『兄弟なのに、好きだなんて』
ごめん、豪。
お前がその花を見つけたのは偶然で。
ただ、見たことない花だったから摘んでしまっただけ。
それだけで、終わるはずだったのに。
朝起きたら、小さな、紫色の花が枕元にあった。
「…豪。これどっから摘んできたんだ?」
「あん?裏山からだけど?」
ごはんを口いっぱいにほおばって、豪が返事をする。まったく生意気に朝のジョギングなんて始めたもんだから、消費量もハンパじゃないな、こいつ。
こっちは、起きたばっかで食欲ないってのに…。
「ふーん…ごちそうさま」
何かひっかかるんだけどな。あの花。疑問があったら、すぐ調べるべし。
俺は原色学習ワイド図鑑が並べてある本棚から「野草」を引っ張り出した。
確かあの花、カタクリって名前だったような…カ行はっと…あ、これだこれだ。
『カタクリ。山地の林の中に生える多年草。高さ15~30センチ。全体にやわらかく無毛である。2枚の楕円形の葉の間から1本の花茎を立て、1個の美しい紅紫色の花を開く』
念のためカラー写真で確かめる。うんこれだ、間違いない。
えっと、分布は北海道・本州・四国。…ん?
『(少ない)』
「…」
俺は図鑑を閉じた。平和にお茶を飲んでる豪に向かって手招きをする。
「豪、ちょっと来い」
「あん?何だよ烈兄貴」
怪訝そうにしながらもしぶしぶやって来た豪の顔をじっと見つめる。
「なに?」
俺はすうっと息を吸って。
「この…馬鹿!」
大声で怒鳴った。いきなり怒鳴られた豪は、目をパチクリしてる。
「はあ?馬鹿とは何だよ、せっかく摘んできてやったのに、そりゃねーだろ!」
ようやく立ち直ったと思ったら、ぎゃんぎゃん噛みついてきた。だけどそんなの怖くもなんともない。俺はふふん、と笑ってその前にカタクリを突きつける。
「いいか?この花の名前はカタクリっていって、すっごくめずらしい花なんだ。天然記念物にも指定されてる」
テンネンキネンブツ?漢字には変換出来なかったようだが、何やらすごいものだというのは察したらしい。途端に静かになってしまった。
「そ…それで?」
「それをお前は摘んでしまった…これがどういうことかわかるか、豪?」
ごくん。つばを飲み込み音が響く。
「…」
強がって胸をそらしてるが、視線がうろうろ泳いでる。少しは不安になってきたらしい。
さて。ここからがからかいがいのあるところなんだよな。
俺は豪の瞳をまっすぐとらえて、そして。衝撃の事実ってヤツを口にした。
「警察がお前を捕まえにくるんだ!」
「なっに~っ!」
もちろん、そんなのは嘘だ。ま、確かにそこらに生えてる野草よりは価値はあるけど、そんなことでしょっぴくほど警察だってバカじゃない。大体そんなの見張ってるほどヒマだったら、こんなに毎日毎日殺伐とした事件なんて起こんないよ。
けど、豪は信じたらしい。顔色が真っ青になってる。
ここぞとばかりに俺は怒ったフリをした。この頃コイツに甘すぎた気がするからな。たまにはいいだろ。
「あーもー、この馬鹿!父さんや母さんに何て言う気だ?WGPだって出場停止になるかもしれないんだぞ!ったく!」
「どーすりゃいいんだ、なー烈兄貴ー」
泣きそうになってる豪の顔を見てると、何だかおかしくなってくる。ま、いじめるのはこの辺にしといてやるか。
「とりあえず、枯らさないようにコップに水はっていれとけよ」
「おっし!」
あーあ、単純な奴。バタバタ、とダイニングに向かって駆けていく豪の後ろ姿に俺はこれから
のあいつの将来が心配になった。
ま、仕掛けたのは、俺なんだけどね。
それからというもの、豪は花に付きっきりになった。
学校から帰って、夕食食べてさっさとまだ顔も見てない。
いつもはうるさい位まとわりついてくるくせにさ。
ま、別にいいんだけど…でも、なんかすっきりしない。何でだろ?
「…」
いつもやってる授業の復習も、全然頭に入っていかない。こりゃ、やるだけムダだな。
パチン。勉強机の電気を消す。支えのなくなった教科書がパタン、と閉じた。
そしてまるでそれを見計らったかのように。
「烈兄貴ーっ」
どたどた、と廊下を走る音がして、バンとドアが開かれる。
すわ一大事ってカンジで息を切らしてる豪を見て、ガクーッと力が抜ける。
まったく兄ちゃん情けなくて涙出てくるよ。
「は、花がしぼんじまった!どーしよ!」
んなことで泣くなよ。って半分は俺のせいか。
頃合いを見計らって、嘘だよって言ってやんないとな…。さて、と。
「…」
黙って図鑑を取り出す。えーっと、123P…。
「良く見ろ、豪」
「え?」
カタクリのぺージを開いてやると、常にない真剣さで図鑑に見入っていた。ああ、勉強教えてやってる時もこれだけ真剣になってくれたらなあ。
「ほらここ」
『昼はそりかえり、夜はとじる』
「それがカタクリの花の生態なんだから。大丈夫だって、そんなに大騒ぎしなくても」
「そっか…」
途端に、はーっと安堵のため息をつく。嬉しそうな笑顔。
「…」
あれ?何だ今の。胸がチクッとする痛み。何で?
「あのさ、豪」
気がついたら、口を開いてた。おい、何言おうとしてんだよ。
あの花があいつに大事にされてるからって、俺にはカンケーないだろ?
「これ枯らしたら警察に連れていかれるっての、まだ信じてるのか?」
バラしたのは、そしたら豪が「なーんだ」ってカタクリを放り出すかと思ったから。
でもその反応は、思い描いていたのとはまるっきり違ってて。
「あ、やっぱり嘘だったんだ、それ」
豪は、青い瞳を一瞬、見開いただけで。後は、ただ笑ってるだけだったんだ。
そしたら、何だか、自分がバカみたいに思えてきて。
「と、とにかく!世話するなら、ちゃんと調べとけよ」
俺はさっさと豪を部屋から追い出しにかかった。ちょっとだけ涙声だったかもしれない。
「…ああ。烈兄貴、こいつ、いつまで…」
その一瞬だけ、大人びてみえた、青い瞳。
それは今まで見たことのない、憂いをたたえた、うみのいろ。
「…にいてくれんのかな」
「…?」
「いや、何でもない。じゃ、おやすみ!」
何だってんだよ…まったくもう。
こんな時は、何もかも忘れて寝ちゃうに限る。
俺はベットに勢いよく寝転がった。
けれど、その夜、何故か眠りはなかなか訪れてはくれなかった。
そして、二日が過ぎて。
俺達の必死の尽力もむなしく、学校から帰ったら、カタクリは枯れてしまっていた。
豪は、黙々と夕食を片付けた後、部屋に閉じこもってしまった。
「豪ーっ?」
コンコン、とドアをノックする。反応は、ない。かといって蹴破るには、もう遅い時間だし。
心配する母さんの相手やら、片づけやらで思ったより時間を取られちゃったんだ。
「入るぞー」
だけどそこは、勝手知ったる弟の部屋。こういう時、あいつが鍵を掛けないこと位知ってる。
あっけなく開いたドアを後ろ手に閉めると、小さな声が俺を呼んだ。
「烈兄貴…」
ベットの上にうずくまって、その手に、茶色くなったカタクリの花を握り締めて。真っ赤な目で、こっちを見てる。
「ん?」
「俺、この花が好きだった、烈兄貴みたいだったから」
え?
「小さいのに頑張って生きててさ、けど、俺が摘んじまったから…」
だから?
「豪」
「こっちに来て、烈兄貴」
豪が手を差し伸べる。その手を取ろうとして。
「俺のこと、ほんの少しでも好きなら」
トクンッ!
見開かれる、ひとみ。動かなくなる、からだ。
「…なんでっ」
「痛ッ」
ぐん、と強く手を引かれ、俺は思わずベットの上に倒れ込んだ。
「ごめん…」
そっと背に回された腕が抱きついてきた。おずおずと、まるでこわれものをあつかうように。
「…豪?」
こんな不安そうな豪は久し振りに見る。
まだ小っちゃい頃、俺の後をついて回って追いつけなかったりすると、よくしてた、顔。
泣き出す一歩手前の、おっきな瞳。
「烈兄貴は、どっかいったりしないよな?」
「何言ってんだよ。そんなの、わかんな…」
「やだ!絶対やだ!」
必死にしがみつくその腕は、とてもふりほどけるものではなくて。
「やだよお…も…こんなの…」
俺の胸を濡らすその涙を、とめる術なんて知らなくて。
「ずっと、そばにいて…お願いだから…」
「豪…」
だから、俺は。俺に残されてる選択肢は。
ひとつしか、なかったんだ。
ごめん、豪。
俺があんなこと言わなければ、気づかずにすんだのに。
ただ、めずらしい花を摘んだってだけで、それが枯れても哀しくなんかなくて。
そう、愛しい、なんて思わなかったろうに。
こんな気持ち、気づいたって、苦しいだけなのに。
『兄弟なのに、好き、だなんて』
◇禁忌の関係に踏み込む直前の話。豪が烈兄貴に迫ってというのも好きですが、こう迷いながら豪を引き込んでしまい、そのことに罪悪感を覚える烈兄貴も好きです。
ごめん、豪。
お前がその花を見つけたのは偶然で。
ただ、見たことない花だったから摘んでしまっただけ。
それだけで、終わるはずだったのに。
朝起きたら、小さな、紫色の花が枕元にあった。
「…豪。これどっから摘んできたんだ?」
「あん?裏山からだけど?」
ごはんを口いっぱいにほおばって、豪が返事をする。まったく生意気に朝のジョギングなんて始めたもんだから、消費量もハンパじゃないな、こいつ。
こっちは、起きたばっかで食欲ないってのに…。
「ふーん…ごちそうさま」
何かひっかかるんだけどな。あの花。疑問があったら、すぐ調べるべし。
俺は原色学習ワイド図鑑が並べてある本棚から「野草」を引っ張り出した。
確かあの花、カタクリって名前だったような…カ行はっと…あ、これだこれだ。
『カタクリ。山地の林の中に生える多年草。高さ15~30センチ。全体にやわらかく無毛である。2枚の楕円形の葉の間から1本の花茎を立て、1個の美しい紅紫色の花を開く』
念のためカラー写真で確かめる。うんこれだ、間違いない。
えっと、分布は北海道・本州・四国。…ん?
『(少ない)』
「…」
俺は図鑑を閉じた。平和にお茶を飲んでる豪に向かって手招きをする。
「豪、ちょっと来い」
「あん?何だよ烈兄貴」
怪訝そうにしながらもしぶしぶやって来た豪の顔をじっと見つめる。
「なに?」
俺はすうっと息を吸って。
「この…馬鹿!」
大声で怒鳴った。いきなり怒鳴られた豪は、目をパチクリしてる。
「はあ?馬鹿とは何だよ、せっかく摘んできてやったのに、そりゃねーだろ!」
ようやく立ち直ったと思ったら、ぎゃんぎゃん噛みついてきた。だけどそんなの怖くもなんともない。俺はふふん、と笑ってその前にカタクリを突きつける。
「いいか?この花の名前はカタクリっていって、すっごくめずらしい花なんだ。天然記念物にも指定されてる」
テンネンキネンブツ?漢字には変換出来なかったようだが、何やらすごいものだというのは察したらしい。途端に静かになってしまった。
「そ…それで?」
「それをお前は摘んでしまった…これがどういうことかわかるか、豪?」
ごくん。つばを飲み込み音が響く。
「…」
強がって胸をそらしてるが、視線がうろうろ泳いでる。少しは不安になってきたらしい。
さて。ここからがからかいがいのあるところなんだよな。
俺は豪の瞳をまっすぐとらえて、そして。衝撃の事実ってヤツを口にした。
「警察がお前を捕まえにくるんだ!」
「なっに~っ!」
もちろん、そんなのは嘘だ。ま、確かにそこらに生えてる野草よりは価値はあるけど、そんなことでしょっぴくほど警察だってバカじゃない。大体そんなの見張ってるほどヒマだったら、こんなに毎日毎日殺伐とした事件なんて起こんないよ。
けど、豪は信じたらしい。顔色が真っ青になってる。
ここぞとばかりに俺は怒ったフリをした。この頃コイツに甘すぎた気がするからな。たまにはいいだろ。
「あーもー、この馬鹿!父さんや母さんに何て言う気だ?WGPだって出場停止になるかもしれないんだぞ!ったく!」
「どーすりゃいいんだ、なー烈兄貴ー」
泣きそうになってる豪の顔を見てると、何だかおかしくなってくる。ま、いじめるのはこの辺にしといてやるか。
「とりあえず、枯らさないようにコップに水はっていれとけよ」
「おっし!」
あーあ、単純な奴。バタバタ、とダイニングに向かって駆けていく豪の後ろ姿に俺はこれから
のあいつの将来が心配になった。
ま、仕掛けたのは、俺なんだけどね。
それからというもの、豪は花に付きっきりになった。
学校から帰って、夕食食べてさっさとまだ顔も見てない。
いつもはうるさい位まとわりついてくるくせにさ。
ま、別にいいんだけど…でも、なんかすっきりしない。何でだろ?
「…」
いつもやってる授業の復習も、全然頭に入っていかない。こりゃ、やるだけムダだな。
パチン。勉強机の電気を消す。支えのなくなった教科書がパタン、と閉じた。
そしてまるでそれを見計らったかのように。
「烈兄貴ーっ」
どたどた、と廊下を走る音がして、バンとドアが開かれる。
すわ一大事ってカンジで息を切らしてる豪を見て、ガクーッと力が抜ける。
まったく兄ちゃん情けなくて涙出てくるよ。
「は、花がしぼんじまった!どーしよ!」
んなことで泣くなよ。って半分は俺のせいか。
頃合いを見計らって、嘘だよって言ってやんないとな…。さて、と。
「…」
黙って図鑑を取り出す。えーっと、123P…。
「良く見ろ、豪」
「え?」
カタクリのぺージを開いてやると、常にない真剣さで図鑑に見入っていた。ああ、勉強教えてやってる時もこれだけ真剣になってくれたらなあ。
「ほらここ」
『昼はそりかえり、夜はとじる』
「それがカタクリの花の生態なんだから。大丈夫だって、そんなに大騒ぎしなくても」
「そっか…」
途端に、はーっと安堵のため息をつく。嬉しそうな笑顔。
「…」
あれ?何だ今の。胸がチクッとする痛み。何で?
「あのさ、豪」
気がついたら、口を開いてた。おい、何言おうとしてんだよ。
あの花があいつに大事にされてるからって、俺にはカンケーないだろ?
「これ枯らしたら警察に連れていかれるっての、まだ信じてるのか?」
バラしたのは、そしたら豪が「なーんだ」ってカタクリを放り出すかと思ったから。
でもその反応は、思い描いていたのとはまるっきり違ってて。
「あ、やっぱり嘘だったんだ、それ」
豪は、青い瞳を一瞬、見開いただけで。後は、ただ笑ってるだけだったんだ。
そしたら、何だか、自分がバカみたいに思えてきて。
「と、とにかく!世話するなら、ちゃんと調べとけよ」
俺はさっさと豪を部屋から追い出しにかかった。ちょっとだけ涙声だったかもしれない。
「…ああ。烈兄貴、こいつ、いつまで…」
その一瞬だけ、大人びてみえた、青い瞳。
それは今まで見たことのない、憂いをたたえた、うみのいろ。
「…にいてくれんのかな」
「…?」
「いや、何でもない。じゃ、おやすみ!」
何だってんだよ…まったくもう。
こんな時は、何もかも忘れて寝ちゃうに限る。
俺はベットに勢いよく寝転がった。
けれど、その夜、何故か眠りはなかなか訪れてはくれなかった。
そして、二日が過ぎて。
俺達の必死の尽力もむなしく、学校から帰ったら、カタクリは枯れてしまっていた。
豪は、黙々と夕食を片付けた後、部屋に閉じこもってしまった。
「豪ーっ?」
コンコン、とドアをノックする。反応は、ない。かといって蹴破るには、もう遅い時間だし。
心配する母さんの相手やら、片づけやらで思ったより時間を取られちゃったんだ。
「入るぞー」
だけどそこは、勝手知ったる弟の部屋。こういう時、あいつが鍵を掛けないこと位知ってる。
あっけなく開いたドアを後ろ手に閉めると、小さな声が俺を呼んだ。
「烈兄貴…」
ベットの上にうずくまって、その手に、茶色くなったカタクリの花を握り締めて。真っ赤な目で、こっちを見てる。
「ん?」
「俺、この花が好きだった、烈兄貴みたいだったから」
え?
「小さいのに頑張って生きててさ、けど、俺が摘んじまったから…」
だから?
「豪」
「こっちに来て、烈兄貴」
豪が手を差し伸べる。その手を取ろうとして。
「俺のこと、ほんの少しでも好きなら」
トクンッ!
見開かれる、ひとみ。動かなくなる、からだ。
「…なんでっ」
「痛ッ」
ぐん、と強く手を引かれ、俺は思わずベットの上に倒れ込んだ。
「ごめん…」
そっと背に回された腕が抱きついてきた。おずおずと、まるでこわれものをあつかうように。
「…豪?」
こんな不安そうな豪は久し振りに見る。
まだ小っちゃい頃、俺の後をついて回って追いつけなかったりすると、よくしてた、顔。
泣き出す一歩手前の、おっきな瞳。
「烈兄貴は、どっかいったりしないよな?」
「何言ってんだよ。そんなの、わかんな…」
「やだ!絶対やだ!」
必死にしがみつくその腕は、とてもふりほどけるものではなくて。
「やだよお…も…こんなの…」
俺の胸を濡らすその涙を、とめる術なんて知らなくて。
「ずっと、そばにいて…お願いだから…」
「豪…」
だから、俺は。俺に残されてる選択肢は。
ひとつしか、なかったんだ。
ごめん、豪。
俺があんなこと言わなければ、気づかずにすんだのに。
ただ、めずらしい花を摘んだってだけで、それが枯れても哀しくなんかなくて。
そう、愛しい、なんて思わなかったろうに。
こんな気持ち、気づいたって、苦しいだけなのに。
『兄弟なのに、好き、だなんて』
◇禁忌の関係に踏み込む直前の話。豪が烈兄貴に迫ってというのも好きですが、こう迷いながら豪を引き込んでしまい、そのことに罪悪感を覚える烈兄貴も好きです。