勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

エジプト・ギリシャ旅行 その1

2017-10-31 | 風景・地形2

1979年の4月、カタールを出発して、カイロ空港に降りたったのは、夜の10時半を過ぎていた。ビザなしで来ているので、観光目的の通過査証を取らねばならない。その為にはまず75イギルスポンド相当(観光客向レートで約21,000円)を現地通貨に替える必要がある。混雑しており、両替とビザとで1時間強を費やした。

 

荷物を受け取り、出ようとしたら、通関でオバQスタイルの税関員らしきオヤジが「バクシーシ」と手を出してきた。「なぜ払わねばならないか」聞いたら、「俺はおまえのカバンを見ててやったのだからよこせ」と言っておる。喧嘩をするのも馬鹿らしいので、20ピアストルを渡して、やっと外へ出た。すでに12時を過ぎていた。先が思いやられた。

 

予約をしていたヒルトンホテルに電話を入れ確認したら、「おまえの予約なんぞは知らない」と答えがかえってきた。「ガーン。オイ止めてくれ!!」 

 

途方にくれて、どうしょうかと考えていると、目の前に「XX物産ご指定 グリーンバレー」と日本語の看板が掛かった観光カウンターがあった。早速、そこのオヤジに事情を説明し、もう一度ホテル予約を確かめてもらったが満杯と言いおる。

 

ツアーガイドの注文をくれればホテルを世話してやると言い出した。何かだまされていると思いつつ、ガイド料金はいくらだと聞くと安かった。ガイドを雇うこととして、あちこちホテルに電話をしてもらい、空いてる部屋がないか聞いてもらったがどこも満杯であった。

やっと、見つけてもらったホテルは料金がツインベッドの部屋で1晩2000円くらいと安かった。ヒルトンホテルのホテル料金と比べるとガイド料金が浮き、なおかつおつりが出てくる計算になる。

 

ガイド料金を払った後で逃げられるのは悔しいので、1日分のみ前払いして契約成立した。翌日(実際にはもう当日)8時半にホテルに迎えに来てもらうことに決め、ホテルに向かった。ホテルはヒルトンの近くで、古い建物であったが、シャワー付でマーマーであった。

 

カイロ市内観光とエジプト博物館

 

朝、予定より1時間ほど遅れてきたガイドのオヤジは年寄りであった。もう1組が朝が遅れた為、遅れて来たと、早速言い訳をした。

カイロ博物館、カイロ市内観光を始めた。意外と、親切で英語もゆっくりしゃべってくれよく理解できた。

時間にルーズなのはアラブでは仕方がないこととして、このオヤジを翌日も雇って、ギザのピラミッド、サッカラの階段ピラミッド、メンフィスのラムセス2世の石像を見に行くことに決めた。

 

 

ムハマド・アリ・モスク:大きすぎてカメラに入らない。内部に入るとその美しさに驚きます。天井から下がるシャンデリアの光の輝きが美しい。マド・リ・モスク

 中庭の泉亭。

 

ムハンマド・アリ・モスクは高台にあるからカイロ市内の眺めが良い。
すぐ隣にも小さなモスクが有る。
一般市民は立派なムハンマド・アリ・モスクではなくて、 市内各所にある小さなモスクでお祈りするらしい。

 

 

 

エジプト博物館入り口

 

第4王朝メンカウラー王(ギザの第3ピラミッド造営)とハトホル、バト女神

 

第18王朝ツタンカーメン王の黄金小型棺 (ツタンカーメン展、1965、絵葉書)、黄金のマスク(カイロ博物館)。

黄金の黄金の外棺はルクソールの墓で見られる。

 

 

第18王朝のアクエンアテン王 アマルナ芸術の写実的描写なのか、異端な王のせいか伝統的な表現と違っている。

 

 

<追記>

参考: ムハマッド・アリ・モスク、エジプト博物館の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

ムハマッド・アリ・モスク(カイロ)Pointer 30° 1'47.25", 31°15'36.84"

 

エジプト博物館(カイロ):Pointer 30° 2'51.82", 31°14'0.26"

 

 

 

 

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