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第2話(4)

フジモリ大統領誕生(4)

 「タケダさん、日系人が大統領になるかもしれないよ!」
朝食後のコーヒーを飲んでいるとき、ウメダさんが新聞片手によってきた。
1990年4月の大統領選挙で日系2世のアルベルト・フジモリが2位になったのだ。

 「フジモリさんはどんな人ですか?」
「国立農科大学の学長で、時々テレビで政治番組の司会をしています。まさか、リョサと接戦になるとは!」
1位のバルガス・リョサはノーベル賞候補作家として著名であり、既存の政党の支持を受け、圧勝するものと思われていた。

 一方、農学者、数学者のフジモリは、新党“カンピオ・ノベンタ(変革90)”を立ち上げ、経済危機もテロも解決できない既成政党に失望している国民の支持を集めたのだ。
2ヶ月後に、リョサとフジモリの決戦投票が行われることになった。

 センターに出勤すると、職員たちがここかしこに集まって、話をしている。
しばらくして管理部長が現れ、熱弁をふるう。
“election”という言葉が、時々聞こえてくる。

 サンチャゴに聞くと、やはり選挙の話で、
「冷静になり、政治的な行動をするな、ということです。」
「僕は、現在の経済危機を終わらせるには、思い切った規制撤廃と開放政策しかないと思っているので、フジモリに入れるよ。」

 フジモリは積極的な選挙キャンペーンを行った。
誰も入らなかったセンデロの影響の強い大学に乗り込んで、講演を行ったり、トラクターに乗って地方の村々を回ったりした。
また、マスコミを使って、自分の“変革”のイメージを大衆に植え付けた。

 「フジモリはサムライだ。弱いものを守り、汚職政治家やゲリラをやっつけてくれる。」
マルコが興奮して、話しかけてきた。

 そして7月、フジモリは圧勝して、ペルーの大統領になった。
国民は何よりも“”未知数“の可能性にかけたのだ。

 夜、ウメダさんが心配そうに話す。
「今のペルーの現状では、誰が大統領になっても、すぐには良くなりません。」
「フジモリが失敗し、攻撃の矛先が日系人に向かなければ良いのですが。」

参考図:「試練のフジモリ大統領」、細野昭雄他、日本放送出版協会、1992
     
     
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