「披本陣」は紀州藩御一行通行の時、人数が多く本陣・脇本陣だけで
収容できず旧家・吉田家を利用したという。
定渡船場に向かう街道に幕末に建てられたという旧湊屋(丹羽家住宅)がある。
間もなく木曽川に近いところにある「人柱観音」慶長年間、木曽川の分流小信川の
築止の難工事に人柱として濁流に身を投じたと伝えられる与三と濃尾大橋の架橋
工事でなくなった三名をまつる観音像があり美濃路にも悲話がある。
木曽川が見えてくる街道、風景を見ているとホットした瞬間。
堤防をウォークする人も多い。そんな中にダイサギが一羽飛来してきた。