黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

腑に落ちない

2021年08月21日 | つぶやき

腑に落ちない 納得がいかない 

 

もやもやした気持ちが溢れている

 

 

日ハムの中田選手が 暴力行為で処分謹慎中だったが

 

あっという間に処分が解けて 巨人へ移籍した

めでたしめでたし

 

喉元をすぎないうちに熱さを忘れている

 

これでいいんだろうか ???

 

球団 監督も 移籍した巨人も マスコミも

温かい好意的な目で見ているが

 

腑に落ちない

 

 

どこかの国の政府でも同じようなことが度々あって

起こした方は お咎めなくて

弱いものは損をしている

 

正直者が馬鹿を見る

 

子供はどう見ているのだろうか

 

 

 

 

朝から太陽が照りつけているがカラッとしている

弱った夫 昨日よりはよいのでちょっと安心


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代理のしごとが多くなった

2021年08月20日 | たより

年齢と病気の数は 私の方が少ない

最近

夫に代わってする仕事が増えてきた

 

昨日は

旅友さんに送るラヴェンダー

宛名シールを印刷しメモ書きを入れて閉じ 郵便局へ出しに行く

 

今日も急に

まとまったお金が必要になり

郵便局へ下ろしに行った

顔見知りだが代理の場合は 身分証明書などがいる

手違いがあり夫に電話したが(留守録)で出ない

一旦家に戻り夫の意見を聞いてから出直した

良い運動になったが汗だくになる ヤレヤレである

 

コロナの急激な感染拡大で昨日は60人も 

今日から公共施設が休館になった

パソコンクラブも当分お休みである

今回はまじめに宿題をしていたが 

再開は何時になるのか

 

 

撮影にも出かけないので蔵の中から


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亡き友と再会

2021年08月19日 | たより

Hさんの夢を見た

亡くなって2回目のお盆が来て はじめて夢の中で会った

 

一人ぽっちだったHさんも樺太からの引揚者

70年前2年間同じ寄宿舎で過ごした仲間

生涯独身でクラス会が生きがい 思い出に生きていた人

時々の電話では

クラスメート時代の思い出ばなしばかりだった

 

 

夢の中には 級長だったTさんもいて 

沢山のご馳走を前に楽しそうにおしゃべりしていた

 

独りよがりなところが煙たがれていたが

夢の中では大もてで

皆にお土産を貰って嬉しそうだった

 

 

コロナでとうとう お弔いに行けないまま過ぎたが

Hさんの方から会いに来てくれた

 

私のことを

○○さ~んと旧姓で呼んでいた声が聴こえる

心の中で安らかにと祈っている

 

気温も20℃を超した

お掃除のHさんが綺麗にしてくれた後

頂いた西瓜を食べる

よく熟れて美味しかった

 

 

午後は訪問リハビリのDRが診察に見える予定


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引揚げ記念日と戦争

2021年08月18日 | 戦争

昭和20年(1945年)8月18日 

戦争に負けて樺太から引揚げてきた

毎年忘れずに思い出す記念日である

樺太引揚げの記

樺太引揚げの記 2

 

特攻隊で戦死した従兄の月命日

 

 33歳になった孫の誕生日でもある

小さいころ 引揚げの話をしたら

「お祖母ちゃんが死んでいたら僕は生まれていなかったね」

と言ったことがある

お父さんになった孫 昔のことは忘れているかもしれないが

76年間戦争がなかった国 平和が続いているのは幸せなこと

戦争をしてはいけないことを肝に銘じてほしい

 

 

 

 

アフガニスタンがタリバンに制圧された

 

逃げ惑う人々が

 アメリカの軍用機に ぶら下がりよじ登り

数百人もの人々が他国へ逃れる映像を見て

胸が痛くなった

 

大統領はいち早く車に現金を積み家族らと脱出したという

 

いつでも 何処でも 犠牲になるのは

 一般の人たち 国民である

 

人ごととは思えない

 

かかりつけ医へ行ってきた

夫は

ちょっと歩いただけで息切れがひどく体力が弱っている

点滴をしてもらって少し元気になった

 

我が街のコロナの感染拡大も最高になった

 

今日は冷たい雨で 最高気温が20℃の予想

 明日からは又真夏日の予想で

身体がついて行くのが大変である

 


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家庭菜園の西瓜・枝豆・プラム

2021年08月17日 | たより

家庭菜園でつくられた 小玉西瓜・プラム・枝豆が届いた

小玉西瓜はすぐ冷蔵庫に入れ

枝豆は茹でてプラムと一緒に仏様にお供えする

 

仲良し友の Iさんとご主人が丹精込めて作られたのを

 

今年も送ってくださった 

 

久しぶりの夏日

昨夜は 

二人共寝汗をかき 体がすっきりしなかった

 

初物の 新鮮なプラム 枝豆 西瓜を食べて

元気を取り戻そう


I さん有難う ご馳走様です

 

クマに襲われないように気をつけてくださいね

 


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人見知り & 発作

2021年08月16日 | たより

曾孫が生まれて半年以上経ったが

コロナの影響で一度も会ったことがない

 

ラインで送られてくる写真や動画を見ては

成長の速さに驚き 笑顔に頬をほころばせているが

夫には見えないし

お盆にも会うことが出来なかった

 



初孫を授かった娘夫婦も会えたのは三度だけ

会いたい一心で 

強行軍の日帰りで出かけて行った

 

動画が送られてきたが

おじいちゃんが抱っこしたとたん

ギャーッと大泣き 

その後もギャンギャン泣いたそうである

孫そっくりの曾孫ちゃん 目に入れても痛くないくらい可愛いが

泣く子には勝てない

 

何処へも出かけない 誰も来ないお盆

 

オホーツク海高気圧のせいで 冷たい風の日が続いている

寝冷えしたのか鼻水が続き 葛根湯を飲む

 

夜中に狭心症の発作があった

いつもより強い痛みが長く続きつらかった

ニトロのテープを貼り 深呼吸して我慢したが

 

私が動けなくなったらどうしようかと不安になる

夫を看取ってからと願っているが

私が先に逝くこともありうること

 

一人では何もできない夫に どう托したらよいのか

考えなければ・・・・

 


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神風は吹かなかった(昭和ひと桁の思い)

2021年08月15日 | 戦争

豪雨災害が続いているはやく雨が止むように

被害が少ないことを願い お見舞い申し上げます

 

今日は76年目の敗戦記念日と言いたい終戦記念日 

お盆の中日でもある

戦争で亡くなった方々が安らかにと祈る

 

今まで生きてこられたのは幸運であったが知っている人は少なくなった

 

 

12歳の経験

 

敗戦で天地がひっくり返った

 

 

神の国 日本 鬼畜米英との戦争は聖戦であり

元寇の時のように神風が吹いて勝つと

教わったし 信じていた

 

東京が焼け野原になり 原子爆弾が落され 

ソビエトが参戦しても勝つと信じていたのに

とうとう神風は吹かなかった

日本は戦争に負けた

 

 

教わったこと知らされていたことは 

情報の操作で 軍隊や 国の都合がよいように報道され

私たちは騙されていたことを知った

 

 

天皇(現人神アラヒトガミ)の御真影と教育勅語を祀ってあった奉安殿

樺太郷土博物館に展示してあった

  

校門近くにあり 前を通るときは 最敬礼した

 

 

 

昭和21年4月 再度女学校1年生になったが

お下がりの教科書に墨を塗ることからはじまり

 

天皇は 神でなく象徴になった

神は神話の中にあった

 

アメリカ イギリスは 鬼畜ではなかった

戦中教わったことは ほとんど否定された

 

 

 

コロナも戦争

政府が情報操作で操るのは  今も変わっていないし

国が当てにならないのも同じである

 

しっかり自分の目で確かめ判断しよう

 

天地がひっくり返った教育をうけて

私たちは強くなった

 

 

 

昭和ひとけた生まれの老夫婦

戦争に対する思いも共通している

静かにいつも通りの時間を過ごし 夫は昼寝中です


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日の丸弁当

2021年08月14日 | 戦争

昨日のお昼は梅干しの入ったお粥にした

美味しくいただきながら

ふと日の丸弁当を思い出した

 

76年前に終わった戦争

 

国民学校(小学校)では

毎月1度 日の丸弁当の日があった

戦地の兵隊さんを思い感謝の気持ちで

との趣旨だったかどうかは定かでないが

 

アルミの弁当に梅干しが一個

 

「箸とらば 天地御代の恩恵み と親との恩を味わへ」

 

ではなく祖先だったと後で知った)

 

全員で唱えて食べはじめる

 

 

日の丸弁当の日ではなくても

おかずは沢庵だけだったり

食料が不足して行き配給のお米はわずか

麦やエン麦 ジャガイモの混じったご飯になり

白いご飯は目にしたことがなくなり

それすら食べられなくなった

 

 

 

知っている昭和ヒトケタ年代も少なくなり

いなくなったら 忘れ去られてしまうのだろうか

 

忘れてほしくない

 


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しきたりがないお盆

2021年08月13日 | たより

戦争に負けてからしきたりも お盆の行事もなくなった

 

先祖を敬う心だけは忘れないが 特別な習慣はない

昨日は

私一人でお寺にお参りに行ってきた

夫は行く元気がないから無理しない

本家の仙台へは行けないので

納骨堂には 分骨してもらった父母が入っている

 

 

 

実家は姉が守っていたが 施設に入り家は処分してしまった

永代供養したので お参りにはいかないが

心の中で祈っている

 

 

 

今朝は早く

7時半過ぎにお坊さんがお盆参りに見えた

マスクをしたまま 5分くらいお経をあげて行ったが

お経も大分上手になった

 

小さな仏壇にはお花と ご飯 お菓子と果物とビールをお供え

両親

戦死した長兄 戦後進学できないで働いた弟たちに

安らかにと祈った

 

 

二人共 数珠をなくしたので 新しい数珠

 

 

昨夜遅く

ローソクがないのに気がつき 家探しして

数本やっと見つけた

 

 

普段は電地で明かりがつくのを使っている

危ないからと娘が持ち去ってしまっていた

 

 

相変わらずドジ 失敗を繰り返している

 

 

 

本州は大雨で大変だが  

こちらは爽やかな晴れ

風が冷たく 半袖でいたら鼻水が出てきた

 

誰も来ないお盆 ご馳走もない


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1945年夏 カラフトマス

2021年08月12日 | 戦争

76年前の1945年(昭和20年)夏

カラフトマスは大豊漁だった

 

樺太豊原市に住んでおり女学校一年生

戦局が悪化してきたことを子供心にも感じていた

食料も自給自足と言われ空き地はすべて畑になり

学校でも勉強したのは4月だけ

原野を開墾し麦やジャガイモを植える作業ばかりだった

 ソビエトが参戦したら樺太は陸の孤島になる

我が家も郊外に土地を借りて母は畑作業に行く毎日だった

 

鉄道管理局に勤めていた父は 

カラフトマスを大量に買ってきた

大きな箱に10匹ぐらいも入ったのを何箱も

(記憶では200匹ぐらい)

 

母と二人でさばいて いくつもの大きな樽にどぶ漬けにして

父が掘った8畳間位の防空壕に貯蔵した

 

春ニシンも大豊漁だったので

すしニシンや身欠きにしんも大量に作られて貯蔵されていた

8月9日ソビエトが参戦 樺太島民に危険が迫ってきた

 

13日から婦女子の疎開がはじまり

15日敗戦

我が家は父を残して北海道へ命からがら引揚げてきた

 

 

ひとり残された父 大空襲や何度も危険な目に遭った

 

住んでいた鉄道官舎はソ連将校の宿舎となり

父は片隅にひっそり暮らした

 

 

防空壕に貯蔵された大量のカラフトマスやニシンは

すべて没収されソ連兵のご馳走になったそうである

 

 

父は3年後の11月やせ衰えて帰国したが

苦労したことをあまり語らないまま68歳で亡くなった

 

 


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