或る日山のお寺に説教が有るので行こうと誘われた、狭い山道を車で行くと、道路の行き止まりに
車やバイクが多数止めてある。
山の岩穴に仏像が並んで、ここの前で皆が集まってお坊さんの説教を聞くのであるが、
タイではお経の中頃と思うが、お坊さんが唱えたお経を本を見ながら同じように唱えるのだ。
集まった中の年上の男性が、その役目をする事が多いのだが、義父がそれに当たるが、
比較的若い男性にその役目を頼んでいる、その時はどうしてか判らなかったが、
義父の年少の時は学校にあまり行ってなく、タイ語が読めないのだったと思うわけである。
義母もあまりタイ語が解らなく、この地方のラオ語で話している。
この町ではラオ語が普通の会話で、子供は学校ではタイ語を習っているのだから、
2か国語話した事になり大したものだと思うのである。
普通の人は勿論タイ語は解るが、私の話しているタイ語は理解出来ない人もいた。
その時は彼女に私のタイ語を話して、彼女が通訳のタイ語を話すのである。
彼女も小学校は義務教育しか行ってないので、掛け算割り算は苦手のようだ。
養殖蛙やマンゴの売買の時は、義弟の嫁に付いてもらって計算をしている。
だけどこの町は、今では大学に行く子共が多いのである。
又貧富の格差も広がっている。