勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

1975年以前の韓国・その1

2017-10-11 | 風景・地形2

私が初めて韓国へ渡ったのは、日韓国交樹立(1965年6月22日から間もない1973年で、日本の韓国に対する経済協力の一環の建設工事で、約2年半、Ulsanに滞在してました。

1961年の軍事クーデターでによって政権を掌握した
朴正熙大統領の全盛の頃でした。しかし、まだ朝鮮戦争(1950年ー1953年)の影響を大きく残しておりました。

 

セマウル運動で農村の近代化を促進していたが、米の生産が不足しており、町の食堂で食べるご飯は麦入りで、にぎり寿司も麦入りでした。また、週2回(水・土)の昼ご飯は米・麦も禁止で雑穀・麺を食べねばなりませんでした。

 

北朝鮮の脅威を常に宣伝し、政府の悪口も、北朝鮮の肩を持つ発言も禁止でした。
また、外出禁止令が発動されており、夜の10時15分以降の外出は禁止でした。飲み屋(妓生ハウスでは、遅くとも10時には切り上げなくてならず、走って宿舎に戻ってました。

人権抑圧と民主化運動の弾圧で国民の反発を買ったが、この70年代に輸出の急激な伸びにより高度成長が実現し、「漢江の奇跡」とまで言われた。
経済成長は80年代まで続きました。88年にはオリンピックも開催されました。

 

ソウルの官庁街、 中央庁(旧総督府)

 

 

国立博物館、南大門、 

 

  

景福宮、ソウル駅

 

 

南山からみたソウル市内、工事中の南山タワー

 

上記の写真はいずれも1973年当時のものです。中央庁は1986年に国立博物館になりましたが、日本統治時代の恥辱の遺物であり、景福宮の正面に建てられていたこともあり、その後取り壊されました。

 

トップへ戻る(全体表示)

 

ランキングに参加中。クリックして応援をお願いします。

にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿