中山道には難所が多くある「木曽のかけはし、太田の渡し・・・」とうたわれたように
難所を越える昔の旅人は大変なことであり木曽川の氾濫で通行不能になることも、
ここ与川道は中山道の脇道として、峠を越えて野尻までのこの道が出来たと云う。
木曽のヒノキ・三留野材木集積場
巴御前ゆかりの「ふりそでの松」
木曽義仲ゆかりの兜観音
円空の日星山等覚寺
円空作Ⅰ
円空作Ⅱ
秋深まる与川道
阿弥陀仏石碑
木曽を旅した時の良寛のうた
木曽八景:古典庵「與川乃秋月」
白山神社の大杉
中山道には難所が多くある「木曽のかけはし、太田の渡し・・・」とうたわれたように
難所を越える昔の旅人は大変なことであり木曽川の氾濫で通行不能になることも、
ここ与川道は中山道の脇道として、峠を越えて野尻までのこの道が出来たと云う。
木曽のヒノキ・三留野材木集積場
巴御前ゆかりの「ふりそでの松」
木曽義仲ゆかりの兜観音
円空の日星山等覚寺
円空作Ⅰ
円空作Ⅱ
秋深まる与川道
阿弥陀仏石碑
木曽を旅した時の良寛のうた
木曽八景:古典庵「與川乃秋月」
白山神社の大杉
万治の石仏と諏訪‐塩尻峠を下る、諏訪の市街地が眼下に、やがて中山道唯一の温泉地
「諏訪」である。いかにも湯の香りが漂う昔風の面影を随所に見る。
諏訪といえば何といっても諏訪大社。古事記に明らかな我が国最古の神社、信濃一の宮
そこから春宮の旧参道にある不思議な大きな石仏、かの岡本太郎も「こんな面白いもの
見たこともない」と絶賛したとか、万治三年(1660)とある「万治の石仏」だ。
諏訪の市街地
諏訪大社
諏訪の街道
万治の石仏
和泉式部守り本尊
来迎寺
神話と伝説・綿の湯
元禄3年創業の桔梗屋
塩尻駅と峠‐昭和30年代何度もこの駅には立ち寄った。国鉄中央線を松本方面
東京方面は必ずここで乗り換えた。ここは起点であり。汽車がこの駅を離れる時
スピ-カーから「信濃の国は十州に境連なる国にして・・・」の信濃の国の曲が
流れた。
峠から見る諏訪湖の画
国重要文化財・堀内家住宅
街道の石仏群
塩尻峠歌碑
善光寺との追分「洗馬宿」-このあたりに来ると旧道と新道が入り組み中山道の
街道を見付けることに大変困った。ここは中山道と善光寺街道の接点だあり
その指標がある。「右中山道・左北国往還、善光寺道」とある。
昭和7年大火があり200軒余りを残し焼失したと云う洗馬宿・昔の町並みの面影を
探すのに大変であった。
洗馬に入ると「太田の清水」がある。民家の裏の崖を下ると大木の根元から水が
滾々と湧きだしている。昔・きっと旅人の喉を潤したことであろう。
広重画・洗馬宿
滾々と湧き出る「太田の水」
街道と町並み
中山道と善光寺街道分岐点
わたしの中山道日記は西の守山宿で完結、今日からは以前公開した木曽路から東へ
行きます。険しい谷と山間の木曽路を過ぎると峠を越えて間もなく平野が広がる。
ここは「そば切りの里」、緑の旗印が目に入った。聞くところによると本山宿から
全国へ広まったつ云う。広いそば畑は広がりなるほどと感ずる。
次の宿場は洗馬宿、中山道と善光寺街道との分岐点と続く・・・
広重画・本山宿
路傍の石仏
中山道は本山宿へ
国道19号線
街道と集落
かわぐち屋
明治天皇本山御行在所