こらっワールドカップ

Coração da copa do mundo - ワールドカップ期間限定感想文

ワールドカップを見事に締めくくったファイナル。そして栄冠はブラジルの手に。ドイツ 0-2 ブラジル

2002-06-30 23:20:02 | 2002日韓大会
2002年に某所に寄稿したワールドカップ決勝の原稿を再録してみました。横浜国際の北側ゴール裏アッパーから眺めていました。
プロの編集が入っていますので、私が自分で作成するものよりきれいです。投稿日は2002年の試合日にしていますが、その頃はgooブログはなかったかも。(2010.5.30)





カフーが台の上によじ登る。危なっかしい。そして、ワールドカップを高く掲げる。銀のリボンの噴射。天井からは無数の折鶴が舞い降りる。次々とゆっくりと、ゆっくりと。オーロラ・スクリーンに、黄金のワールドカップが映る。くすんだ金色に銀のテープが舞う。ブラジル娘たちの嬌声も遠く聞こえなくなる。ウイニングラン。バンゲリス作曲の新FIFAアンセムが激情を静め、喜びへと変える。ブラジル5回目の優勝。2002年6月30日。日本中を、世界を駆け抜けたワールドカップが終わった。“特別”取材班は、そのフィナーレをスタジアムで体験することができた。


決勝を戦うドイツとブラジルは、奇しくも日韓両国で3試合ずつを戦い、ここ横浜にたどり着いた。日本人には見慣れたはずの横浜国際も、今日ばかりは旅の終わりの到達点に感じてしまう。喜び、悲しみ、驚き。みんなでサッカーのことをずっと考え続けた1カ月間。今日が本当に最後の1試合。「決勝」という勇ましい響きではなく、「ファイナル」という語感がぴったり来る、ドイツとブラジルによる最終章である。

スタンドはカナリア色のユニフォームが支配的、ブラジル人は推定7000人。ドイツ・サポーターもこの日のために駆けつけた人が多いようで、3000人程度と推定。話をしたドイツ人(バイエルン・ミュンヘンのサポーター)は、大会前から決勝戦のみを予約していたそうな。この信念にはまず感服。ちなみに日本のサッカーについて聞くと、浦和レッズは知っているとのこと。「ブッフバルトに、ウーベ・バイン、それにリトバルスキーだろ?」(一人違います)。その他、各国のサポーターが集まっている。メキシコ人(どこの会場でも目立ちました)、アルゼンチン人5人組(敵の敵は……理論でドイツ小旗を手に)、イングランド人のいい年をした親子サポーター(同様の理論でブラジルTシャツをご着用も、やっぱり我慢が出来ずイングランド・ユニフォームにお着替えあそばす)。色んな方々が決勝を楽しみにしている。


小粋で感動的だった国旗を使った試合前イベントがピッチを去り、ようやくワールドカップをかけた1戦のキックオフ。ブラジル自慢のロナウド、リバウド、ロナウジーニョの“3R”の攻撃とカーン中心のドイツの守備という大方の予想に反して、ドイツが積極的にブラジルのゴールに迫る。これが試合を中身の濃いものにした。ひたすら生真面目に繰り返されるドイツのサイド攻撃。ゴールの予感まではいかないものの、これがブラジルの攻撃を抑える要因と見えた。「仕事師」ぶりが目立つのはノイビルである。

一方のブラジルは堅実な試合運びに終始している。攻撃は前の3人(3R)におまかせするのが基本的な作戦で、右サイドのカフーと左のロベルト・カルロスは自重気味。自慢の攻撃参加がなかなかできない。それにしても3Rの攻撃力はすごい。特に前半はロナウジーニョのスルーパスがスタンドを沸かせた。しかし2度3度と作ったチャンスにロナウドが決められない。いや、立ちはだかるカーンの前にブラジルの攻撃陣が攻めきることができないのだ。リバウドには、なかなかいいカタチでボールが入らない。


互角に進む試合展開を破ったのはブラジルだった。後半20分過ぎ、前線でロナウドがボールを奪い返してリバウドに預ける、瞬時にフリーになったロナウドに出すと思わせてリバウドが強引にシュート。無茶だ。しかし低く強い弾道のシュートをカーンはキャッチできない。ロナウドが詰める。ゴール。この試合はじめてフリーになったリバウドの攻撃に対して、カーンが初めて見せたほころび。不運。

ドイツも交代のカードを次々に切り、応戦する。しかしここからがゲルマン魂の見せどころかという後半30分過ぎ、これまで地味にブラジルの中盤を支えてきたクレベウソンが右サイドを突破、中央のリバウドが一瞬、時をとめたような優雅なスルー。ボールの先にはロナウドがフリーに。その瞬間、2点目は生まれたも同然だった。両手を広げて歓喜を表現するロナウド、今大会8点目。優勝を決めた大きなゴールだった。

ロスタイム。ベンチの選手、スタッフがブラジル国旗を身につけて、今か今かと終了のホイッスルを待ち続ける。コッリーナ主審が長いホイッスルを吹き、ボールを静かに拾う。試合終了。歓喜のブラジル・サポーター。立ち尽くすドイツ人。カーンはゴールマウスから出てこない。ドイツ選手が次々にカーンに声をかける。コッリーナ主審に励まされても、フェラー監督に慰められても、カーンはそこを動こうとしなかった。

歓喜のブラジル・サポーター。立ち尽くすドイツ人。そしてカーン。
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今大会は色々なことがあった。優勝候補の敗退には複雑な要因があるだろうが、ひとつには極東の気候への適応がポイントとなった。決勝に進んだブラジル、ドイツの両チームは、最後まで高いフィジカル・コンディションと集中を維持したことは高く評価できる。審判の問題もあった。しかし、決勝の主審を努めたイタリア人のコッリーナ氏は見事に試合をコントロールした。試合中、ブラジルの選手がユニフォームを着替えようとした時、汗でなかなか着られない。スタジアムに張りつめていた緊張感がゆるみかかった瞬間、オーロラ・スクリーンの映像にはコッリーナ主審のアップが映る。なんとその瞬間コッリーナは微笑んで見せた。一瞬、スタジアム全体がなごみ、ピッチではまたすぐに試合の流れを取り戻ることとなったのである。このような表情ひとつが実は試合をコントロールすることもある。

本大会は少々「荒れた」印象もあった。しかし、伝統国同士のファイナルとなり、また審判を含めた出場選手の高い技術による真剣な試合展開が、大会全体に彩りと薫りを残してくれた。すべてはこの決勝戦、ファイナルが救ってくれたのかもしれない。そして、ワールドカップを目の当たりにしたということは、私たちのサッカーファンはもちろん、さまざまな意味で日本の財産となるに違いない。夢の大会ワールドカップが終わった。

試合終了を待っていたかのように降り出した、やわらかな雨。興奮を心地よく冷ましてくれるようだ。帰りのゲートでは大会中ずっとお世話をしてくれたボランティアの皆さんが、気持ちよいハイタッチでサポーターを迎える。「気をつけてお帰りください、ドイツで会いましょう!」と叫ぶ彼らは、スタジアムにいながら試合を見ることはできなかった。「Jリーグもよろしくお願いします!」と、あるボランティア君がうれしいことを言ってくれる。「まかしとけ!!」。“特別”取材班の大声が夜空に吸い込まれていった。



母国の奥深さ。王国の完璧な勝利。イングランド 1-2 ブラジル

2002-06-21 23:20:02 | 2002日韓大会
こちらも復刻シリーズで、2002年6月にエコパで行なわれた、イングランド対ブラジルのレビューです。ブログ登録日は当時の日程にあわせています。(2010.6.4)





事実上の決勝戦とも謳われるイングランド対ブラジルの戦いが静岡スタジアムにて実現した。ワールドカップでの対決は1970年以来32年ぶりとのこと。死のF組を勝ち抜いてきたイングランド、韓国ラウンドで圧倒的な攻撃力を見せ付けてきたブラジル。しかし待てよ……人気の2チームであるものの、誰が彼らを優勝候補と予想していただろうか。

それはさて置き、話は前後するが“特別”取材班が乗り込んだ東京からの新幹線はまたもや大変なサポーター列車となった。しかもイギリス人の多いこと。隣に座った40代とみられるイギリス人(ロンドン在住、マンチェスターのサポ)は、この試合のために急遽来日。なんと試合の2日前に日本行きを決意したとのこと。この試合のみ観戦して、すぐに帰国するそうだ。物腰は紳士だが、ビールがぶ飲み、行動は軽く、さすが母国だと敬意を払っておこう。結局新幹線で会ったのは次から次へと現れるイングランド人ばかりであった。

では、ここで「母国」の奥深さの一端を紹介してみよう。ワールドカップ中すべてのイングランドの試合会場の近くで運営されていた「フットボール・サポーター大使館」という活動がある。これは英国で組織されている「サポーター協会」が出張してきているもので、「Free Lions」という豪華カラー16pの無料冊子をイングランドの代表戦ごとに作成配布することを中心に、サポーターへの情報提供と観戦の手助けを行っている。中心メンバーのKevin Miles 氏(ニューカッスルのサポ)は、ワールドカップの準備のために何度も極秘裏に来日。そんな努力もあって、Free Lions は無事に日本でも印刷刊行されたのだ。この日は新幹線の玄関口は掛川の仮設大使館で配布さていた。彼らの特徴のひとつは、独立組織であるということで、それゆえ彼ら自身にもチケットの割り当てはない。女性スタッフの Rachel(リーズのサポ、教え子に"I hate ManU"の歌を教えたわという先生)はチケットを入手できたのか気に掛かる。

一方、ブラジルのサポーターはというと、掛川駅から乗り換えた東海道線に山ほどのカナリア色のユニフォーム。どこから湧いてきたのかブラジル人の集団である。しかも鳴り物つきで大騒ぎ。浜松を中心に静岡もブラジル人が多い土地柄ゆえ、旅行者、在住者ともにセレソンの姿を待ちわびる。顔立ちから日系人と思われるブラジル・サポーターが多いのも印象的である。

両雄準備万端(クリックで大きな画像が見られます)



「世紀の一戦」は快晴の静岡スタジアムで、15:30にキックオフ。多少カラッとした風が感じられるものの、30度に達しようという気温がどうプレイに影響をおよぼすか注目だ。“特別”取材班の座席はブラジル・サイドのゴール真裏の前から5列目。しかし全体的にはイングランド・サポーターおよび「日系ベッカム(またの名を「なんちゃってベッカム」)」の中に、何グループかに分かれたブラジル人が位置する様子。なお目が届く範囲では、ゴール裏といえども傍若無人のサポーターはおらず互いに調和した観戦模様。

さて、試合が動いたのは前半23分、イングランドのへスキーから前線に放り込まれたロングパスにオーウェンが反応。ブラジルDFが一旦は追いつくもクリアしきれず、ボールはオーウェンへ、そのまま独走。ドリブルからキーパーの動きを2度3度と確認してシュート。脳裏に刻まれた前回大会のアルゼンチン戦での伝説のゴールを彷彿とさせるスピードに乗った見事なゴールである。イングランド先制。イングランド・サポ、大歓声。ブラジル・サポ、沈黙。

しかし、試合内容は全体的に低調となった。暑さのためか期待されたベッカム対ロベカルのサイド対決も自重しあう形。そんななかでの前半の終了間際、中盤のこぼれ球がイングランド右サイドへ。ベッカムとブラジルDF2人が競り合う。華麗にジャンプしてタックルをよけるベッカム。ブラジル陣内深くではあるものの、いやなボールの取られ方だ。「体で止めないと」と思わず大声が出る。そしてボールはロナウジーニョへ。爆発的なドリブル開始。フェイントを2度3度と入れ、リバウドのゴールを生み出す。結局、後半早々にロナウジーニョはフリーキックをねじ込み(運もあったが)、彼自身が退場になりながらもブラジルは2-1のスコアで逃げ切る。10人になった後のブラジルは完璧だった。マイボールをしっかりキープし、疲れもあったイングランドに手も足も出させない時間をつくったのは勝利へのひとつの理想の完成である。

ベスト4へ、というイングランドと日本の合同の夢は、数え切れないほど多くのベッカム・ヘアを残して終わった。太陽が西の空に沈もうとしている。スタジアムにはブラジリアンの歓喜のリズムと、暖かいイングランド・サポーターの声は、いつまでも途絶えることがなかった。


サポートの力(クリックで大きな画像が見られます)


トルシエ監督の賭けは不発に。そして、ニッポンのワールドカップは終わった。日本 0-1 トルコ

2002-06-18 23:20:02 | 2002日韓大会
2002年6月、宮城での日本代表対トルコ戦の感想文の再録です。本ブログでの投稿日は当時の試合日ということにしています。(2010.5.31)






急遽、スーパーサブとしてチケットを保有する“特別”取材班を編成。ベスト16へと進んだ日本とトルコの試合を宮城スタジアムで観戦することとなった。H組を1位で通過した日本はさらに新しい歴史を書き加えるために、雨に濡れるピッチに立つ。しかし、新布陣で臨んだトルシエ監督の賭けは不発。日本代表の挑戦は終わった。しかし、韓国はイタリアを破ってベスト8へ。韓国には何かが起こり、日本には起こらなかった。



日本代表、念願の決勝トーナメント初戦である。こう書くのも分不相応かと思うが、ベスト4が狙えるチャンスである。日本とトルコのどちらかが準々決勝に進み、この両者に、すでに勝ちを決めているセネガルを加えた3者の中からベスト4の1チームが選ばれることになる。しかも日本はホームである。こんなチャンスはざらに転がっているものではない。これをつかまねば、一生後悔するに違いない。これが試合前の正直な思いであった。

話は前後するが、日本代表と同様に、我々サポーターにとってもワールドカップのベスト16は初体験である。というのも“特別”取材班が入手できていたチケットは宮城開催分で、(日本が進む可能性のあった)神戸開催分は手に入らなかった。だからこそ、是が非でも代表にはH組を1位通過してもらいたかった。勝ち点の計算をしながらのハラハラどきどき、それも含めてグループリーグ方式の面白さが初めて体感できた大会でもある。

この日は東京から新幹線の日帰り。列車という列車がサポーター列車となる。試合前の仙台駅では思いがけず、あのミッシェル・プラティニ氏が目の前に立っている。思わず声をかけて握手していただく。プラティニ氏と会えるとは幸先がよい(帰りにはジーコにも会った…やはりワールドカップである)。

冷たい雨のなか宮城スタジアムにつめかけた幸運な観客の思いは、これまでの日本代表の健闘をたたえながら純粋に勝利を祈る、まさに素直なものであった。そして、その勝利を最も欲していたのが、フィリップ・トルシエ監督その人である。もし敗戦すれば、彼は3年半心血注いだチームを離れることになる。代表チームアップが始まった。緑のビブスをつけた選手が先発となる。アレックス(三都主)、(小野)伸二もいる。イナ(稲本)と戸田がいて、明神がいるから、アレックスはFWかもしれない。柳、鈴木のコンビがいない。結局トルシエが送り出したのは、西澤、アレックスの2トップ。このスタメンにまずはトルシエの強い意志、チャレンジを感じた。その他の先発メンバーは、GK楢崎、DF 松田、宮本、中田浩二、戸田、稲本のボランチに明神、小野が両サイド、そして中田英寿である。


いよいよキックオフ。かなり強い雨が降っている。スタンドの大部分はアーチ型の屋根に守られているが、入場までの行列でほとんどの観客がずぶ濡れとなった。さらに代表を目の前にした喜びがあるのか、スタンドにはグループリーグの時の緊迫感があまり感じられない。大丈夫だろうか。そんな雰囲気のなか、DF中田(浩)の弱いパスがカットされる。幸いそのボールはトルコにつながれず、コーナーキックに。「流れを失う」典型的なシーンである。そのコーナーキックから失点してしまった。

この試合のポイントは、トルシエの采配と日本選手の頑張りをどう評価するかにあるだろう。「ウイニングチーム・ネバー・チェンジ(勝っているチームは変えてはいけない)」の格言にあるように、グループリーグを闘ってきた先発をいじってきたのは普通の采配ではない。「賭けに出た」と言える(トルシエ監督とも4年の付き合いであり、あえて「ご乱心」とは言わないでおこう)。では、トルシエ監督の賭けとは何だったのだろうか。ひょっとしたら、この日のスタメンは「最もポテンシャルの高い11人」なのかもしれない。最強イレブンで、R16を突破できれば、そのまま・・・?とトルシエは考えたのか?監督はリスクを犯してまで、チームの再構築という挑戦を選んだはずである。結果は、アレックスの惜しいフリーキックのみの不発。FWのポジションや守備感覚が違うためにチームバランスが崩壊してしまい(失点につながる混乱も、これが遠因と言える)、結局この布陣は45分で修正を余儀なくされた。このフォーメーションの準備はしていたのか。起用選手のコンディションの見極めは正しかったのか。最後の最後まで、挑戦的でかつ疑問符だらけのトルシエ流であったが、その評価は多くの「評論家」の皆さんに譲ろう。

“特別”取材班としては、まず個々の選手はよく頑張ったと思う。しかしスタンドから客観的に見て、トルコの選手のスピードと、中盤でボールに寄せる判断の速さで勝つことができなかった。よくやったとも思うが、もどかしさが残った。残念だった。そんな思いを抱きながら帰宅すると、韓国が驚異的な試合をしてイタリアに勝っていた。このふたつのできごとを前に、頭が混乱している。日本の活躍は合理的にはその実力を出し切ったと言えるだろうが、サッカーにはそれを超えた何かがある(韓国はその何かを我々に感じさせてくれる試合をした)。サッカーには何が起こるかわからない。ワールドカップがひとつわかったと思ったら、また新たな何かを突きつけられた6月18日であった。


試合も後半、トルコの執拗な守りに苦しみ、くたくたになりながらも、中田英寿は常に前を向いて戦いを挑み続けた。感動的だった。この試合でさらにさらにヒデが好きになった。宮城の観衆は、負けた日本にも、勝ったトルコにも惜しみない拍手をおくっていた(それにしても無念さは残る)。ニッポンのワールドカップが終わったのである。