和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

狐のカミソリと向日葵咲くあけぼの山農業公園

2017-08-14 08:00:35 | 日記














クロアチア紀行連載中ですが狐のカミソリが咲き出したのでお届けします。
昨年見に行くチャンスを逸したので今年は狐のカミソリが桜山の斜面に咲いているとの情報を得てすぐに出掛けました。
夏の向日葵でも有名なあけぼの山農業公園ですが園内には何カ所かこのヒガンバナ科の球根植物が咲くところがあります。水仙の葉に似た細長い葉がカミソリの刃に似ていることからこの名が付いたようです。
7月の末には向日葵の撮影にも出掛けましたが此処の向日葵は成長期に雨が少なかったので背が小さく早くから咲き出してピークは既に過ぎていました。2回目に行ったときには向日葵がすっかり刈り取られていたので聞いてみると秋のコスモスのためにトラクターを入れて畑を準備しているとのことでした。

夏痩せは昔のことよ万歩計

ボスニア・ヘルツェゴビナの観光都市モスタルへ

2017-08-10 07:21:56 | 日記

今日のガイドはミルナさん

内戦の傷痕

西側カトリック教会 聖ペーター教会

西側はクロアチア側の店やレストラン

西側の店

スターリ・モスト

アーチ形のすべすべした階段を上る人 降りてくる人 (スターリ・モストを渡る)

東側はイスラム系の店で西側とは雰囲気が違う

美人のモスリム人

イスラム教のモスク

別の角度からもう一度橋を見て

旅行7日目(6月20日)は昨日まで2連泊したドブロヴニクを朝7時30分に出発。ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ向かいました。国境での出入国は前日のモンテネグロでの国境通過に比べて比較的にスムーズでした。ネレトゥヴァ川に沿ってモスタルまで135キロ。途中でブドウ畑を多く見かけましたがここでは米国から輸入したブドウの苗木に接ぎ木して育てているそうです。
モスタルはオスマントルコの街として発展してきましたがその発展の中心となったのは1566年にスレイマン一世によってネレトゥヴァ川に架けられたスターリ・モスト(古い橋)です。橋脚を用いずに両側からアーチ状に架けられたこの橋は当時世界唯一シングルスパンアーチと言われていました。
この地域ではムスリム人やクロアチア人やセルビア人などが長きにわたって平和に暮らしてきました。ところがユーゴスラビア連邦解体に端を発した内戦(1992年-1995年)により民族間の紛争が起き、民族融和の象徴と言われたこの橋は破壊されてしまいました。
ユネスコの協力でこの橋が復元されたのは2004年になってからです。橋は全長28メートル 高さ20メートルあります。
平和になったとはいえ内戦の影響は今も消えず、街はネレトゥヴァ川を挟んで東側はムスリム人、西側はクロアチア人と住み分けされています。両方の地域を分けるのがこの橋スターリ・モストなのです。橋は今は観光の名所となっていて両岸には多くの土産物屋が軒を並べています。大勢の観光客が通る橋はすべすべしていて渡りきるのが大変でした。


レース編む老女手元の薄暑光



上野不忍池の蓮の花

2017-08-06 08:00:31 | 日記















不忍池の蓮が見頃との情報を得て撮影に行って来ました。早朝にもかかわらず大勢の人が見に来ていました。7月中旬から咲き始めて1ヶ月以上見頃が続くとのことです。
自宅からも近く、JR上野駅から歩いて5分で行けるこの池にハスが咲いている事は知っていましたが、今までハスを撮るには池が広すぎていい写真が撮れないと思っていました。
ところが3年前に池の中に木道が整備されて今ではすぐ近くからハスを鑑賞することが可能になったのです。久しぶりに行ってみると思いの外良かったので数日後もう一度訪ねたほどです。

いつ頃から此処には蓮があったのでしょうか。1677年に出版された「江戸雀」という本に ”涼しやと池の蓮を見かへりて誰かは跡をしのばずの池”という和歌が載っていることからこの頃には不忍池には蓮の花が見られたようです。
江戸時代には紅色と白色の蓮があったという記述も残されていて昭和10年の大賀博士の調査では10品種のハスが確認されています。第二次大戦中は水田として利用され終戦後に蓮池として復元されたそうです。

供華とす記憶新たに蓮の花

世界遺産の街 モンテネグロのコトルへ

2017-08-03 08:00:06 | 日記

シュクルダ川を挟んで右旧市街

城壁から新市街を見て

入り口で出迎えてくれる人形

1602年に出来た時計塔のある旧市街広場

コトルのガイドさん

プリマ宮殿

聖トリプン大聖堂 ローマカトリック

路地裏

聖ルカ教会 セルビア正教会

山の上にある聖母教会 15世紀に建てられた

帰りもフェリーに乗って


ドブロヴニク二日目の午後はそのままドブロヴニク観光を続ける組とモンテネグロ観光の二組に別れました。迷うことなくモンテネグロ観光を選択してコトルに向かいましたが90キロのドライブは最高のお昼寝タイムとなりました。

今回もクロアチアからの出国とモンテネグロへの入国と二度の検問所でのチェックを受けなければなりません。前回のように係官がバスへ乗り込んでくることはなく添乗員の日高さんが集めた全員のパスポートを運転手のマリオさんが詰め所に持って行きチェックを受けました。時期によりまた国境の場所ごとにチェックの仕方は変わっているようです。検査を受ける車はバスと乗用車とトラックの3レーンに分かれていましたが幸いバスレーンは空いていて助かりました。クロアチア側の検査が終わった後、国境緩衝地帯となってる地域を数分走った後、今度はモンテネグロの入国検査場です。ここでもマリオさんがパスポートを詰め所に持って行きチェックを受けました。通行許可が出た後また詰め所にマリオさんがビールとミネラルウォーターを届けました。厳密に言うと贈収賄です。国境のない日本にいると想像できませんが、国境を越えることが如何に面倒なことか考えさせられました。添乗員さんの話ではこれでもこの日はスムーズに通れた方とのことです。

湾内に深く切り込んだ奥に位置するコトル旧市街に行くため途中の港から10分ほどフェリーに乗ってショートカットしました。日本では橋を架けて解決するところですが経済力の弱い国なのでまだそこまでできないようです。フェリーを降りそこからバスで更に十数分走るとやがて今回の目的地コトルが見えてきました。複雑に入り組んだ湾のもっとも奥に位置しているこの街は険しい山に囲まれた天然の要害の地となっています。背後の山に沿って城壁があり、一番高いところで高さが20メートル、長さは4.5キロメートルもあるそうです。狭い石畳の旧市街の路地は迷路のようでした。湾内深くまで船が入るので貿易で発展したそうで当時の繁栄を物語る豪華な館と教会がありました。1979年の地震で多くの被害を受けましたがユネスコ等の協力で復旧したそうです。今もこの街はクルーズ船の寄港地のひとつになっています。

帰路もまた国境で出入国の検査がありました。モンテネグロの出国が終わり、クロアチア入国検査を受けた時、係官が連れていた可愛い犬がマリオさんが積み込んでいたトランクの周りを行ったり来たりしはじめ、そのうちにトランクを入れるバスの扉のそばにちょこんと座って離れなくなりました。ペットにしたいほど可愛い犬ですがこの犬こそ麻薬の密輸をチェックする麻薬探知犬とのこと。とうとう係官はマリオさんにトランクの扉を開けるように命じました。丹念に調べていたようですが中からは何も出てきません。その間30分以上かかったと思います。添乗員の話では麻薬犬の鼻も100%正確ではなく、麻薬でなく異性の犬の匂いに反応することもあるそうです。聞き漏らしましたが今回もそうだったのでしょうか。
よけいな時間がかかりましたが面白いドラマを見ているようでした。

城壁の刻の止まりし夕焼かな