gooブログはじめました!

第2話(1)

 イスラム革命、そして戦争(1)

 1978年7月、IJPCのコンビナート建設はピークを迎えていた。
初田も次から次と起こるトラブル処理に忙殺されていた。
しかし、形を整えつつあるプラントを眺め、充実した思いも感じていた。
この頃はイラン人からも、「ハッサン(初田さん)」と親しく声をかけられるようになり、信頼関係も芽生えてきた。

 しかし、プラント建設の順調さとは裏腹に、サイトの外の世界では激震が起こっていた。
イランの主要都市で、シーア派僧侶主導による反王制デモが多発、バザールのストも行われた。
8月には内閣が倒れ、9月には50万人の大デモが発生、戒厳令が布かれた。

 ある日出勤すると、サイト内の空気がいつもと違う。
建設関係の外国人労働者が、所在なげにあちこちにたむろしている。
イラン人作業員の姿は見られない。

 事務所内では、幹部が会議室を出たり入ったりしている。
イラン人職員は落ち着かない様子で、立ち話をしている。

 同僚の福井に聞くと、
「イラン人労働者がストライキを起こしたんだ。」
「賃上げかい?」
「いや、そうではないようだ。外の反王制ストライキに触発されたらしい。」
「とんだ、とばっちりだな。」

 その後、イラン人労働者は30項目もの要求を出してきたことがわかった。
それらの中には、断水が多すぎるとか野菜が足りないとかの生活要求の他に、外国人労働者を除外しろとか、王制派の幹部を首にしろとか、明らかに外部からの指示と思われるものがあった。

 IJPCの幹部がイラン人労働者の代表と交渉する。
長い話し合いの結果、待遇改善できることは実行し、他のことは今後の課題とする、ということになった。

 2日後、工事は再開されたが、皆浮き足立ってしまい、能率は半分以下に落ちてしまった。

 ある夕方、事務所の外でラシカリと話をする機会があった。
「このプラントはシャーのためでなく、イランのためになる事業なのだから、妨害する理由がわからない。」
「シャーはこのプラント建設を自分の手柄として、王制の延命に使っているんだ。」
「じゃあ、シャーが居なくなったら、プラント建設は続けるんだね。」
「アヤトラ・オズマ・ホメイニ師がお決めになる。」

 参考図;イラン・Bing画像(http://www.bing.com
     
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ペルシャ湾波高し」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事