1.1944年春
セオドア・ホールは1925年、ニューヨークのユダヤ系家庭で生まれた。
彼は、数学と物理学に特異な才能を持っており、ハーバード大学を
飛び級、飛び級により18歳で卒業する。
時まさに、第2次世界大戦の最中で、国全体が熱に浮かされていた。
ホールは、他民族を蔑視し、ユダヤ民族を迫害するナチス・ドイツに
強い反感を持っていた。
卒業後、彼は空挺部隊に志願しようとしたが、大学の教授の推薦で、
国防関係の研究機関で働くことになった。
ニューヨークの遥か西、ニューメキシコ州のサンタフェ空港に降り立ち、
バスで研究所に向かう。
半砂漠の荒涼とした風景が広がる。
ロスアラモス研究所は、研究都市といった方が良い、大規模な施設だった。
全米から集まった科学者、技術者は、それぞれの部署に配属される。
ホールは、核分裂反応の理論物理学のチームに入った。
チーム・リーダーは、ドイツから亡命した著名な理論物理学者、
クラウス・フックスだった。
「我々は、ウラン235の核分裂反応を利用した原子爆弾の開発を目指している。」
「ヒトラー・ドイツが原子爆弾の開発を目指している、という情報がある。」
「我々は、彼らより早く原子爆弾を開発しなければならない。」
参考図:https://www.ies.or.jp 「ウラン235とウラン238」