残留組は思想、信条を調べられ、数人が抜けた後、ソ連で生活していくための基礎教育を受けた。
簡単なロシア語、ソ連の歴史、生活様式、共産党組織などを一週間で詰め込まれた後、それぞれ数人のグループに分けられた。
山本らのグループは、ハバロフスクの軍需工場で働くことになった。
喪失感70%、ホッとした気持ち20%、新しい生活への期待感10%といったところだ。
シベリア鉄道の車窓からどこまでも続くタイガを見ていると、人生は一瞬、どこで生活しようと同じだ、という気持ちになる。
ハバロフスクの内務人民委員部の地区委員会に登録し、アパートの一室を割り当てられる。一週間に一度は委員会に出頭するよう、言われる。
工場はアパートの近くにあり、戦車を製造していた。
山本らは、砲塔を鋳造する部署に配属された。
真っ赤に焼けた銑鉄を鋳型に流し込む、3Kの部署だ。
朝の7時から夕方の6時まで働く。すぐには帰れない。
職場の共産党細胞による学習会があるのだ。
新聞の論説、スターリンの演説 ----- 、もちろんチンプンカンプンで、後ろでウトウトしながら聞いている。
帰ると、ジャガイモとキャベツ、黒パンによる粗末な食事をし、寝床にもぐりこむ。
「一生これじゃあ、日本に帰ったほうが良かったな。」
「そのうち良くなるさ。K君はロシア娘と仲良くなった、というぜ。」
「中国との戦争はどうなったかな。」
「まだ続いているようだ。ヨーロッパでは、ドイツがフランスを破り、イギリスも危ない、という話だ。」
「ソ連が参戦することになったら、我々はどうなるのかな?」
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