前回の続き。
そして、ずっと頭の中でくすぶっていたこと。
大衆は正しい。が、たまに間違える
集団で生きるヒトは、皆と同じ行動を取るのが「正解」である。
狩猟・採取の時代から、特に農耕の社会では。
今でも、災害時には大勢でいた方が「安心」という心理が働く。プライバシーのない体育館での「雑魚寝」というのも意味あるんじゃないかと思う。避難生活での孤独死のことを思うと。もちろん、他の解決策はあるんだけど。
もしも、避難施設の天井が落ちてきたらどうするのだろう。
最悪全滅である。
これが、大衆の犯す「間違い」。
「間違い」じゃなくて、「運」だろうと言うかもしれない。が、リスクを分散させなければいけないという意味。本当に怖い「同調圧力」の話はここではしません。
で、これを修正するのが、「ちょっと変わった人」。
「三年寝太郎」の話は、実はそういうことなんじゃないかと思っている。
この「ちょっと変わった人」には色んなタイプがある。
今の時代の「発達障害」とか「ギフテッド」と言われている人達もそうだろう。
普段は全く役に立たないけれど、非常事態にはとてつもない能力を発揮するかもしれない。
(逆もあるだろうけれど)
話は少しそれるけど、考えてみて下さい。
農作業するのに、東大に行く頭(CPU HDD メモリ)は必要だろうか。
身体を動かさないで、七面倒臭いことばかり言って。
ただ邪魔なだけ。
これは、工場でも一緒。デスクワークとなるとちと違うかも。だから、勘違いしてしまう。
こんなの、村に一人いれば十分でしょう。
それを大量生産しようとしているのが、今の時代の誤り。
しかも無理やり作ろうとしているから、子供達も社会もおかしくなる。
が、今回はそっちの方の話もここまで。
いわゆる頭のいい人達は「いい子」になることができる。
身体も動かし、農作業もしっかりするだろう。
そして、大衆は「突飛」な意見を嫌う。
それは、「中庸」が正解なんだから当然だろう。
かくして平時には、特に農耕民族では、「皆と同じ」が好まれる。
それらのことも大事ではある。
しかし、時には「三年寝太郎」も必要でしょう。
今のように、訳のわからない世の中には。
なかなか理解はされないけれど。
ねぇ、源内さん。
noteの最初の記事は「57年寝太郎」
「クレタ人は嘘つきだ」で有名なエピメニデスは、57年の眠りから覚めた後、アテナイを疫病から救ったという。もちろん、エピメニデスの足元には遠く及ばないが、還暦を迎える今年まで寝ていたような日々を送ってきた者が、疫病退散を願ってnoteを始めます。
広告はいりんせん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます