黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

北海道新幹線開通に思う

2016年03月26日 | つぶやき

母から聞いた祖父の時代のことを記してみる

仙台藩士だった弥平(母の祖父)は 

明治維新で藩政が崩壊し生活が苦しくなったため

蝦夷から北海道と名を変えた北の地に行くことを決めた

幼かった亀冶(母の父)を親戚に預け

妻のちえと二人で函館の湯の川に旅立つことにし

生活が落ち着いたら亀冶を呼び寄せる約束だった

 

明治9年(1876年)生まれの亀冶が数え年9歳の時のことである

 

数か月が過ぎても迎えが来ない 父母が恋しくてたまらなくさびしい毎日

我慢が限界に来た10歳の春のこと 亀冶は一大決心をした

 

勉強道具を風呂敷に包み僅かなお金を握って親戚の家を出た

人が誰も通らない獣道の山越え 心細いが

父母に逢いたい一心でひたすら港を目指し歩き続けて数里以上

夕昏近くなり体力も限界にきて泣きながらとぼとぼ歩いていると

 偶然猟師に出会った

 「わこさん何処さ行くんだ?」地獄に仏とはこのことだった

 いきさつを話すと 親切に港まで案内して送ってくれた

船は出帆間際で はしけは岸を離れていた

 「オーイ!オーイ!と叫び はしけを呼び戻してくれ、やっと間に合った

体格が良かった亀冶は 大人の料金を払うように云われて困り

教科書を見せて子供であることを納得してもらった

何日経ったかは覚えていないが無事函館に着いた

 

気の大きくなった亀冶は人力車に乗って湯の川の両親の家へ急いだ

「ごめん下さい」と声をかけると

「亀冶か?」の声 虫の知らせがあったらしい

弥平は病に臥せっていたそうである、

私の4歳の時に亡くなった祖父は この話を何度も母に聞かせ

そのたびに涙を流していたそうである

母(明治40年 1907年生まれ)も私たちにこの話を何度もしてくれた

  

亀冶が船に乗った港は定かでないが

大震災で大きな被害があった三陸沿岸 宮城県の牡鹿半島の荻の浜港らしい

 

青函連絡船は明治41年に運行を始めたが

 ずっと前の明治10年代の頃の話である

1988年トンネルが開通し 新幹線が今日開通した

 

天国の曽祖父母 祖父母 たちは 夢にも思わず腰を抜かしているかも・・・・

 

ちなみに 朝がきたのモデル「広岡浅子」は 亀治より27年早く生まれている

 

亀治の父母

  

亀治

 

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2 コメント

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北海道新幹線開通に思う (mari)
2016-03-26 21:12:58
kazahanaさま
亀治さんの体験を読んでいると、小説の世界に迷い込んだような錯覚に陥りました。
kazahanaさまのご先祖さんは凄いですね。

北海道新幹線の開通に伴い一番列車の発車時刻にテレビを付けて動画を撮りました。
青函連絡船で毎年夫の実家(東京)に行っていたあの頃が夢のようです。
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北海道新幹線開通に思う (kazahana)
2016-03-27 10:16:41
mariさま
北海道に渡った先祖たちは、皆さん苦労を重ねて開拓をし、亀治よりもっと大変な経験をしたと思います。

父方の先祖も同じく波乱万丈でした。

新幹線、生きているうちに旭川まで開通しないかなあ~
と願ってます。(無理)
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