Q1.かわしんが感じた、都会と田舎の常識の違いはなんですか
A.例を一つあげると「ゴミ」。山江ではゴミ捨て場(建物)があり、分別するのもほぼ丁寧に行ってある。しかし、都会は周りの顔が見えないことをいいことに、分別が雑多な人や、捨てられないゴミまで置いてあるときがあった。都会で見かけた若者にもそういった一面があり、地域あっての自分という感情が特に育ちにくい環境にあると思いました。それが、いろんな事件や悪い社会情勢の下になっているのではないかと感じました。
Q2.山江村の紹介が難しかったということですが、山江村は自然がありますといってもどこの町村でもそれはあることで、どういった紹介をすればよいか戸惑う。かわしんさんはどういう風に説明したのか
A.たしかに自然やその他の項目も単品で挙げてしまえば何処にでもあるといわれてしまいます。ボンネットバスも全国に数箇所ありますし、住民ディレクターも沢山の地域にいらっしゃる。しかし、その2つの組み合わせがあるのが山江村。そしてそれ以上に同じ「人」は何処にもいない。人が今の山江村を作っている。役場職員として「山江村の人をどれだけ知っているか」が山江村を紹介するときのポイントになってくるのではないでしょうか。
※補足(この時は少し例となる組み合わせが少なすぎた。他にボンネットバス+菜種+BDF+時代の駅+農家レストラン。ホタルの飛ぶ里+マロンテレビ+人口4000人+棒踊り。この組み合わせが増えるほどその村の独自性が出てくることを伝えたかった)
Q3.東京マイコープが山江村を取引の対象としてくれるだろうか
A.東京マイコープは安心安全、産直という部分に大変こだわりをもっています。まず山江村がそういった減農薬や有機栽培などへ取り組む姿勢が必要であると感じる。また、そういった場合には量の確保から、みんなで取り組む必要があると思う。
Q4.農業をやる上で、土作りだけでも3年かかるといわれています。私はそういった考えで農業を行ってきましたので、自信と実績はあると考えています。是非東京マイコープの理事さんが山江村を訪れることがあるならば、あわせて欲しい。
Q5.1年の研修ということでしたが、延長を考えなかったのか
A.1年が終わる頃に実践を早く行いたいと強く考えました。仕事上の人間関係は良好でしたが、生活基盤に関しては短期間しかいないことが前提の東京生活があまり居心地が良くなかったのも一つです。
Q6.行政マンの意識として何処が変わったと思うか
A.住民を主役と意識して行動をしたいと思った。またブログを始めることにより、日々の感動を忘れず残すことを心がけるとともに、自地域のよさをもっと認識したいとおもいました。
Q7.中国の餃子事件をきっかけに中国からの農産物に対して不安が高まったが、そういった状況の後、生協はどのように変わったか
A.あの事件が起こったときに、マイコープへ直接出入りしていなかったのでどう変わったかは分かりません。しかし、産直運動を理念に上げているマイコープでは影響がすくなかったと聞いております。
※補足(あとから考えると、あの事件後、生協への理解が高まったとか、組合員が増えたといったことがもしあるならば、そういったことを聞きたかったのかなぁと反省)
Q8.私の娘は東京で「山江村出身」というのを恥ずかしがってた。かわしんはどうだったのか
A.自分の村をどうとらえているか、それは一人一人違うのでしょうがないと思います。しかし私は山江村出身を恥ずかしいとは思いませんでした。ただ、東京での自己紹介の時に、岩手県遠野市の職員とは「あの遠野!」といった声があったのに対して、山江村には「どこやろか~その村は」といった空気が流れたのは事実です。山江村の認識というのは実際のところそんなもの。しかし、私は方言などについてもできるだけそのままでみなさんと接し、そうしたことが山江村を分かってもらう一つになると思いました。
Q9.かわしんが東京にいってどのくらいの人に山江村を知ってもらっただろうか
A.少なくとも1000人には山江村を知ってもらえたと思う。それは村長が全国大会のパネリストなどになり山江のPRをしたことも要因になっておりますが。
Q10.東京で学んできたことを通して、具体的な政策等があれば聞きたい
A.現在の山江村のグリーンツーリズムは体験型の方向へ向かいつつあった。山江村でのありのままの生活を山江ツーリズムという枠組みで考え政策を練りたい。また生活密着型のワーキングホリデーを実践してもらいたい。
Q11.最後の質問です。山江村からの次の派遣者に主に何を引き継いだか
A.事務的な引継ぎはもちろんですが、私が出会った人をできるだけ会わせたいと思いました。
※補足(後から聞いた話、飲み屋を引継ぎできました等と笑いをとって終わって欲しかったそうです;しまった。)