顕正会が固執している「国立戒壇」というのは、身延系の在家教団「立正安国会(後の国柱会)」の教祖・田中智学が、明治34年の著作『宗門之維新・別論』の中で創唱した造語で、その後、戦前の日蓮宗各派において、一種の流行語のように広く用いられていた言葉です。
田中は元は身延派宗門の僧侶だったので、『一期弘法抄』を使うわけにはいかず、『三大秘法抄』だけを根拠にしております。そのため、国主という「人」の信心のありかたを問うことに本意があるということが理解できず、「勅宣・御教書」をあくまでも国家主義的に解釈した結果、天皇の詔勅と帝国議会の議決によって国家の意志を宣明し、富士に国立戒壇を建てれば、国は法国冥合の仏国となり、天皇は世界の指導者となって世界統一を完成させる等々と主張しました。
顕正会では、「『国立戒壇は田中智学』と言われたら、マニュアル通りの発言するな・ワンパターンな批判だ・国立戒壇の語を使われた歴代上人は田中智学に与同したとでも言うつもりか、と切り返して笑い飛ばせ」などと会員に指導しているようですが、ワンパタ-ンであろうと何であろうと、この語が田中智学起源であるというのは動かしがたい歴史的事実ですので、笑ってごまかそうとしたってそうはいきません。
田中は元は身延派宗門の僧侶だったので、『一期弘法抄』を使うわけにはいかず、『三大秘法抄』だけを根拠にしております。そのため、国主という「人」の信心のありかたを問うことに本意があるということが理解できず、「勅宣・御教書」をあくまでも国家主義的に解釈した結果、天皇の詔勅と帝国議会の議決によって国家の意志を宣明し、富士に国立戒壇を建てれば、国は法国冥合の仏国となり、天皇は世界の指導者となって世界統一を完成させる等々と主張しました。
顕正会では、「『国立戒壇は田中智学』と言われたら、マニュアル通りの発言するな・ワンパターンな批判だ・国立戒壇の語を使われた歴代上人は田中智学に与同したとでも言うつもりか、と切り返して笑い飛ばせ」などと会員に指導しているようですが、ワンパタ-ンであろうと何であろうと、この語が田中智学起源であるというのは動かしがたい歴史的事実ですので、笑ってごまかそうとしたってそうはいきません。