勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

1978年カタール赴任 (追記)

2017-10-27 | 風景・地形2

下記写真のように、首都のDohaと言え、当時はまだ発展途上で、何もない街であった。

 

ドーハの南約45Kmに位置するウムサイド(Ummsaid)には精油所、石油化学プラント、直接還元製鉄、ガス液化プラントなどがある。各工場の海岸側にある桟橋から製品を輸出しています。従い、Ummsaidはカタールの輸出産業の中心でもあった。

 

ここの小さな街には各社の社宅があり、学校、病院、警察署、スーパーマーケット、カフェ、社交クラブ、サッカーグランド、ゴルフ場(もちろん砂ばかり)、テニスコ-トなどがあります。一部従業員はこの小さな街に住んでおります。しかし、多くはドーハなどの街に住んでいます。

 

ウムサイドをさらに南に行った所は、きれいな白い砂丘の海岸がつながっており、砂丘を利用したサンドスキーをしたり、ランドクルーザーで走り回ったりして、楽しんでおります。

 

我々もアイスボックスに飲料水や食べ物を入れ、パラソルを持って、ここへ海水浴にきました。たまには砂丘の影に水着姿の欧州人女性を見かけることもあり、灼熱の海水浴への最高の動機でもありました。

 

 

キャンプに餌を求め来る放し飼いのラクダ。

 

灼熱の砂漠がイメージとして、頭に浮かんできますが、10月ー4月には平均気温が20-30度と気温も下がり、過ごし易くなります。冬場の明け方には4度Cくらいまで下がり、かなり寒いものです。従い、秋から春にかけて、特に夕方からサッカーなどいろんなスポーツが盛んに行われていた。

 

私も滞在中に、英国航空などの後援による第3回カタールオ-プンテニスに出場させていただき、ダブルスで優勝させていただいた。

決勝はドーハのSHELL社のテニスコートに沢山の観客を集め行われた。当地の新聞GULF TIMESにも載せていただきました。

現地で、化学プラント建設工事が終わったが、原料の供給が顧客都合で遅れ、試運転開始まで、時間を持て余していた。この時間を利用し、準備に集中できたのが、功を奏し、優勝できたのだろう。やはり、優勝というのはいいですね!!

優勝賞品とか期待していたが、持ち回り優勝盾、優勝カップとホテルの食事券だけだった。帰任前に、当地に来たかみさんとホテルに泊まり、食事を楽しんだ。

 

Natinal Museum

 

当時のDohaの港

 

 

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