物心ついた時から軍国主義だった
父は 昭和12年(私が4歳の時)招集され支那(中国)に出征し
帰還したのは3年後だった
戦争体験を語ることはなかったが
日本が加害者だった戦争である
天皇陛下を現人神(あらひとがみ)と奉り
学校では毎朝宮城(皇居)の方角へ向かって礼拝をする
校庭の一角には必ず奉安殿があり
中には天皇。皇后のご真影と
教育勅語が収められていた
前を通るときは必ず最敬礼する決まりになっていた
守らないとビンタが飛ぶ
教育勅語は必ず暗唱させられた
教師も絶対であり体罰はザラであった
私は女姓の担任だったのでないが
姉は何かにつけて標的にされ
頬っぺたが腫れるほど殴られて帰ってきたことがある
男子生徒は軍事教練などで
随分体罰を受けていた
自由にものが言えない暗い時代だった
ユジノサハリンスクの博物館に残されていた
奉安殿
今日も暑く夏バテである
こんなことをしていたらビンタをはられただろう