顕正会事件簿&破折資料室

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<破折3-6案>義の戒壇の定義に迷う顕正会

2006-05-15 22:47:27 | 顕正会破折50の論点
「広宣流布以前における本尊戒壇大御本尊所住の処は義の戒壇」、
「末寺や家庭の仏壇も義の戒壇」という浅井先生の所論では、

・広布達成以前は、本門戒壇の大御本尊の所住の処も、
・その他の御本尊の所住の処も、
→等しく「本門の義の戒壇」

で、何の区別もない事になってしまうでしょう。これでは、池田大作の「御本尊はみな同じ」という暴論と何ら変わりないではありませんか。本門戒壇の大御本尊様を心から敬うようなポーズだけは一人前ですが、本門戒壇の大御本尊様の住処を単なる「義の戒壇」などと下す所に、浅井先生という人の正体が透けて見えるというものです。本音は、「会館の大御本尊」も「戒壇の大御本尊」も同じと考えているのでしょう。

要するに創価学会・顕正会の両者とも、“本門戒壇の大御本尊に実際に参詣したってしなくたって功徳は違わないんだから、別に大石寺へ行かなくってもいいんだ”と言いたいだけの話ではないのでしょうか。何としても会員を現実の本門戒壇の大御本尊様から遠ざけて、会の延命のため永遠に奉仕させ続けようと、実に必死な様子がうかがえるではありませんか。

4 コメント

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質問 (名無し)
2006-06-10 21:55:36
大石寺の戒壇と、大石寺ができる以前の戒壇とは同一ですか?
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Unknown (kane)
2006-06-26 03:17:07
>大石寺の戒壇と、大石寺ができる以前の戒

>壇とは同一ですか?



日興上人身延離山以前は、本門戒壇の大御

本尊様は身延にいらっしゃいました。よっ

てその当時は身延が事の戒壇でした。その

意味では、場所は変われども、意義は同一

ですね。
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ひとこと (いち)
2008-02-27 01:47:25
自分は顕正会員違うけど、浅井さんは末寺や家庭の御本尊と戒壇の御本尊とをいっしょとは言うてないよ。末寺や家庭は戒壇の御本尊から遠く離れてはいるるけど義はある。戒壇の御本尊安置の場所は広宣流布以前には義理において事ということやろ。味噌もクソもいっしょにしたらいかんよ。御遺命の戒壇は広布後に建つんやで。それまでは大石寺が義理の事ということやん。
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いち様 (けんゆう2G(kane765))
2008-06-20 18:21:36
義理の事とは、現時における事、ということですよ。

末寺等は枝葉なるが故に義、総本山は根源ましますが故に事。

そしてこの「事の戒壇」をさらに、広布祈念の姿は秘蔵厳護なるが故に義、広布達成の姿は一閻浮提の人天みな参詣叶うが故に事と捌くのです。
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