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かはたれのジエン

イタチの最後っ屁 ・・・なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

三年寝太郎

2025年05月19日 | よしなしごと 

三年寝太郎

 前回の続き。
 そして、ずっと頭の中でくすぶっていたこと。

大衆は正しい。が、たまに間違える

 集団で生きるヒトは、皆と同じ行動を取るのが「正解」である。
 狩猟・採取の時代から、特に農耕の社会では。

今でも、災害時には大勢でいた方が「安心」という心理が働く。プライバシーのない体育館での「雑魚寝」というのも意味あるんじゃないかと思う。避難生活での孤独死のことを思うと。もちろん、他の解決策はあるんだけど。

 もしも、避難施設の天井が落ちてきたらどうするのだろう。
 最悪全滅である。
 これが、大衆の犯す「間違い」。

「間違い」じゃなくて、「運」だろうと言うかもしれない。が、リスクを分散させなければいけないという意味。本当に怖い「同調圧力」の話はここではしません。

 で、これを修正するのが、「ちょっと変わった人」。
 「三年寝太郎」の話は、実はそういうことなんじゃないかと思っている。

 この「ちょっと変わった人」には色んなタイプがある。
 今の時代の「発達障害」とか「ギフテッド」と言われている人達もそうだろう。

 普段は全く役に立たないけれど、非常事態にはとてつもない能力を発揮するかもしれない。
 (逆もあるだろうけれど)

 話は少しそれるけど、考えてみて下さい。
 農作業するのに、東大に行く頭(CPU HDD メモリ)は必要だろうか。

 身体を動かさないで、七面倒臭いことばかり言って。
 ただ邪魔なだけ。

これは、工場でも一緒。デスクワークとなるとちと違うかも。だから、勘違いしてしまう。

 こんなの、村に一人いれば十分でしょう。
 それを大量生産しようとしているのが、今の時代の誤り

 しかも無理やり作ろうとしているから、子供達も社会もおかしくなる。
 が、今回はそっちの方の話もここまで。

 いわゆる頭のいい人達は「いい子」になることができる。
 身体も動かし、農作業もしっかりするだろう。

 そして、大衆は「突飛」な意見を嫌う。
 それは、「中庸」が正解なんだから当然だろう。

 かくして平時には、特に農耕民族では、「皆と同じ」が好まれる。
 それらのことも大事ではある。

 しかし、時には「三年寝太郎」も必要でしょう。
 今のように、訳のわからない世の中には。

 なかなか理解はされないけれど。
 ねぇ、源内さん。

noteの最初の記事は「57年寝太郎」
「クレタ人は嘘つきだ」で有名なエピメニデスは、57年の眠りから覚めた後、アテナイを疫病から救ったという。もちろん、エピメニデスの足元には遠く及ばないが、還暦を迎える今年まで寝ていたような日々を送ってきた者が、疫病退散を願ってnoteを始めます。

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