軽井沢高校 校長日記 『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』

学校の様子を校長の視点から伝えたいと思い、校長日記を書くことにしました。授業日毎日更新を目指します。ご愛読ください。

 8月26日(木) 危ない、危ない 097

2010-08-26 23:59:24 | 日記

 終日長野に出張でした。
 日頃は軽井沢で「暑い、暑い」と言っているのですが、たとえ県内であっても、他地区へ行くと、比較にならない位やたら暑く感じます。
 暑さの質が違うと言ったらいいでしょうか、やはり軽井沢は避暑地です。
 今日は汗がしっかり出たので、体重が減っていることを期待しています。

 実は昨日小諸の自宅周辺に雷が落ちてパソコンがやられ、インターネットが使えなくなってしまいました。
 素人の技術でいくらいじってもダメでした。
 今日は早朝から出張の後、引き続き長野市で宴席があったので、必然的に校長ブログは自宅で書くことになります。
 専門家に見てもらってダメなら、他に方法がないので、初めて携帯電話からブログをアップするしかないなと考えていました。
 結果的には、出張している間にインターネット接続を復旧してもらえましたので、宴席の後自宅に戻り、例のごとくこうして「翌日」に日記を書いているのですが、それにしても危ないところでした。

 お盆あけの16日、前回軽高で担任したクラスの子が集まるというので、佐久へ出かけて行きました。
 地元にいるI、須坂にいるS、東京にいるRなどが中心になって旧クラスに声をかけ、小さな子どもの世話をしながら参加した女子や、日帰りで東京からやって来た男子、仕事を終えて駆けつけた男子、新婚さんの女子など、各地に散らばっていて、かつお盆過ぎにもかかわらず、全部で十数人が集まりました。
 本当に懐かしく、中には卒業以来会うのもいて、おおいに話が弾みました。
 仕事などでこの日に来られないという子からは電話がありました。
 「宴たけなわ」になった頃、「先生」と声をかける者がいて、そちらを見ると「実は、今日の趣旨は、内堀先生の校長就任祝いです」と言い始めるのです。
 てっきり久々の「クラス会」だとばかり考えていた私は、「そうなの?」と言ったものの、その後「先生お帰りなさい。先生にクラス全員からプレゼントがあります」と言われ、再度驚かされることになりました。
 そのプレゼントが、ネクタイとネクタイピン、「世界に一つしかない」日本酒、そして今回出席できない子の分も含めたお祝いのメッセージや当日の写真が入ったアルバムでした。
 危ない、危ない、もう少しで涙が出るところでした。
 その場所で「ネクタイは何か正式な時につけてください」と言われ、「じゃあ、早速2学期の始業式にするわ」と答えました。
 わかりにくいかもしれませんが、トップページには、このネクタイをして始業式の挨拶をしている私が写っているはずです。

 後日、この日仕事で参加できなかった、軽井沢の住人たちが、軽井沢駅前の飲み屋さんで私に「おごって」くれました。
 気持ちよく酔いつつ、「教え子からおごられるわけにはいかない」と頑なに拒む私に「お祝いだから、今日だけはダメです」と言うのです。
 仕方ないので、次回は私がおごることで落とし所にしました。
 同じく、この日参加できなかった教え子数人が28日に学校に来たいというメールを寄越しましたし、9月1日には、県外から来て軽井沢で挙式をする女の子がその直前に会えないかと連絡を寄越しました。

 次から次へと、一体なんという奴らなのでしょう。
 卒業してちょうど10年。
 いい奴らだとは思っていましたが、こんなことをしてくれる人間に成長するとは。
 まさに教師冥利。
 軽井沢に二度目の赴任をしたことに心から感謝しています。

 8月25日(水) Burning 096

2010-08-25 19:58:29 | 日記
 
 今日も暑い日でした。
 夕方、職員会議をしている途中から雷と稲妻が始まったので、外で噴煙祭の準備や部活動などをしている生徒のケアをしつつ、会議を続けました。
 すると、今度は突然電気が消えました。
 薄暗い中で職員会議を終え、事務室に戻って確認をすると、停電ではなく、校内のブレーカーが落ちてしまったとのこと。
 校用技師の中沢さんがすでに対応をしてくれてあり、それを受けて事務長さんから「復旧していない箇所はお知らせください」の校内放送。
 すぐに何人か生徒や先生が事務室へ。
 養護教諭の小森先生からは、(落雷が原因ではなく)けがをした生徒を医者に連れて行った報告があり、その後しばらくして、相当強い雨が降り始めました。
 雷雨の影響で、しなの鉄道の上田ー小諸間が不通になっているという情報を、駅に行った山浦先生が入れてくれ、それを受けて、池田教務主任から「家庭としっかり連絡を取って帰宅方法を確保するように」との校内放送。
 それ以外にもいろいろあり、大変な日になりましたが、先生たちや事務室が、それぞれ持ち場持ち場で、迅速かつ適切な対応を取ってくれていて事なきを得ています。
 校長としては、本当にありがたいことです。

 さて、噴煙祭まであと2日になりました。
 校内外の装飾も次第に形ができ、噴煙祭に向けたメッセージの掲示もかなり増えてきました。
 軽井沢について展示をする1学年の男子生徒3人が校長室にやって来て、軽井沢検定についていくつか質問をして行きました。
 どのようにどれくらい勉強したのか?受けてみてどうだったか?などなど。
 どのようにまとめて展示したのか、当日は見に行かないといけません。
 その後は、噴煙祭の正副実行委員長の3年生が3人校長室に顔を出して、開祭式と閉祭式で挨拶をしてほしいという依頼をしていきました。
 話す時間もしっかり指定されました。
 もっともそんなに長く話すつもりは、はなからありません。
 なにせ、全校生徒に話すときは「簡潔にポイントを絞って」がモットーですから。

 ふと外を見ると、雷はすっかり止み、雨もだいぶ小降りになって来ました。
 完全下校時刻になって校舎から出た生徒たちが帰って行きます。
 みんな頑張っているんだから、いい文化祭になってほしい、と願わずにはいられません。

 8月24日(火) 皇室と軽井沢高校 095

2010-08-24 20:42:34 | 日記
 
 今朝、校門で、教頭さん、事務長さん、山極先生、吉澤先生、桜井先生と、登校してくる生徒に挨拶をしていたら、地面にひらりと落ちたものがありました。
 何かと思って見ると、枯れ葉でした。
 昨日は「処暑」。
 今日も暑い日でしたが、暦の上では、そろそろ暑さがおさまってくる季節です。
 「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かねぬる」(藤原敏行)ではないですが、暑い、暑いと言っている間にも秋は確実に近づいてきています。

 今日は、校長会の管理運営委員会と教育課題委員会の共催で、学校評価や教員評価に関する講演会や勉強会などが午後から松本で行われ、午前中に学校を出ました。
 講演会は、千葉大学教授で千葉県教育委員会委員長の天笠茂先生が、遠方から来てくださって、「学校評価・教員評価等と校長の責務」というタイトルで話をしてくれました。
 温厚な人柄が伝わる口調で、内容は「さすが」というものでした。
 自己評価、学校関係者評価、第三者評価の三つからなる「学校評価」をどう学校経営に生かすかということ、教員評価に求められるリーダシップと権威(人を動かす力)などについて、要領よく、かつわかりやすく話をしてくれました。
 このブログでも、学校評議員や今年の学校目標などに触れた時に、こういう活動は「よりよい学校づくり」のために行うのであり、それにかかわる人たちは、たとえ学校外の人であっても「よりよい学校づくり」の「当事者」である、というようなことを書いてきましたが、切り口は若干異なりますが、そこにも通じる話だったように思います。
 この講演会と勉強会、そしてその後の管理運営委員会を含めて、いろいろなことが見えてきた半日でした。
 いい研修になりました。

 松本は暑い上に、会場が狭く、ムンムンしていました。
 帰る頃には雷が鳴り出しましたが、松本で雨は降ったのでしょうか。
 小諸・軽井沢は夕方大雨だったようです。

 今日は、天皇皇后両陛下が軽井沢駅に来られました。
 両陛下は、有名な「テニスコートのロマンス」をはじめ、軽井沢にはとても深い縁があります。
 美智子様は、戦時中軽井沢に疎開され、第一国民学校初等科5年に編入されたこともあるそうです。
 また、軽井沢町植物園に何度も訪問されるなど、お二人とも町の植物に深い関心を寄せられ、軽井沢自生のアサマキスゲ(夕すげ)を愛されている皇后陛下の「かの町の 野にもとめ見し 夕すげの 月の色して 咲き ゐたりしが」の歌碑が、軽井沢病院の庭に平成11年に建立されています。(以上『軽井沢検定公式テキストブック』より)
 そして、実は、この第一国民学校と本校の前身軽井沢高等女学校との関係が、『軽井沢高等学校四十年の歩み』に次のように書かれています:
 「昭和18年4月1日、町立軽井沢高等女学校は現在の高校所在地にあった軽井沢第一国民学校の玄関に並んで校名札を掲げて開校した。教室は国民学校の北側の校舎の二教室があてられた」と。
 なんと、皇后陛下は、現在軽井沢高校がある、この場所で学ばれていたのです。
 いやあ、ビックリですよね。
 午前中に軽井沢を出てしまったので、残念ながらお二人をお出迎えできませんでした。
 なんとかお見送りができたらいいなと思っています。

 8月23日(月) 肩の荷 094

2010-08-23 18:27:52 | 日記

 今日は暑い日でした。
 金曜日から、噴煙祭準備のための特別日課が始まっています。
 テーマ「Burning」のとおり、暑さに負けないくらい熱い文化祭にしてほしいと思っています。 

 昨日は、今回が第2回という「軽井沢検定」がありました。
 12時から受付ということで、余裕を見て小諸から向かったのですが、日曜日の軽井沢は相当混んでいましたね。
 土曜日に東京から戻って来る時も、指定席は一杯、自由席も始発の東京駅で既に座れない人が何人もいて、高崎辺りでは通路までびっしりという、あまりの新幹線の混み様に驚きました。
 今夏の観光プラス帰省のピークは過ぎているはずです。
 数字的な根拠はありませんが、一昔前よりも観光客が「分散型」になっているような印象があるのですが、どうでしょうか。
 休みが取れないと嘆く人ももちろんいますが、国全体としてはいろいろな休みが取りやすくなって融通がきくようになっていると思いますし、だとすれば、国が無理に地域ごとに休みを決める必要は余計ないですよね。
 さて、そんなわけで(どんなわけで?)会場の軽井沢町中央公民館に行ったのですが、駐車場には県外ナンバーが何台も。
 そうなんですね、別荘族を含めた町内、県内だけでなく、東京方面、北陸方面、関西方面などから、わざわざこの検定だけのために来る人もたくさんいるんだそうで、会場は相当な数の人で一杯でした。
 写真は3級会場の試験直前の様子です。
 ギリギリまでテキストを見ている人ばかりです。

 問題は、簡単なものから相当難しいものまで。
 問題には著作権があるので、勝手に複写したり、ましてやインターネットに載せたりしてはいけないのですが、「ブログに載せたいのですがいいでしょうか?」と町の観光協会にお伺いしたところ「そういう趣旨なら、数問であれば」と許可を得ましたので、今回の3級の問題の中で、最も基本的なものを1問と私が難しかったと思うものを2問載せたいと思います。

・軽井沢の標高は、およそ(   )である。
  ①500m ②800m ③1000m ④1300m
・旧軽井沢の二手橋の奥にひっそりと建つ正宗白鳥詩碑は、白鳥が愛唱した作者不詳の(   )の詩が、白鳥の自筆をもとにスウェーデン産黒御影石に刻まれている。
  ①中国 ②イギリス ③ギリシャ ④ロシア
・(   )、明治天皇北陸東海御巡幸の際の「行在所」が、軽井沢と皇室との出会いのはじまりであった。
  ①明治11年(1878) ②明治19年(1886) ③明治22年(1889) ④明治23年(1890)

 どうでしょうか。
 どれもテキストには載っているもので、正解は、上から③③①です。
 もちろん、検定ですから、全問正解する必要はなく、70点以上で合格です。

 就職してから検定を受けるのは初めてではありません。
 伊那弥生ヶ丘に勤務した時は「アマチュア無線4級」、前回軽高に勤務した時は「漢字検定2級」を生徒や他の先生と一緒に受けました。
 今回検定を受けると決めて以来、検定のことはずっと気になっていましたし、夏休みに入って検定が近づいて来るとこれが結構なプレッシャーで、特にここ数日は空いている時間に受験生並みの追い込みをしたので、検定が終わって正直ホッとしています。

 それでも、こういう機会でもないと、なかなか軽井沢について勉強することはありません。
 今回、必要な箇所はノートを作りながら、約300ページのテキストを3回読み通して、「へー、そうなの?」ということばかり、結構いろいろなことを知ることができたので、それが一番の財産かな、と思っています。
 「せっかく」軽井沢に来たんですからね。
 それにしても、年をとる毎に、新しい情報を脳みそに焼き付けることがどんどん大変な作業になっていて、まあ、だからこそ、自分を追い込む環境を作って、時々はこういう専門分野以外のことも含めて、チャレンジしていくことも大切かな、などと思ったりもしています。

 1学年の森山先生が今回検定の申し込みなどを担当してくれたのですが、生徒が自己採点できるようにと、さっそく学年主任の宮坂先生と解答を作って、事後のケアをしてくれていました。
 軽井沢に興味のある方はぜひ次回は検定に挑戦してみてください。(「軽井沢町観光協会」のホームページからご覧いただけます)
 合格した時のメリットもあるようですが、正確に情報をつかんでいるわけではないので、その通知が来たら(合格したら)お知らせすることにします。

 8月20日(金) お江戸でござる 093

2010-08-20 17:49:08 | 日記

 昨日から、全国高等学校PTA連合会大会で東京に来ています。

 昨日は、県の代表として歓迎のレセプションに参加しました。
 全国高P連の北沢事務局長さんと第2分科会の責任者の都丸さんにお会いしたのですが、これが偶然も偶然、二人とも私が都立赤羽商業高校に勤務していたときの同僚で、お互い「なんで、ここにいるのー?」とビックリ。
 前年度県の会長校だった長野吉田高校の渡辺校長さんと二人で、文部科学省生涯学習政策局の板東局長さんと塩見社会教育課長さんというお二人の女性のところに伺ってお話をすることができたのは、とても有意義でした。
 板東局長さんは松本深志高校に在籍していたことがある方で、今回お会いするのが二度目です。

 今日の午前中は、日本武道館で開会式がありました。
 武道館の前は何度も通りかかったことがあるのですが、中に入るのは初めてで、「これがあの有名な武道館かぁ」と感慨深いものがありました。
 公表によると、参加者はなんと1万1千人強とか。
 写真のように、武道館が2階席、3階席までびっしり埋まっていました。
 アトラクションとして都立高校の生徒たちの発表がいくつもありましたが、どれもレベルが高くてよかったですね。
 やっぱり太鼓の演奏はかっこいいし、バンドのボーカルの子が感動して泣き出したのには思わずもらい泣きしてしまいました。

 トヨタ自動車の張冨士夫会長さんの基調講演は「今の新社会人の長所・短所 企業が求める有為な人材とは」というタイトルで、1時間ほどのものでしたが、楽しみにしていたとおり、何度もうなずく内容でした。
 人材(社員)について「日本の企業は育てる文化、アメリカは選ぶ文化」という話をされました。
 今も昔も日本の企業のよさは社員教育をしっかり行う点にある、ということです。
 最近は「即戦力」などと称して社員教育を行わない企業が出てきていますが、これはまさにこのブログで以前「学校がともにつくる対象でなく選ぶ対象になってしまっている」と書いたのと同じことで、アメリカナイズされた日本、あるいは余裕のない日本の悪い面が出た部分ではないかと思っています。
 従業員に一番求められることとしては、「実践すること」を挙げていました。
 いろいろ理屈を言っていないで、いいと思ったらやってみろということです。
 「百聞は一見に如かず」ということわざがありますが、張さんはよく「百見は一行に如かず」と言われたそうです。

 午後は場所を移動して、早稲田大学大隈講堂で行われた特別第2分科会に参加しました。
 高校生が自分たちで企画運営をしている唯一の分科会ということと、早稲田大学に行ったことがないのでそれも楽しみにしていきました。
 早稲田大学の中を少し見学してから、大隈講堂に入りました。
 重要文化財になっているそうで、中は歴史の重みを感じさせるものでした。
 高校生が自分たちで取ったアンケートを元に会場も巻き込んだ討論会でしたが、高校生の司会者のほのぼのとした感じが出ていて、会はいい雰囲気で進みました。

 実は、今日は軽高でもPTA役員会が行われていて、そちらは教頭さんや事務長さん、担当の小宮山先生、正副PTA会長さんたちにお任せして来ているのです。

 昨日から泊まっているホテルには有料のパソコンもパソコンの貸し出しもないそうで、ちょっと驚きです。
 歩いて10分ほどの専門店を紹介してもらって日記を書いているのですが、これが今まで以上に結構な金額(10分263円)なので、焦って書いているところです。
 出かけるときはパソコンを持って出るか、携帯でブログをアップする方法をマスターすることをそろそろ真剣に考えないといけないかなと思っていますが、とりあえず今日のところはこれで終わりたいと思います。