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第1話(4)

ペルー1989(4)

 大学の語学研修クラスには、日本人、韓国人、インド人、アメリカ人、イタリア人など30人ほどがいた。
日本人ビジネスマンの加藤さんに、早速、昨日の新聞売り子の話をする。

 「そんなのは可愛いいもんさ。ケチャップや赤ペンキを背中につけ、親切そうに話しかけている隙に、仲間がバックを奪うという手口がはやっているらしいよ。」
「集団で取り囲んで奪う、という荒っぽいやり方も出てきている。」
「警察も泥棒ぐらいじゃあ、動いてくれないしね。」

 1989年のペルーのインフレ率は3000%という天文学的数字に達し、失業率は70%を超えていた。
農村から都市に流れ込んだ多数の人々は、安定した職を得られず、インフォーマルな仕事-露店や小売り、家内工業や闇取引でその日その日を食いつないでいた。

 ペルーの70年代は、左翼軍事政権の元、安定していた。
しかし、80年代に入り、民政のガルシア政権下で、対外債務支払い制限やバラマキ政策、国内産業保護政策などの結果、外国からの資本流入がなくなり、深刻な経済危機に陥ってしまった。

 こういった経済危機を背景に、極左ゲリラが武装闘争を開始した。
一つが、毛沢東の人民戦争を通じて革命を達成しようとする理論を信奉する「センデロ・ルミノソ(輝ける道)」だ。
センデロは1980年からテロ活動を始め、勢力範囲を困窮した山岳農村地帯を中心に広げた。
近年は都市部にも進出してきている。

 日本企業もペルーへの侵略者と見なされ、攻撃された。
2年前の東京銀行支店長銃撃、日産自動車工場襲撃もセンデロのしわざと見られている。
テロや政府軍との戦闘で一般市民を含め、10年間で3万人が犠牲になった。

 しかし、彼らは教条主義的で、自分たちの考え以外は一切認めず、従わない者は女、子供でも殺す、という。
また、豊富な活動資金を、麻薬の原料、コカの葉の栽培やその取引の用心棒代から得ているようだ。

 もう一つが、キューバ型革命を目指す「MRTA(トゥパク・アマル革命運動)」だ。
農村部では宣伝活動に重点を置き、都市部で爆弾、襲撃、誘拐事件を繰り返す。

    
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