地で解決できずにいる問題として、2000年の国連安保理決議でも「性暴力を含む戦争犯罪の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任がある」ことが強調されています[注6]。
[注1]慰安婦とされた女性たちの国別、民族別の構成については、被害を名乗り出た女性たちの証言の他に、当時の日本軍将兵の証言や史料によって裏付けられている。例えば、第41兵站警備隊としてマレー進攻作戦に参加した竹森一男は「勤務隊の手で、街の中央部に慰安所が開設された。どこから集めてきたのか、マレー人、インド人、中国人の慰安婦に、朝鮮婦人がかなりまじっていた。」と証言している。:林博史教授(日本近現代史専攻)『マレー半島における日本軍慰安所について』:http://www32.ocn.ne.jp/U+203Emodernh/paper09.htm
[注2]第二五軍の兵站に所属した兵士は「1942年1月2日、マレー半島の上陸地点シンゴラにいた兵站将校ら3名がタイのバンコク出張を命じられた。そこで彼らは、日本企業の駐在員に頼んで23名の娼婦を集めてもらい、性病検査に合格したタイ人女性3名を連れて帰るなど、各地で軍慰安所開設を担当した」と証言している。林博史『マレー半島における日本軍慰安所について』
[注3]防衛省がまとめた「海軍航空基地第2設営班資料」には、インドネシア・ボルネオ島(バリクパパン)の海軍基地で「主計長(中曽根康弘)の取計で土人女を集め慰安所を開設」とある。:http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html
[注4]「1926年の奴隷条約において、奴隷状態の最初の包括的な定義が明記され、その定義は現在も広く認められている。『奴隷状態とは、所有権を伴う権力の一部もしくは全部が一個人に対して行使されている状況もしくは状態である』、レイプなどの性暴力の形態による性的接触も含む。」:奴隷状態の定義 - 従軍慰安婦問題を論じる
[注5] (1993年)平成5年8月4日『河野談話』、正式名『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』外務省:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
[注6]国連安全保障理事会決議1325号(2000年10月31日採択)和訳:http://www.ajwrc.org/doc/sc1325.pdf
■1. 強制連行はあったの、どうやって集めたの?
1993年に発表された日本政府の調査結果では、参謀本部や陸軍省といった軍中央や政府が「組織的な強制連行」を命令するような公文書は発見されなかったとしています。しかしその後、現地軍や各部隊単位で暴力や脅迫を用いて女性を無理やり連れて行くような「強制連行」をいくつも行っていたことが報告されています。
1994年にオランダ政府が公表した『日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告書』と題する公文書には、インドネシアのオランダ人抑留所から強制連行された女性たちが慰安所で性行為を強制されたことが報告されています(詳しくは後述『4. 強制連行などの証拠はあるの?』)。