古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

湯原王の蟋蟀(こほろぎ)の歌

2024年05月01日 | 古事記・日本書紀・万葉集
  湯原王ゆはらのおほきみ蟋蟀こほろぎの歌一首〔湯原王蟋蟀歌一首〕
 夕月ゆふづく 心もしのに 白露しらつゆの 置くこのにはに 蟋蟀こほろぎ鳴くも〔暮月夜心毛思努尓白露乃置此庭尓蟋蟀鳴毛〕(万1552)

 近年の解説書として多田2009.を見ると、「夕月の照る夜、心も切ないままに、白露の置くこの庭に蟋蟀が鳴くことよ。」と訳し、次の注釈、評言がある。
 
○蟋蟀─コオロギ、キリギリスなど、秋鳴く虫の総称という。……○夕月夜─夕方、西の空に出る月。また、その夜。七日頃までの月で、すぐに沈む。○心もしのに─「しのに」は、対象にひたすら心が向けられてしまう状態を示す言葉。→二六六。ここは、対象が示されないまま、心の切なさを示す。○白露─漢語の訓読。→五九四。▶露や月光とともに蟋蟀を描く例は、漢詩文に多い。漢詩文の世界の景物を点綴てんていして、美しい心象風景を構成。新感覚の歌。(260頁)

 「心もしのに」という言い方は、シノが植物の篠、竹や笹の仲間の中程度のものを指し、ふしでつながりながらを重ね続けることを表して、よよ、とばかりに泣いて、涙を流すことが筍のように水をほとばしり出す様子と相称していることを示す修辞表現である(注1)。篠のは、代々引き継がれて永劫に続くことを表している。ヨ(節)とヨ(世、代)は同根の語である。
 「夕月ゆふづく」、夕方、西の空に出る月、すなわち、三日月のような月のことを前提として歌にしている。しばらくすると地平線に沈んでしまう。見えなくなることを惜しんでナク(泣)から涙をよよと流すわけで、庭の草の葉ごとに白露がびっしりと降りている。誰がナク(鳴)くのかといえば、「秋の雑歌」にふさわしく秋の虫、「蟋蟀こほろぎ」である。今日、種として同定されるコオロギばかりでなく、スズムシ、キリギリス、クツワムシ、マツムシ、ウマオイなどの総称である。鳴き声は多彩である。コロコロ、リンリン、チンチロリン、キリキリ、ガチャガチャ、スイッチョン。たくさん鳴いているからたくさん泣いて、涙が溢れて庭に白露を置いているということになる。
広重・東都名所 道潅山虫聞之図(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1303513をトリミング)
 三日月よ、沈まないでくれ、と虫たちは大合唱をしている。その様子を歌につくっている。言葉遊びである。問題は、「心もしのに」のシノ(篠)の様と合うようで合わないところである。ナクことがあり、涙がいっぱいで白露が輝くばかりの庭は、なるほどそういうことかとも思えるが、月が見えなくなるということは、ツキ(月、キは乙類)がツキ(尽、キはは乙類)るということである。ツキ(月)とツキ(尽)は同根の語と考えられているから、その点では矛盾はないが、シノ(篠)であるなら、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と永続するはずである。よよ、とばかり涙で庭が潤うところは合っているが、月は、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と続かずに途絶えてしまう。これはさてどうしたことか。その不確定な点を示す言葉が末尾に付けられている。終助詞「も」である。岩波古語辞典では次のように解説する。

 終助詞としては、主に奈良時代に例があって、形容詞終止形を承けるものが極めて多い。動詞の終止形、あるいは否定形を承けることもあるが、これらの「も」は、用言の叙述を言い放たずに、不確定の意を添えてその表現をやわらげるものと思われる。(1497頁)

 例としてあげている歌を引き、大意を添える。

 梅の花 散らまくしみ わがそのの 竹の林に うぐひす鳴くも(万824)
 梅の花の散ることを惜しんで、わが庭園の竹の林に鶯が鳴いている。(大系本75頁)

 鶯の鳴く真意は、鶯に聞いてみなければわからない。それはできない相談である。しかも、梅に鶯を合わせることは、自然界では少し無理がある。時期的に梅の花に寄って来て鳴いているのはメジロなどである。ウグイスはもう少し春が進んでから目にする。すなわち、終助詞「も」が置かれているのには意味がある。梅の花の散ることを惜しんで、わが庭園の竹の林に鶯が鳴いているなどということがあるのかどうかよくわからない、季節も合わないし、どういうことなのだろうかなあ、と不確定さを込めながら一応の結論を述べているのである(注2)
 標題歌の万1552番歌の場合も、蟋蟀こほろぎに聞いてみなければわからない。それに加えて、言葉の厳密な使い方からは矛盾を孕んでいるから言い放つことができない。だから終助詞「も」を伴っている。この歌の鑑賞のツボはそこにある。

 夕月ゆふづく 心もしのに 白露しらつゆの 置くこのにはに 蟋蟀こほろぎ鳴くも(万1552)
 夕月に照る三日月は、心まで篠のようによよと涙を流し泣くほどに切なく、結果、この庭には白露がたくさん置くことになっていて、それはたくさんの秋の虫たちが盛んに鳴いているがためなのだが、すると、よよよよよ、と代々続くように月が照っていなくてはならないはずだが、切ないことにじきに西へと沈んでしまう。ああ、どういうことなのかなあ。

 自然詠として捉えてきたこれまでの考え方は払拭されなければならない。漢詩文の影響からこじつけようとする講釈も慎まなければならない(注3)。上代の歌びとたちは、素朴実在論によって世界を捉えていたのでもなかった(注4)

(注)
(注1)拙稿「「心もしのに」探求」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/f8f4a36774d4b3483ae9c62458d2c865。「よよ」と泣く用例は中古の作品に見られる。

 御いづるに、食ひ当てむと、たかうなをつと握り持ちて、しづくもよよと食ひ濡らし給へば、……(源氏物語・横笛)
 開けて見るに、悲しきこと物に似ず、よよとぞ泣きける。(大和物語・一四八)

(注2)梅に鶯の取り合わせが常態化したのは、この歌の本意に理解が及ばなかったからではないか。
 本来なら、ここで終助詞「も」の用法について、筆者の考えがすべての例で合致するか調査しなければならないところではある。しかるに、あまりにも数が多いため、後考を俟つことにする。
(注3)シラツユという言葉が漢語の訓読語、翻訳語、翻案語であるとする根拠はどこにあるのだろうか。万葉集の原文(写本)に「白露」と記されているのが漢籍に見える「白露ハクロ」と同じであり懐風藻にも使われているからといって、ヤマトの人がオリジナルでシラツユという言葉を作り、使っていたことを否定することなどできはしない。
 新大系文庫本は、「「こほろぎ」の原文は「蟋蟀」。「蟋蟀」は詩文にしばしば詠まれる。蟋蟀を月光や露の中に描くことも、「朗月閑房を照らし、蟋蟀戸庭に吟ず」(晋・陸機「擬明月皎夜光」・文選三十)、「蟋蟀堂に在りて露階に盈()つ」(同上「楽府燕歌行」・玉台新詠九)とあった。」(379頁)、稲岡2002.は、「潘岳の「秋興賦」にも「月瞳朧として光を含み、露凄清として冷を凝らす。熠燿しふえう階闥粲あきらかに、蟋蟀軒屛に鳴く」と月・露・蟋蟀が悲秋の景物となっている。「秋興賦」は湯原王も熟知していたであろう。王は悲秋を最初に詠んだ歌人とも言える。」(341頁)と注している。大谷2008.は、万葉集のコホロギの歌七例について、漢詩文の「蟋蟀」の例と見比べ、万葉歌に詩文の世界の発想を見出している。「秋の虫の声を詠む歌については、それを歌の素材とすることを初めとして、和語「こほろぎ」を漢語「蟋蟀」と表記し、それを秋を待つ虫としてとらえること、そして月光のもとの虫、露にぬれる虫、牀下に入って鳴く虫の姿を描くという具体的な表現に至るまで、歌が中国の詩を学んできたことは明らかであろう。歌は、詩の世界をこのように取り入れることによって、表現の素材を拡充し、表現の方法を多彩にしてきたのである。」(36頁)。鉄野2011.は、「前半に視覚的な景、後半にそこに聞こえてくる音を歌う構成……[により]、夕月夜の薄明かりに白露がきらめく庭は、極めて洗練された美を感じさせる。……湯原王は、その[懐古の]表現を露に濡れた庭草の質感と結び付ける点に特徴を持つ。景と情とが巧みに響きあうのである。そこに蟋蟀の小さな声がしみ透ってくる。蟋蟀は巻十の歌などにも詠まれているが、もともとは六朝の詩集『玉台新詠』などの、離れている男を思う女の情を歌う詩に多く用いられる景物である。雄が雌を呼んで鳴く蟋蟀は、嬬問い・嬬恋いの象徴になる。」(107頁)と解説する。中嶋2009.は、「中国古典を意識し、その素材の醸し出すありように揺れ動く心のありさま、ほのかな恋情を詠出した、それが湯原王の蟋蟀歌であろう。「蟋蟀」の表現の上での可能性を存分に生かし、「心もしのに」を巧みに用いた名歌といえよう。」(46頁)とまとめている。
 月・露・蟋蟀の組み合わせは、秋を感じるとき、ありふれていて陳腐なものである。漢詩文を勉強しなくても、現代の大都会で空調の整った室内に籠るのではなく、奈良時代の都住まいでさえ自然に触れる機会は開かれているから誰でも気づくことであったろう。中国でもありきたりの発想だから、詩文に作られていて不思議なところはない。コホロギが「とこに〔吾床隔尓〕」きて鳴くという歌(万2310)を作るのに、作者が漢詩文で「牀」字を学び、ベッドで寝る必要もない。筵の上で寝ているからコホロギもすぐ側で鳴いている。そもそも歌として歌われているのだから、それを聞く誰しもがわかることでしかあり得ない。聞く人あっての歌である。漢詩文を勉強していなければ通じない文芸サロンの作品であったとは記されていない。上代において、秋の虫の総称であるコホロギの鳴き声を、一律に嬬問い、嬬恋いの声と聞きなしていたとする根拠などどこにもない。
 湯原王はコホロギを詠んでいる。詩経の「蟋蟀在堂 歳聿其莫」などを典故にしてシッシュツを詠んでいるのではない。コホロギという言葉には、ホロ(ホ・ロは乙類)という音を含んでいる。ホロ(ホ・ロは乙類)はハラの母音交替形で、ばらばらなさまを表す。

 天雲あまくもを ほろに踏みあだし 鳴る神も 今日けふにまさりて かしこけめやも(万4235)

 秋の虫の総称をいうコホロギの鳴く声には、コロコロ、リンリン、チンチロリン、キリキリ、ガチャガチャ、スイッチョンとさまざま、ばらばらである。涙をたくさん流すときの泣き方は、よよと泣く、というほかに、ほろほろ、はらはら、とも形容される。「心もしのに」という言葉を使っている以上、たくさんナクことが求められており、コホロ・・ギを言葉に使わなければオチにならない。
(注4)人は言葉でものを考える。上代人の思考の素となっているヤマトコトバのからくりを見ずに、現代人の見方によって万葉歌を評価することは、現代短歌には何がしか資するところはあっても、万葉集自体の研究にとっては意味がなく、誤謬を与えるばかりである。

(参考・引用文献)
稲岡2004. 稲岡耕二『和歌文学大系2 萬葉集(二)』明治書院、平成14年。
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(二)』岩波書店、2013年。
大谷2008. 大谷雅夫『歌と詩のあいだ─和漢比較文学論攷─』岩波書店、2008年。(『列島の古代史6 言語と文化』岩波書店、2006年。)
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系5 萬葉集二』岩波書店、昭和34年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
鉄野2011. 鉄野昌弘「湯原王」神野志隆光監修『別冊太陽 日本のこころ180 万葉集入門』平凡社、2011年4月。
中嶋2009. 中嶋真也「湯原王蟋蟀歌小考」『駒沢国文』第46号、2009年2月。駒澤大学学術機関リポジトリhttp://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29855/rkb046-03.pdf
中西2019. 中西進『新装版 万葉の歌びとたち』KADOKAWA、令和元年。(『万葉の歌びとたち 万葉読本2』1980年。)

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