世界がますます騒がしくなってきているようですね。
そこに誰のどういう意図が絡み合い作用しているにせよ、とにもかくにも いま世界はこのようなことになっている。
で、私たちはそのどこを見るのか、どんな立ち位置から 目の前の世界のどこに焦点を合わせるのか、ということです。
個の視点と引きの視点の行き来は、感情の扱いがカギとなります。
感情的になっているときの私たちは、自身が構築した世界の登場人物 (主人公) として世界の内にいて、さまざまな出来事を味わい体験する立場にあります。
ここでは ネガティブな体験もアリ。。。というか 魂的にはむしろ歓迎、なにしろ 本質としての自分には味わえないそういった感情を知るためにこそ、私たちはわざわざ不自由な思いをしてまで この形ある世界にやってきたのですから。
ただ問題なのは、一度体験すれば十分なはずのネガ感情やネガ観念から抜け出せなくなってしまったとき、すなわち否定的な体験をするために潜在意識に仕掛けられたネガ情報がうまく外せず、バグとして居座ってしまったときですね。
バグが困りものなのは、本来フィフティフィフティで自由に選べるはずのネガポジなのに、コントロールが効かず ネガのほうにばかり引っ張られてしまうため。
同じような不快体験を何度も何度も繰り返せば、誰だって自信を失い セルフイメージが下がって、ますますネガから抜け出すのが難しくなります。
ここで有効なのが、引きの視点に立つこと。
引いたところから 感情に囚われている自分を眺めるときの私たちは、登場人物ではなく 自身の世界の作者 ・ 創造者の視点に立っており、作者としてバグを無効化し 否定的観念を塗り替えることができるのです。
引きの視点に立つには、先ほどの逆で 感情的にならないことが大切であり、感情から距離を取るには、言葉を引っ込め 極力使わないことです。
感情とは、ある種のからだの感覚に 「悲しみ」 「怒り」 「後悔」 などと 言葉によるラベルがついたもの。
感情から 苦しいだの辛いだのムカつくだのといった言葉を取り去ってしまえば、あとに残るのは 胸が締め付けられるとか 手足や顔の筋肉がこわばるとか 全身の力が脱けるとかいう感覚だけ。
その感覚を 言葉を用いずじっと感じていると バグが消えることを、体験から知りました。
最近さらに、感覚に集中しながら 深く静かな呼吸を繰り返すと、手放しの時間が短くなることがわかってきています。
バグが外れたかどうかは、起こる出来事や 自身の反応が変わってくることでわかります。
こうして自分が変わり 自分の世界が変わるにつれて、当然氣分もよくなってきますから、今度はそのいい氣分を存分に味わうことで、再び世界の内に入り込み 体験者に戻って楽しめばいいのです。
以前から何度も書いていることを なぜいま改めてお話しするかというと、いまのようなときこそ必要な情報ではないかと思うからです。
イスラエルで ガザで ウクライナで ロシアで起きている戦闘とその犠牲者、覚え切れないほど世界のあちこちで起きている地震や洪水や大規模火災などの災害とその被災者、加えて病氣に事故に恐ろしい事件の数々、さらには世界規模での食糧危機だの経済危機だのと、これだけの報道に連日さらされていて 氣分が落ち込まないわけがありません。
YouTubeのお勧め動画にも やたらと 「20○○年に大災害が」 「世界大戦が近づいている?」 「日本滅亡か!?」 といったおどろおどろしいタイトルが現れるところからも、人々の不安が見て取れます。
不安を感じるのは当然ですが、不安に囚われ 振り回されたままでいると、その不安が形となり 現実になってしまいます。
ここで思い出していただきたいのが、この形ある世界では どんな物事にも相反する二面があるということ。
こんな氣の滅入るようなニュースにもいい使い道があって、それが 「感覚フォーカス → ネガ観念の手放しのチャンス」 ということなのです。
悲しいニュース、痛ましいニュースの数々に心を乱されたときこそ、そのおおもとに潜むバグとお別れするチャンス。
地味に忍耐のいる作業ではありますが、その積み重ねは 確実に私たち一人一人の意識や感じ方を変え、世界を変えます。
「ピンチはチャンス」 の法則は いまのこんな世界にもちゃんと働く万物普遍の法則ですから、世界規模のピンチの裏には それに見合うだけのビッグチャンスが潜んでいることを、どうか忘れずにいてくださいね。
雲がかかったからといって 太陽そのものがなくなるわけではなく、雲が消えれば再び太陽が顔を出すように、バグから生み出された不安や怒りや恨みなどのネガが消えれば、隠れていた私たちの純粋な愛という本質が表に出てくる、それで世界が変わらないはずがないのですから。
そこに誰のどういう意図が絡み合い作用しているにせよ、とにもかくにも いま世界はこのようなことになっている。
で、私たちはそのどこを見るのか、どんな立ち位置から 目の前の世界のどこに焦点を合わせるのか、ということです。
個の視点と引きの視点の行き来は、感情の扱いがカギとなります。
感情的になっているときの私たちは、自身が構築した世界の登場人物 (主人公) として世界の内にいて、さまざまな出来事を味わい体験する立場にあります。
ここでは ネガティブな体験もアリ。。。というか 魂的にはむしろ歓迎、なにしろ 本質としての自分には味わえないそういった感情を知るためにこそ、私たちはわざわざ不自由な思いをしてまで この形ある世界にやってきたのですから。
ただ問題なのは、一度体験すれば十分なはずのネガ感情やネガ観念から抜け出せなくなってしまったとき、すなわち否定的な体験をするために潜在意識に仕掛けられたネガ情報がうまく外せず、バグとして居座ってしまったときですね。
バグが困りものなのは、本来フィフティフィフティで自由に選べるはずのネガポジなのに、コントロールが効かず ネガのほうにばかり引っ張られてしまうため。
同じような不快体験を何度も何度も繰り返せば、誰だって自信を失い セルフイメージが下がって、ますますネガから抜け出すのが難しくなります。
ここで有効なのが、引きの視点に立つこと。
引いたところから 感情に囚われている自分を眺めるときの私たちは、登場人物ではなく 自身の世界の作者 ・ 創造者の視点に立っており、作者としてバグを無効化し 否定的観念を塗り替えることができるのです。
引きの視点に立つには、先ほどの逆で 感情的にならないことが大切であり、感情から距離を取るには、言葉を引っ込め 極力使わないことです。
感情とは、ある種のからだの感覚に 「悲しみ」 「怒り」 「後悔」 などと 言葉によるラベルがついたもの。
感情から 苦しいだの辛いだのムカつくだのといった言葉を取り去ってしまえば、あとに残るのは 胸が締め付けられるとか 手足や顔の筋肉がこわばるとか 全身の力が脱けるとかいう感覚だけ。
その感覚を 言葉を用いずじっと感じていると バグが消えることを、体験から知りました。
最近さらに、感覚に集中しながら 深く静かな呼吸を繰り返すと、手放しの時間が短くなることがわかってきています。
バグが外れたかどうかは、起こる出来事や 自身の反応が変わってくることでわかります。
こうして自分が変わり 自分の世界が変わるにつれて、当然氣分もよくなってきますから、今度はそのいい氣分を存分に味わうことで、再び世界の内に入り込み 体験者に戻って楽しめばいいのです。
以前から何度も書いていることを なぜいま改めてお話しするかというと、いまのようなときこそ必要な情報ではないかと思うからです。
イスラエルで ガザで ウクライナで ロシアで起きている戦闘とその犠牲者、覚え切れないほど世界のあちこちで起きている地震や洪水や大規模火災などの災害とその被災者、加えて病氣に事故に恐ろしい事件の数々、さらには世界規模での食糧危機だの経済危機だのと、これだけの報道に連日さらされていて 氣分が落ち込まないわけがありません。
YouTubeのお勧め動画にも やたらと 「20○○年に大災害が」 「世界大戦が近づいている?」 「日本滅亡か!?」 といったおどろおどろしいタイトルが現れるところからも、人々の不安が見て取れます。
不安を感じるのは当然ですが、不安に囚われ 振り回されたままでいると、その不安が形となり 現実になってしまいます。
ここで思い出していただきたいのが、この形ある世界では どんな物事にも相反する二面があるということ。
こんな氣の滅入るようなニュースにもいい使い道があって、それが 「感覚フォーカス → ネガ観念の手放しのチャンス」 ということなのです。
悲しいニュース、痛ましいニュースの数々に心を乱されたときこそ、そのおおもとに潜むバグとお別れするチャンス。
地味に忍耐のいる作業ではありますが、その積み重ねは 確実に私たち一人一人の意識や感じ方を変え、世界を変えます。
「ピンチはチャンス」 の法則は いまのこんな世界にもちゃんと働く万物普遍の法則ですから、世界規模のピンチの裏には それに見合うだけのビッグチャンスが潜んでいることを、どうか忘れずにいてくださいね。
雲がかかったからといって 太陽そのものがなくなるわけではなく、雲が消えれば再び太陽が顔を出すように、バグから生み出された不安や怒りや恨みなどのネガが消えれば、隠れていた私たちの純粋な愛という本質が表に出てくる、それで世界が変わらないはずがないのですから。
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