美濃路は五条川畔を行く、大きな酒蔵があり五条橋を渡る。
室町期、斯波氏の時代から架かり1610年清洲越で城と共に
名古屋堀川に移されるまで「御城橋」の役を果たして来たとある。
美濃路は五条川畔を行く、大きな酒蔵があり五条橋を渡る。
室町期、斯波氏の時代から架かり1610年清洲越で城と共に
名古屋堀川に移されるまで「御城橋」の役を果たして来たとある。
真宗大谷派の清照山久證寺は美濃路の西側にある。
本尊は阿弥陀如来、清洲六坊の一つとして袈裟下附、
元和6年(1620)本山より公認されたという。
「日吉神社」は清洲城下の氏神。小牧長久手戦で兵火に遭ったが
家康の制札で安堵され、秀吉の正室北政所が清洲生まれた縁で
修理を行ったとある。秀吉の病気平癒祈願、松坂屋の始祖である
伊藤蘭丸による絵馬奉納、黄金60枚の発掘等話題も多い。