大腸がんがわかってから退院するまでの全記録
2013.10月
職場の健康診断で貧血が要再検査となる
2013.12.6
近所の病院で、インフルエンザ予防接種のついでに貧血の再検査をする
消化器からの出血の場合もあるから、と便潜血のキットをもらう
2013.12.14
病院に結果を聞きに行く
便潜血が2回とも陽性で、血液の結果も明らかな貧血状態
大腸カメラと胃カメラを勧められる
ここの病院は予約が先になるから、早くした方がいいとのことで、紹介状を書いてもらう
2013.12.18
消化器内科で検査の予約をする
12/24大腸カメラ 1/4CT 1/6胃カメラ 1/8結果
仕事の休みに合わせて次々と検査の予約を入れられる
2013.12.23
明日の大腸内視鏡検査のため、検査食を朝、昼、晩と食べる
2013.12.24
指定された通りに、その時間ごとに下剤を飲む
前にも飲んだことがあるが、2リットルの下剤はやっぱり辛い
何度もトイレに行くが、自宅なので安心していられる
14:30大腸内視鏡検査
予約した時間に行くが、かなりの人が待っており、無理やりねじ込んだ予約だったので16時半まで待ってやっと順番が来た
内視鏡の苦痛は無く終わったが、終わったと同時に先生から、「奥の方に大きな潰瘍があるので、良性でも悪性でも手術が必要」と告げられる
私の答えは「え~」だった
検査後少し休憩する椅子にかけていると、先生が来て、「どうせ言わないといけないから。おそらく悪性だから。検査して良かった」と言われる
今思えばこれが告知だった
よくテレビで見かけるような告知シーンではなく、驚きやショックなどは全くなく、やっぱりガンになったかという思いだけだった
明後日のCT検査が、より詳しくわかる造影剤を入れての検査に変わったので書類を渡される
2014.1.4
CT検査(造影剤使用)
採血後、CT室へ
造影剤の注射で体が熱くなると聞いていたが、それほどでもなかった
検査はすぐ終わったので、母と待ち合わせて昼食を食べ、ショッピングをした
2014.1.6
胃カメラ
口から入れる胃カメラで、喉の麻酔をしていても何回もえづいて苦しかった
胃はピロリ菌もいないし、綺麗だと言われる
その後内科へ行き、胃と大腸の検査結果を聞き、手術に必要な検査を回る
胸、腹部のレントゲン
心電図
心エコー
肺活量
外科で先生から、ガンの場所やステージなどを詳しく、紙に書いて説明される
この時は母も一緒に聞く
ステージはⅡ~Ⅲの前半、リンパ節は怪しいところがあるが肝臓への転移は無し
入院は一週間ぐらいであること
手術の予定日を決める
その後また検査へ回る
胸部のCT
採血
2014.1.7
明日の大腸バリウム検査のために検査食を朝、昼、晩と食べる
夜に下剤を飲む
入院に備えて、髪を短くカットしに美容院にいく
2014.1.8
大腸バリウム検査
朝、自宅で座薬を入れて出来るだけ排泄していく
バリウムと空気が入っていく感じが気持ち悪い
2014.110
婦人科検査
子宮のエコーと子宮体がんの検査
子宮の入り口に小さいポリープがあり、その場で切除する
筋腫はあるが、問題ないだろうとのこと
手術と生理が重なるので、生理を遅らせる薬を処方してもらう
外科に行き、入院の説明を受ける
麻酔科に行き、当日の麻酔の方法や手順についての説明を受ける
歯科に行き、呼吸器をつけるときのことと、口の中の衛生について説明を受け、歯石を少しとってもらう
2014.1.20
入院
受付後、病棟へ案内される
病衣を渡され、すぐに毛ぞりとおへその掃除にくる
どこまで剃られるのかと思ったが、剃ることもなく、おへそも綺麗だったので確認だけで済んだ
夕食は普通食が出た
明日手術なのに??腸の中を出さないの?と思った
19時 コップ1杯の下剤を飲む
21時 錠剤の下剤を飲む
2014.1.21
手術
朝6時、看護師さんが浣腸に来る
ベッドの上で浣腸をされ、すぐトイレに行く
8:30両親が来る
9:00病室で手術着に着替え、血栓予防用の靴下を履く
そのままの姿で歩いて手術室へ向かう
両親は病室で待機
手術室ではチームから挨拶があった後、キャップをかぶりすぐに手術台?へ
予定していた硬膜外麻酔が安全のため中止され、そのまま口にマスクを当てられ息を吸っているうちに記憶がなくなる
手術中は呼吸が止まる為、人工呼吸器がつけられる
16時過ぎ
「終わりましたよ」呼びかけで目を覚ます
前後に1時間としたら手術自体は5時間くらいか?
ICUで両親と対面
時間が気になっていたので「何時?」と聞いた
両親は切除した大腸を見せられたそうだ
ICUでの一晩がこの入院の中で一番苦しくしんどいものだった
身動きできないベッドの上で、二度と嫌だと何度も思った
鼻に酸素の管が入れられ、酸素マスクをしていて喉の奥が気持ち悪い
尿管やお腹の膿を出す管、点滴、心電図と管だらけだ
おまけに足の裏には、血栓を防止するために自動で膨らんだりしぼんだりする機械がとりつけられていて、交互に一晩中プシュー、プシューと圧迫をされる
腕には血圧計が巻かれており、これも何十分か1時間ごとかわからないけど、自動で圧力がかかる
お腹には腹帯が巻かれ、その上にやわらかいコルセットのようなバンド
下はT字帯といういわゆるふんどし状態
呼吸をするのもしんどく、お腹全体が痛く、とにかく身動きがとれない
眠れれば良かったが、眠れず動けずに痛みを我慢しながら、あと何時間我慢すれば楽になるのだろうともがきながら一夜を過ごした
2014.1.22
10:00
ICUから車いすに乗せられて、病室に戻る
ベッドに移動するにも、お腹が痛くて一苦労
尿管を抜く
病室での点滴がはじまる
水分摂取の許可が出るがこの日は一日絶食
トイレは自分で行き、流さずにコップで尿を取り溜めていかないといけない
点滴をしているので、すぐ尿をしたくなるがトイレに行くにも大変
点滴を提げているコロコロを片手で引き、腹腔ドレーン(お腹から出ている管の先についているパックの入った袋)を首から提げ、という状態だ
おまけに尿をとらないといけない作業があるので時間がかかる
夜も眠気が来ずに何時間目をつむっても眠れなかった
眠れないと言って、この日から入眠剤をもらう
2014.1.23
お昼から3分粥が出る
ガスが出始める
点滴は次々と切れめがない
痛くても歩かないといけないので、点滴を連れ、腹腔ドレーンの袋を提げ、病棟前の廊下を歩く
テレビでも見ようかと思っても、頭に入って来ず、ひたすら音楽を聞く
入眠剤で眠ったと思ったら、咳ですぐ目が覚めてしまった
外から聞こえる電車の音が、夜の電車か朝の電車かと思いながら過ごす
朝の電車でありますようにと願いながらひたすら時間がたつのを待つ
2014.1.24
この日も3分粥
体を拭いてもらい、病衣を着替える
洗髪しますか?と聞かれたのでお願いする
タオルとシャンプーを持って、浴室へ
若い男性の看護師さんがシャンプーとドライヤーをしてくれた
術後初めて便が出た
下痢だけど、腸がちゃんと動いているんだと安心する
廊下を歩いていると、先生に会う
月曜か火曜の好きな方に退院していいと言われ、即効で月曜と答える
とにかく早く帰りたいのだ
2014.1.25
点滴が最後になる
やっとお腹の腹腔ドレーンが抜かれる
シャワーをしてもいいとのことで、お風呂セットを持ちシャワーを浴びる
体から管がなくなって、やっと自由になれた
5分粥、8分粥に変わって行く
病理検査の結果を聞く
リンパ節への転移は運よくなかったこと、予想していた結果よりよかったが、若いから抗がん剤をした方がいいかどうか内科の先生と相談すると言われる
歯科に行く
もう退院できることに少し驚かれる
麻酔も6時間もしているのに。と
やはり若いから回復が早いのかなと言われた
2014.1.26
畜尿が終わり、やっと普通にトイレで用が足せるようになる
朝から普通食になる
することがないので、この日もシャワーを浴びる
昼間も眠れないので、歩きに行ったり、違う場所で座ってみたり、売店に行ってみたりと暇つぶしをする
突然下痢が来るので、トイレの遠くにはいけない
相変わらず眠れず、夜中3時に急に気持ち悪くなりトイレで吐いた
水しか出なかったが、明日は絶対退院するんだ、大丈夫だ、と言い聞かせて寝る
2014.1.27
朝ごはんはちゃんと食べられたので、あぁ帰れると思い、帰る準備をする
回診に来た先生に吐いたことを告げる
レントゲンを撮ってから退院を決めようと言われ、少し焦る
OKが出て、会計金額が出るまで部屋で母と待機
タクシーで8日ぶりに我が家へ戻る
退院後も眠れなくなってしまい、2、3日してやっと眠れるようになった
食欲はあるが、食べると下痢になることが多くまだまだ外出ができない
そろそろ職場復帰もしないといけないのだが…
天気の良い日はワンコを連れてお散歩で歩くようにしている
ほんとうに怒涛の一ヶ月だったが、思っていたよりも苦しくしんどい痛い入院生活だった
二度と経験したくない体験であった
今日耐えれば明日は必ず今より楽になるはずだと何度も何度も思いながら過ごした日々だった
その上の眠れないというのがかなりこたえた
個室か3人部屋しかなかったので安い方の3人部屋にしたが、物音や話声が気になる私は個室にすればよかったと思った
ただここの個室はかなり高くて8日間だと10万以上かかるのだ
貧乏症の私は思いきれなかったけど、病気のときくらいは楽な方を選ぶべきだなと思った
2013.10月
職場の健康診断で貧血が要再検査となる
2013.12.6
近所の病院で、インフルエンザ予防接種のついでに貧血の再検査をする
消化器からの出血の場合もあるから、と便潜血のキットをもらう
2013.12.14
病院に結果を聞きに行く
便潜血が2回とも陽性で、血液の結果も明らかな貧血状態
大腸カメラと胃カメラを勧められる
ここの病院は予約が先になるから、早くした方がいいとのことで、紹介状を書いてもらう
2013.12.18
消化器内科で検査の予約をする
12/24大腸カメラ 1/4CT 1/6胃カメラ 1/8結果
仕事の休みに合わせて次々と検査の予約を入れられる
2013.12.23
明日の大腸内視鏡検査のため、検査食を朝、昼、晩と食べる
2013.12.24
指定された通りに、その時間ごとに下剤を飲む
前にも飲んだことがあるが、2リットルの下剤はやっぱり辛い
何度もトイレに行くが、自宅なので安心していられる
14:30大腸内視鏡検査
予約した時間に行くが、かなりの人が待っており、無理やりねじ込んだ予約だったので16時半まで待ってやっと順番が来た
内視鏡の苦痛は無く終わったが、終わったと同時に先生から、「奥の方に大きな潰瘍があるので、良性でも悪性でも手術が必要」と告げられる
私の答えは「え~」だった
検査後少し休憩する椅子にかけていると、先生が来て、「どうせ言わないといけないから。おそらく悪性だから。検査して良かった」と言われる
今思えばこれが告知だった
よくテレビで見かけるような告知シーンではなく、驚きやショックなどは全くなく、やっぱりガンになったかという思いだけだった
明後日のCT検査が、より詳しくわかる造影剤を入れての検査に変わったので書類を渡される
2014.1.4
CT検査(造影剤使用)
採血後、CT室へ
造影剤の注射で体が熱くなると聞いていたが、それほどでもなかった
検査はすぐ終わったので、母と待ち合わせて昼食を食べ、ショッピングをした
2014.1.6
胃カメラ
口から入れる胃カメラで、喉の麻酔をしていても何回もえづいて苦しかった
胃はピロリ菌もいないし、綺麗だと言われる
その後内科へ行き、胃と大腸の検査結果を聞き、手術に必要な検査を回る
胸、腹部のレントゲン
心電図
心エコー
肺活量
外科で先生から、ガンの場所やステージなどを詳しく、紙に書いて説明される
この時は母も一緒に聞く
ステージはⅡ~Ⅲの前半、リンパ節は怪しいところがあるが肝臓への転移は無し
入院は一週間ぐらいであること
手術の予定日を決める
その後また検査へ回る
胸部のCT
採血
2014.1.7
明日の大腸バリウム検査のために検査食を朝、昼、晩と食べる
夜に下剤を飲む
入院に備えて、髪を短くカットしに美容院にいく
2014.1.8
大腸バリウム検査
朝、自宅で座薬を入れて出来るだけ排泄していく
バリウムと空気が入っていく感じが気持ち悪い
2014.110
婦人科検査
子宮のエコーと子宮体がんの検査
子宮の入り口に小さいポリープがあり、その場で切除する
筋腫はあるが、問題ないだろうとのこと
手術と生理が重なるので、生理を遅らせる薬を処方してもらう
外科に行き、入院の説明を受ける
麻酔科に行き、当日の麻酔の方法や手順についての説明を受ける
歯科に行き、呼吸器をつけるときのことと、口の中の衛生について説明を受け、歯石を少しとってもらう
2014.1.20
入院
受付後、病棟へ案内される
病衣を渡され、すぐに毛ぞりとおへその掃除にくる
どこまで剃られるのかと思ったが、剃ることもなく、おへそも綺麗だったので確認だけで済んだ
夕食は普通食が出た
明日手術なのに??腸の中を出さないの?と思った
19時 コップ1杯の下剤を飲む
21時 錠剤の下剤を飲む
2014.1.21
手術
朝6時、看護師さんが浣腸に来る
ベッドの上で浣腸をされ、すぐトイレに行く
8:30両親が来る
9:00病室で手術着に着替え、血栓予防用の靴下を履く
そのままの姿で歩いて手術室へ向かう
両親は病室で待機
手術室ではチームから挨拶があった後、キャップをかぶりすぐに手術台?へ
予定していた硬膜外麻酔が安全のため中止され、そのまま口にマスクを当てられ息を吸っているうちに記憶がなくなる
手術中は呼吸が止まる為、人工呼吸器がつけられる
16時過ぎ
「終わりましたよ」呼びかけで目を覚ます
前後に1時間としたら手術自体は5時間くらいか?
ICUで両親と対面
時間が気になっていたので「何時?」と聞いた
両親は切除した大腸を見せられたそうだ
ICUでの一晩がこの入院の中で一番苦しくしんどいものだった
身動きできないベッドの上で、二度と嫌だと何度も思った
鼻に酸素の管が入れられ、酸素マスクをしていて喉の奥が気持ち悪い
尿管やお腹の膿を出す管、点滴、心電図と管だらけだ
おまけに足の裏には、血栓を防止するために自動で膨らんだりしぼんだりする機械がとりつけられていて、交互に一晩中プシュー、プシューと圧迫をされる
腕には血圧計が巻かれており、これも何十分か1時間ごとかわからないけど、自動で圧力がかかる
お腹には腹帯が巻かれ、その上にやわらかいコルセットのようなバンド
下はT字帯といういわゆるふんどし状態
呼吸をするのもしんどく、お腹全体が痛く、とにかく身動きがとれない
眠れれば良かったが、眠れず動けずに痛みを我慢しながら、あと何時間我慢すれば楽になるのだろうともがきながら一夜を過ごした
2014.1.22
10:00
ICUから車いすに乗せられて、病室に戻る
ベッドに移動するにも、お腹が痛くて一苦労
尿管を抜く
病室での点滴がはじまる
水分摂取の許可が出るがこの日は一日絶食
トイレは自分で行き、流さずにコップで尿を取り溜めていかないといけない
点滴をしているので、すぐ尿をしたくなるがトイレに行くにも大変
点滴を提げているコロコロを片手で引き、腹腔ドレーン(お腹から出ている管の先についているパックの入った袋)を首から提げ、という状態だ
おまけに尿をとらないといけない作業があるので時間がかかる
夜も眠気が来ずに何時間目をつむっても眠れなかった
眠れないと言って、この日から入眠剤をもらう
2014.1.23
お昼から3分粥が出る
ガスが出始める
点滴は次々と切れめがない
痛くても歩かないといけないので、点滴を連れ、腹腔ドレーンの袋を提げ、病棟前の廊下を歩く
テレビでも見ようかと思っても、頭に入って来ず、ひたすら音楽を聞く
入眠剤で眠ったと思ったら、咳ですぐ目が覚めてしまった
外から聞こえる電車の音が、夜の電車か朝の電車かと思いながら過ごす
朝の電車でありますようにと願いながらひたすら時間がたつのを待つ
2014.1.24
この日も3分粥
体を拭いてもらい、病衣を着替える
洗髪しますか?と聞かれたのでお願いする
タオルとシャンプーを持って、浴室へ
若い男性の看護師さんがシャンプーとドライヤーをしてくれた
術後初めて便が出た
下痢だけど、腸がちゃんと動いているんだと安心する
廊下を歩いていると、先生に会う
月曜か火曜の好きな方に退院していいと言われ、即効で月曜と答える
とにかく早く帰りたいのだ
2014.1.25
点滴が最後になる
やっとお腹の腹腔ドレーンが抜かれる
シャワーをしてもいいとのことで、お風呂セットを持ちシャワーを浴びる
体から管がなくなって、やっと自由になれた
5分粥、8分粥に変わって行く
病理検査の結果を聞く
リンパ節への転移は運よくなかったこと、予想していた結果よりよかったが、若いから抗がん剤をした方がいいかどうか内科の先生と相談すると言われる
歯科に行く
もう退院できることに少し驚かれる
麻酔も6時間もしているのに。と
やはり若いから回復が早いのかなと言われた
2014.1.26
畜尿が終わり、やっと普通にトイレで用が足せるようになる
朝から普通食になる
することがないので、この日もシャワーを浴びる
昼間も眠れないので、歩きに行ったり、違う場所で座ってみたり、売店に行ってみたりと暇つぶしをする
突然下痢が来るので、トイレの遠くにはいけない
相変わらず眠れず、夜中3時に急に気持ち悪くなりトイレで吐いた
水しか出なかったが、明日は絶対退院するんだ、大丈夫だ、と言い聞かせて寝る
2014.1.27
朝ごはんはちゃんと食べられたので、あぁ帰れると思い、帰る準備をする
回診に来た先生に吐いたことを告げる
レントゲンを撮ってから退院を決めようと言われ、少し焦る
OKが出て、会計金額が出るまで部屋で母と待機
タクシーで8日ぶりに我が家へ戻る
退院後も眠れなくなってしまい、2、3日してやっと眠れるようになった
食欲はあるが、食べると下痢になることが多くまだまだ外出ができない
そろそろ職場復帰もしないといけないのだが…
天気の良い日はワンコを連れてお散歩で歩くようにしている
ほんとうに怒涛の一ヶ月だったが、思っていたよりも苦しくしんどい痛い入院生活だった
二度と経験したくない体験であった
今日耐えれば明日は必ず今より楽になるはずだと何度も何度も思いながら過ごした日々だった
その上の眠れないというのがかなりこたえた
個室か3人部屋しかなかったので安い方の3人部屋にしたが、物音や話声が気になる私は個室にすればよかったと思った
ただここの個室はかなり高くて8日間だと10万以上かかるのだ
貧乏症の私は思いきれなかったけど、病気のときくらいは楽な方を選ぶべきだなと思った