毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ゆっくり育てる 思考回路も作物も

2016年06月29日 10時58分33秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「自他一体」 と言ったところで、他者の存在をそっくり否定するわけではありません。

そういう見方もある ということ。

そして、新たな視点が現れることで 自他分離一辺倒でなく 状況に応じてさまざまな見方が選べるのだとわかると、人生が変わります。




自他一体を少しずつでも受け入れられるようになると、被害者の視点が いかに自分の足を引っ張っていたかが よくわかります。

自分は他者のせいでこんなことになったのだ、悪いのは向こうだ、仕返ししてやる、謝らせてやる。。。。心の奥に潜むこういった意識が すべてを自分が起こしていたと氣づくのを遅らせ、現状に足止めします。

相手への攻撃は 結局自分に返ってきて、また他者に腹を立てて・・・・・と どこまでも堂々巡りが続きます。




「他者は自分の鏡」 という見方は、外にぶつけた悪口雑言の物差しを 自身に向けるときは 勇氣がいりますが、いったん 「うわ~、自分も同じことやってたよ」 と氣づいて そんな体験が積み重なると、自他一体の視点への信頼が増し、堂々巡りを抜ける 大きな力となります。

不遇を他者のせいにするのをやめ、どうやって状況を変えようかと 進んで考えを巡らせ始めるとき、すでに望まぬ環境から 半ば抜けているのです。




分離の視点は、それ自体が悪いというのではなく、どこでどう使うか ですね。

他者の存在を認めるから 家庭や友情や恋愛が楽しいのだし、みなで力を合わせて何かを成し遂げる喜びも 他者あってのこと。

被害者視点も 自他一体に向かうプロセスの一部と思えば 決して無意味なことではありませんが、あまり長く引っかからないに越したことはないでしょう (^_^;)

異なる視点を自在に行き来することで、視野が大きく開け 人生が一段と豊かになります。




こんなふうにさらさら書いていると さも順風満帆といった印象ですが、実際は 今でもしょっちゅう小我の過去視点に引き戻されてはアタフタの、「三歩進んで二歩下がる」 を地で行く 牛の歩みです

自分のクセに氣づいたからといって 一瞬で負がすべて消えてなくなるわけではない、引き戻されては抜け出し、引き戻されては抜け出し、の繰り返しです。

そして、その繰り返しによって 新しい思考回路を鍛え上げ、確かなものに育てているのだと思っています。

畑仕事や保存食作りと同じく 地味でスローで氣の長い私にぴったりの、地道で実り多い作業です (^o^)























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