黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

いまわしい軍国主義

2016年08月14日 | つぶやき

物心ついた時から軍国主義だった

父は 昭和12年(私が4歳の時)招集され支那(中国)に出征し

帰還したのは3年後だった

戦争体験を語ることはなかったが

日本が加害者だった戦争である


 

天皇陛下を現人神(あらひとがみ)と奉り

学校では毎朝宮城(皇居)の方角へ向かって礼拝をする

校庭の一角には必ず奉安殿があり

中には天皇。皇后のご真影と

教育勅語が収められていた

前を通るときは必ず最敬礼する決まりになっていた

守らないとビンタが飛ぶ

教育勅語は必ず暗唱させられた

教師も絶対であり体罰はザラであった

私は女姓の担任だったのでないが

姉は何かにつけて標的にされ

頬っぺたが腫れるほど殴られて帰ってきたことがある

男子生徒は軍事教練などで

随分体罰を受けていた

自由にものが言えない暗い時代だった

ユジノサハリンスクの博物館に残されていた

奉安殿

今日も暑く夏バテである

こんなことをしていたらビンタをはられただろう

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