和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

礼文島 利尻島の旅 Ⅴ 利尻島一周の続き

2022-11-06 17:52:37 | 日記



オタトマリ沼

仙法志御岬公園

神居岬

利尻ウイスキー 今まだ熟成中

時雨音羽の碑

沓形岬公園から

富士野園地 エゾカンゾウが咲き誇るところ

100名山の最後の登頂は利尻山を選んだ北海道出身のアドベンチャーレーサー 田中陽希の碑

15日5時48分 ホテルの窓から

一人ずつ船に乗って出ていきました

ヒラメを釣りに?

海の底にいるという皮むきカジカだそうです。

浜のお母さん





次に行ったのは北海道のお菓子「白い恋人」のパッケージにもなっているオタトマリ沼でした。 島の南東に位置して利尻島最大の湖沼になってます。
日本最北限のアカエゾマツの原生林に囲まれた美しい沼は、遠くに利尻富士を望むビュースポットなのですが残念ながら利尻富士は雲にすっぽり隠れてしまっていました。
一時間の自由時間は皆々アイスクリームなどを食べながらベンチでゆっくおしゃべりタイムとなりました。昼食後もまた島内の名所を回りました。
翌日15日は東京へ帰る日です。早朝にまたぐるっと港の周りを散策するとホッケ漁から帰った船を見つけました。大漁ですかと聞くと最近は不漁が続いてねとの答え。
浜のお母さんから海の底にいる珍しい赤い魚(皮むきカジカ)を見せてもらいました。グロテスクですが目が可愛かったです。
3泊4日のツアー旅は連日の好天気の中、思いがけずに旅行支援も受けながら楽しい旅になりました。

利尻ウイスキー蒸留所のオーナーは、アメリカ・ニューヨーク出身の起業家で利尻島から世界でオンリーワンのウイスキーを目指している方です。
日本最北の蒸留所で生産を目指すウイスキーは、まだ「原酒」の段階。熟成を経て地元で販売できるようになるまで時間はかかりますが、ケイシーさんは先を見据えているそうですよ。
ウイスキー作りの本場はスコットランドのアイラ島。アイラ島の冷涼な気候、雰囲気が利尻島に似ているとケイシーさんは思ったそうです。楽しみな利尻土産が出来ますね。

利尻町名誉町民で、今も多くの人に親しまれている歌謡作詞家 時雨音羽(しぐれおとは)は、1893年、利尻町沓形に生まれました。1925年、講談社の依頼で、新大衆誌「キング」に
「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。これがきっかけとなり、ビクターレコード会社にスカウトされ、「君恋し」、「浪花小唄」などヒット曲を書き、流行作詞家となりました。
1960年、沓形岬に詩碑「出船の港」を建立。この後、島の人たちは沓形岬を歌詞にあるように「どんと岬」と呼ぶようになったそうです。
ツアーメンバーの中で「出船の港」を朗々と歌ってくれた人がいたのには驚きでした。 
オペラ歌手藤原義江のレコードが家にあり親父がよく聞いていたので覚えたとのこと。  ”拍手、拍手”

礼文島 利尻島の旅 ⅳ 利尻島一周

2022-11-02 17:17:58 | 日記

10月14日ホテルの窓から夜明けは5時47分

姫沼の紅葉

原生林に囲まれている

つる紫陽花の実

タラの芽の実 タラの芽は新芽を食べますが秋の実を見たのは初めて

ヤマブドウの葉が一番の紅葉

ヤマブドウの実 食べてみたらまだ渋い

風もなく青空のもとでの散策は詳しい説明を受けて勉強になりました

ラナルド・マクドナルドの碑

詳しい説明書き

鬼脇村役場だったところが郷土資料館に

ここにもラナルド・マクドナルドの資料が展示

吉村昭著 「海の祭礼」にはラナルド・マクドナルドのことが紹介されている

番屋の内部の紹介

昔使われていた

トドとアザラシ

今日は10月14日(旅の3日目)利尻島を一日かけてのんびり一周する日です。
まず朝一番に訪れたのは姫沼でした。千葉県習志野市出身で10年前より利尻島に魅せられて移住してしまったという若い男性のネイチャーガイドさんと一緒に一時間かけて
説明をうけながら木道を歩きました。沼ではツタウルシ、ヤマブドウ、ナナカマドの葉が真っ赤できれいでした、島内にはヘビもクマもいないそうですが野鼠対策にはイタチやキツネが
活躍するそうです。利尻富士に雲がかかり姫沼には逆さ富士が投影されずそれが残念でしたね。
次に訪ねたのはラナルド・マクドナルドの碑でした。
ラナルド・マクドナルドは、英領時代のカナダで生まれたメティの船員、冒険家。鎖国時代の1848年に、アメリカの捕鯨船から小船で日本に密入国し、約10か月間滞在しました。
当時の日本は鎖国時代で外国人は自由に入国できず漂流者を装ってアイヌ人に助けられ、10日間を上陸の地である野塚,本泊、宗谷などの地で取り調べを受けてから船で長崎に送られました。
ペリー来航の五年前、単身日本に密入国した彼は、長崎の座敷牢でオランダ通詞たちに英語を教えた日本で最初のネイティブの英語教師となりました。
ツアー一行は次に鬼脇村郷土資料館にも立ち寄りました。ここでもラナルド・マクドナルドの資料などが詳しく展示されていました。私には初めて聞いた名前のラナルド・マクドナルドなので興味がそそられて
一つ新しいことを知りたいと帰宅後すぐに図書館に吉村昭著の「海の祭礼」を取り寄せて今読み始めています。

座敷牢で英語を教わった森山栄之助はじめ14人の通詞の当時の様子を知りたくてネットで調べてみました。
「マクドナルドは江戸後期の1848年、密入国して利尻島(北海道)で捕まり、長崎に送致された。長崎でいま碑が立つ付近にあった寺に幽閉され、座敷牢(ろう)の格子越しに森山ら14人の通詞に英会話を教えた。
国内初の英語を母語とする外国人教師だ▲その頃は既に英米の船が日本の近海に続々と姿を現していた。生きた英語を身に付けた森山栄之助は江戸幕府に重用され、幕末にすさまじい働きを見せる。
米国のペリー、ロシアのプチャーチンらの来航時に通訳を務め、武力の差を背景に開国を迫る欧米列強と意思疎通を図り、通商条約を結んで平和的な開国を実現した陰の立役者となった▲
マクドナルドは温厚篤実で日本人に好意的だった。国や文化が違っても同じ人間同士、きっと心は通じ合う-。森山栄之助達は英語だけでなく、最も大切な心得を師から学んだのだろう▲」