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谷川岳墓標

2005-11-17 | 心にとまった山達
この谷川岳の墓標には大正時代から今年・・平成17年までの約800名の名前が刻まれています・・遭難者全員のでは無いでしょうが実に多い日本で一つの山でこんなに沢山の方が遭難されている山は他には無いでしょう・・・。
ここ一週間で色々な本を読んでみました・・・。

谷川岳は穂高・立山の剣(アルプス系)より一般に知られるのは遅く昭和になってからです。その頃には北アルプス系の山は大半が初登攀されており一休み状態でした。又都心から行くにはどうしても最低2~3泊はかけないと山行は時間的に無理で今までは海外遠征も日本の高山も学生中心の流れでしたが・・昭和6年清水トンネルが開通になり上越線が走るようになるとまだあまり手付かずの利根川奥山が山の雑誌「山と渓谷」の創刊による特集での宣伝効果もあり・・夜行日帰り出来る近い山・・永遠に名前が残る初登攀の名誉が得られる谷川岳に社会人登山家が倶楽部を次々に作り集団で押しかけるようになります。

谷川岳は日本海側越後平野と太平洋側の関東平野の分水嶺で裏と表を分ける位置にそびえてっており・・裏日本からの冬の北西風を受け止め ろ過するように大量の雪を搾り取り関東には湿気の無くなった上澄みの風だけを吹かしています(上州の空っ風)・・こうした風雪の重圧と融水・降水が谷を深く刻み・・大懸崖・V字谷・カール等に複雑な地形にさせて威容な渓谷になり・・人を寄せ付けない難攻不落の谷が挑戦者を次々退けて行ったのですね。

その当時は登山装備もまだ幼稚であっただろうし・・谷川岳は2000メートルの低山に属するような山なのに積雪が以上に多く天候・温度に非常に反応が敏感で特に一ノ倉沢は急峻谷で雪崩が非常に多く沢山の登山者を巻き込んでいるのは明らかで又雪崩を避ける為により一層難しいトラバースを繰り返し当初の計画より大幅に時間がかかり気力・体力を消耗してしまい小さなミスで滑落する・・・天候も谷川岳は激しく変わりやすく・・例え通常の登山道でも秋口では雨・雪に急変して遭難するケースもあるようです・・手軽なゆえ軽装備な人も多いのかもしれませんね。

総括すると大都市から近く学生・社会人がこぞって初登攀の名誉を求め短時間の計画で未熟な装備と技術であまりにも難しいコースを安易に競い合った結果であるような気がします。
  

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんなに・・ (ららるー)
2005-11-16 18:42:21
大正時代からとはいえ、これだけの方々が

亡くなられているなんて

胸が詰まる思いです。

もちろんここへ登りにきたときは

まさかこんなことになろうとは、誰も思わなかったでしょうに・・

これからの季節はますます登山も厳しくなるでしょうね。

風さんもどうぞどうぞお気をつけ下さいませ。
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800名!? (しげぞう)
2005-11-17 08:21:12
谷川岳は標高はそんなに高くないのに、なぜかこわいイメージがありました。でも800人って・・・ますます怖くなりますね。

なぜ谷川岳が標高の割に急峻なのか、良く分かりました。勉強になりました!

関係ないですが、プロフィールの写真がアイゼンに変わりましたね!いいなあ、私も欲しいです☆
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こんばんわ ()
2005-11-17 21:36:09
ららるーさんへ

通常の登山ルートで登る方は遭難するとは思わないで登って行くのでしょうけど・・装備があまりにも無防備で天候が悪化するとなす術もなく・・・・。

明日から雪の立山に出かけて来ます。



しげぞうさんへ

しげちゃんはアイゼン無くても大丈夫そうだにゃ~・・・。
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