今大会は、日本が初めて目標を掲げて望んだ大会だった。目標というと本田の「優勝する」が目立っていたが、実際の目標は「日本らしいサッカーをして成果を出す」ということだろう。今までのワールドカップは、「出る、できるだけがんばる(そして少しでも上に行く)」が実際のところだった。これはあまり目標とは呼べない。
日本らしいサッカーとは「パスと組織による攻めのサッカー」という共通認識だと理解している。フランスやベルギー、あるいはイタリアといい試合ができたこともあり、ファンは日本らしいサッカーに期待をした。本田(直前にミランに移籍)、長友(インテルでキャプテンマークを間違って巻くことも)、香川(ドルトムントでの活躍で、前年マンUに移籍)らの存在がそれができることの根拠とされた。
前回大会はベスト16で涙を飲んだが、あれは日本らしいサッカーだったのだろうか?実のところ大会寸前であまり成果が出なそうなチーム状況を岡田監督が適切に判断して、現実的な「ひたすら守る」チームへ意思統一してあげた成果だった(ちなみに、今大会のオランダもアプローチは同じ)。前回大会までは日本らしいサッカーもなにも、それが何であるかの意識がなかった。もちろんこれには色々な伏線はあり、パスと集団のサッカーへ舵を切ったオシム監督の指導とその病気による断念という経緯や、「日本人はまず守り」という根強い主張(例えば、闘莉王は今大会後もそれを主張し続けていていて、その気持ちもわかる)もある。
ザッケローニ監督はパスと組織によるサッカーを淡々と追求した。これは前述の選手たちが欧州での活躍の場を得つつある状況と相まって、よい選択であり、よい仕事をしてくれたと感謝している。しかし、そのサッカーがワールドカップではなにもできなかった。
ザッケローニは「3バック」のシステムにチームをトライさせていた。しかし何度も試行錯誤を重ねたにもかかわらず、それが身に付かず諦めてしまった。これはザッケローニの指導の問題もあったのかもしれないが、日本の体質を反映していたようにも思う。やりたいことがあると、やりたいこと以外はやりたくない、ということはなかったのだろうが、どうも違ったものに気が進まない、熱が入らない、というような感じを受けた。ザックの3バックのオプションは、「やりたいことができない時でもなんとかするための」オプションだったはずだ。日本はやりたいことがはっきりしてきたことは進歩だと思うが、やりたいことを本当にするためには、だめな時でも最低限できることがなかった。日本チームは1戦目(コートジボワール)、2戦目(ギリシャ)は天候に恵まれなかった。あまり雨の降らないと言われていた、レシフェとナタウで土砂降りに近い雨が降ったことは、とくにフィジカルに劣る日本にとって不利であった。いわばやりたいことができない状況だ。悪いときに何を拾うか?日本に拾う手立てがなく、混乱に陥り、気がつくと3試合が終わっていた。
ワールドカップは夢を見させてもらうイベントで、今回は、今までと違った夢を見させてもらった。ただし夢から覚まされるのが少し早かった。ドログバまでだった。
今大会のオランダやアルゼンチン、あるいはコスタリカらに代表されるリアクションサッカーの成功で、また保守的な方向への回帰があるだろう。サッカーの歴史は、トレンドとアンチトレンドが入れ替わることの繰り返しでもある。しかし日本代表は、パスと組織による攻撃的なサッカーを、もう一ひねりした上で、継続的に取り組んでいただきたいと切に願っている。
日本らしいサッカーとは「パスと組織による攻めのサッカー」という共通認識だと理解している。フランスやベルギー、あるいはイタリアといい試合ができたこともあり、ファンは日本らしいサッカーに期待をした。本田(直前にミランに移籍)、長友(インテルでキャプテンマークを間違って巻くことも)、香川(ドルトムントでの活躍で、前年マンUに移籍)らの存在がそれができることの根拠とされた。
前回大会はベスト16で涙を飲んだが、あれは日本らしいサッカーだったのだろうか?実のところ大会寸前であまり成果が出なそうなチーム状況を岡田監督が適切に判断して、現実的な「ひたすら守る」チームへ意思統一してあげた成果だった(ちなみに、今大会のオランダもアプローチは同じ)。前回大会までは日本らしいサッカーもなにも、それが何であるかの意識がなかった。もちろんこれには色々な伏線はあり、パスと集団のサッカーへ舵を切ったオシム監督の指導とその病気による断念という経緯や、「日本人はまず守り」という根強い主張(例えば、闘莉王は今大会後もそれを主張し続けていていて、その気持ちもわかる)もある。
ザッケローニ監督はパスと組織によるサッカーを淡々と追求した。これは前述の選手たちが欧州での活躍の場を得つつある状況と相まって、よい選択であり、よい仕事をしてくれたと感謝している。しかし、そのサッカーがワールドカップではなにもできなかった。
ザッケローニは「3バック」のシステムにチームをトライさせていた。しかし何度も試行錯誤を重ねたにもかかわらず、それが身に付かず諦めてしまった。これはザッケローニの指導の問題もあったのかもしれないが、日本の体質を反映していたようにも思う。やりたいことがあると、やりたいこと以外はやりたくない、ということはなかったのだろうが、どうも違ったものに気が進まない、熱が入らない、というような感じを受けた。ザックの3バックのオプションは、「やりたいことができない時でもなんとかするための」オプションだったはずだ。日本はやりたいことがはっきりしてきたことは進歩だと思うが、やりたいことを本当にするためには、だめな時でも最低限できることがなかった。日本チームは1戦目(コートジボワール)、2戦目(ギリシャ)は天候に恵まれなかった。あまり雨の降らないと言われていた、レシフェとナタウで土砂降りに近い雨が降ったことは、とくにフィジカルに劣る日本にとって不利であった。いわばやりたいことができない状況だ。悪いときに何を拾うか?日本に拾う手立てがなく、混乱に陥り、気がつくと3試合が終わっていた。
ワールドカップは夢を見させてもらうイベントで、今回は、今までと違った夢を見させてもらった。ただし夢から覚まされるのが少し早かった。ドログバまでだった。
今大会のオランダやアルゼンチン、あるいはコスタリカらに代表されるリアクションサッカーの成功で、また保守的な方向への回帰があるだろう。サッカーの歴史は、トレンドとアンチトレンドが入れ替わることの繰り返しでもある。しかし日本代表は、パスと組織による攻撃的なサッカーを、もう一ひねりした上で、継続的に取り組んでいただきたいと切に願っている。