顕正会事件簿&破折資料室

※個人のブログです。日蓮正宗または日蓮正宗寺院・法華講の公式サイトではありません。

<破折の試案2-1>国立戒壇が田中智学の造語であることは歴史的事実

2006-03-21 12:28:45 | 顕正会破折50の論点
顕正会が固執している「国立戒壇」というのは、身延系の在家教団「立正安国会(後の国柱会)」の教祖・田中智学が、明治34年の著作『宗門之維新・別論』の中で創唱した造語で、その後、戦前の日蓮宗各派において、一種の流行語のように広く用いられていた言葉です。

田中は元は身延派宗門の僧侶だったので、『一期弘法抄』を使うわけにはいかず、『三大秘法抄』だけを根拠にしております。そのため、国主という「人」の信心のありかたを問うことに本意があるということが理解できず、「勅宣・御教書」をあくまでも国家主義的に解釈した結果、天皇の詔勅と帝国議会の議決によって国家の意志を宣明し、富士に国立戒壇を建てれば、国は法国冥合の仏国となり、天皇は世界の指導者となって世界統一を完成させる等々と主張しました。

顕正会では、「『国立戒壇は田中智学』と言われたら、マニュアル通りの発言するな・ワンパターンな批判だ・国立戒壇の語を使われた歴代上人は田中智学に与同したとでも言うつもりか、と切り返して笑い飛ばせ」などと会員に指導しているようですが、ワンパタ-ンであろうと何であろうと、この語が田中智学起源であるというのは動かしがたい歴史的事実ですので、笑ってごまかそうとしたってそうはいきません。

<顕正会の邪義・その2>国立戒壇論

2006-03-19 14:19:28 | 顕正会破折50の論点
御遺命の事の戒壇は、「国立戒壇」でなければならない。

まず二祖日興上人は「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)、 「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原(あもうがはら)に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)

 二十六代日寛上人は「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原(あもうがはら)に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云々」(報恩抄文段)

 三十一代日因上人は「国主此の法を持ち、広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」

 三十七代日琫(にっぽう)上人は「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては、富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって…」(御宝蔵説法本)

 四十八代日量上人は「事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って、勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)

 五十六代日応上人は「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申すこうこうたる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって…」(御宝蔵説法本)

 以上は明治以前の先師上人の御指南である。「国立戒壇」の文言こそ用いておられないが、意はそれを指すこと文に明らかである。

 次いで大正以降の歴代上人の文証を挙げる。

 五十九代日亨上人は「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)、 「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

 六十四代日昇上人は「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

 六十五代日淳上人は「蓮租は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)、 「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」 (大日蓮三十四年一月号)と。

創価学会に迎合して国立戒壇を否定した六十六代細井日達上人ですら、登座直後においては歴代上人と同じく、御遺命の正義を次のように述べていた。

 「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華三十五年一月号)

 「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮三十五年一月号)

 「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮三十六年五月号)と。


<破折の試案2-1>国立戒壇が田中智学の造語であることは歴史的事実

<破折の試案2-2>御金言は国立ではなく「国主此の法を立てらるれば」である

<破折の試案1-4>本門戒壇の大御本尊在まします処、必ず事の戒壇有り

2006-03-16 23:21:02 | 顕正会破折50の論点
『依義判文抄』に云く
「此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為す、
此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。
故に分かちて三大秘法と為すなり。
又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信あり行あり、
故に開して六義を生ず。此の六義散じて八万法蔵と成る」と。

また云く、
「之を合する則(とき)は八万法蔵、但(ただ)六義と成り、
亦(また)此の六義を合する則(とき)は但(ただ)三大秘法と成る、
亦(また)三大秘法を合する則(とき)は但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり」と。

一大秘法の「本門の本尊」を開くと、三大秘法になります。
三大秘法を開くと、いわゆる六大秘法になります。

したがって、既に究竟の一大秘法である本門戒壇の大御本尊様が厳然と顕われておわしますからには、三大秘法も六大秘法も、すべて同時に顕われていなければおかしいわけです。そして「事の戒壇」は、六大秘法の中の一つです。

「事の戒壇だけは、未だ何処にも存在していない」 「現在は未だ五大秘法」などという顕正会の説は、完全に誤りです。

だって、「五大秘法」を合したところで、「三大秘法」にはならないでしょう?それとも三大秘法も、やはり現在は未だ不完全な形(2.5大秘法?)でしか存在していないと思っているのでしょうか?

未完成な三大秘法を合したら、未完成な一大秘法しか顕われてこないのではないでしょうか。いうことは、一大秘法の究竟であるはずの本門戒壇の大御本尊様も、実は画竜点睛を欠いて未完成(“6分の5“大秘法??)の御本尊だ、とでも言うのでしょうか・・・?

繰り返しますが、広宣流布とは「三大秘法の広宣流布」ということです。三大秘法が「未だ未完成な形でしか存在していないもの」ならば、「広宣流布」のしようがありません。

<破折の試案1-3>当家は因の姿において宗旨を建立する教えである

2006-03-15 23:27:40 | 顕正会破折50の論点
26世日寛上人『文底秘沈抄』に云く、「富士山は是れ広宣流布の根源」と。また云く「根源とは何ぞ。謂く、本門戒壇の本尊是れなり」と。

本門戒壇の大御本尊様の御出現は、一大秘法の「本門の本尊」の完成です。一大秘法の完成は、即ち三大秘法の完成です。三大秘法広宣流布の根源の確立です。

そして、末法の世における三大秘法広宣流布とは、基本的には「逆縁下種の広宣流布」のことなのです。このように言うと顕正会の諸君は、「そんなことは分かっている。だが、現代は既に順縁広布の時代なんだ!」と反発することでしょう。そういう反発をすることじたいが、大聖人様の仏法を何にも分かってない証拠なのです。顕正会員諸君は、逆縁広布を順縁広布とを比べて、どちらの方が尊い、とお考えなのでしょうか。「順縁広布の方がいいに決まってるじゃないか!」とでも思っているのではありませんか。

そもそも、勤行の御観念文に「本因妙の教主」とあるように、日蓮大聖人の仏法は「本因妙」の仏法です。よって大石寺では、因と果では、因の方を大事に考えるのです。仏因である下種が根源で、仏果である脱益は枝葉です。三大秘法の御修行をお示しになられた日蓮大聖人が本仏で、久遠実成のお釈迦様は迹仏です。

たとえば、『妙一尼御前御消息』の「法華経を信ずる者は冬のごとし。冬は必ず春となる」との御文(御書P832)を、「現在は“冬”の時代だけど、我慢して信心していれば、未来には“春”という幸せがやってくる」という一往の表面的意味だけで解釈していてはダメなのです。「“冬”こそが“春”の因である。“冬”に信心を貫く姿こそ何よりも尊い。“春”は、既にその人の中にある」と、このように再往深く立ち入って受け止めるのが富士門徒の御書の読み方というものです。他ならぬ大聖人様が末法の世に敢然と打ち立てられた逆縁下種の広布相こそ、何よりも尊い御本仏の御化導と拝しなくてはならないのです。根源の逆縁広布があってこそ、はじめて順縁広布の枝が伸び葉も茂るのです。

よって、大聖人御在世における弘安2年10月12日の「本門戒壇の大御本尊」御建立の時点を以って、根源の相における「広宣流布」の時と拝し奉るのが、大石寺の広布観の基本なのです。 このことを日寛上人は『後五百歳記』に示して云く、「逆縁に約すれば既に広宣流布なり」と。

この大前提を踏まえた上で、この根源の相における「広宣流布」・根源の「事の戒壇」を代々伝持あそばされる総本山大石寺の御法主上人に従い奉り、さらに日本乃至一閻浮提への広宣流布実現・御遺命の事の戒壇建立という究極の大理想を目指した正法弘宣のお手伝いをさせて頂くことこそが、私たちに与えられた大聖人様の「御遺命」なのだ、と謙虚に受け止めていくのが、弟子檀那の立場というものでしょう。

「大聖人すら御在世には成し遂げられず御遺命として後世に残されたほどの偉業=『順縁広布』をオレ達はやるんだ」 と言わんばかりの態度は、大聖人御在世の御事績に対する過小評価で、軽賤の罪に当たります。根から断ち切られた枝葉は枯れてしまうのです。事相の一国広布・世界広布でなければ意味がないと考え、根源の広布を形式的なものと軽んじているのが、顕正会の広布観の特徴です。本果妙重視の身延亜流の発想に堕していると言えるでしょう。

<破折の試案1-2>本門戒壇の大御本尊なくして広宣流布なし

2006-03-11 13:41:49 | 顕正会破折50の論点
『法華取要抄』に曰く、「是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」と(御書P738)。

つまり「広宣流布」とは、「三大秘法の広宣流布」ということです。

「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」、これが法華本門の三大秘法ですが、大聖人様の御書において三大秘法の名目が示される時は、『法華行者値難事』『法華取要抄』『報恩抄』『三大秘法抄』のいずれも、必ず上記の順位で記されています。相伝書の『上行所伝三大秘法口決』のみ、三大秘法を仏教のにおける一般的な「戒・定・慧」の三学に配する上から戒壇(戒)・本尊(定)・題目(慧)の順で記されてはいますが、その文中においては「持経の処即戒壇なり」とあり、御本尊様の住処を以ってただちに当家の戒壇と拝すべき深義が説かれているのです。よって、この三つの秘法の中で根本となるのは、やはり「本門の本尊」と拝せられます。御本尊様の住処を以って戒壇と為すが故に、「本門の戒壇」は二番目なのです。そして、題目修行は御本尊様への信心を本として行じられるものであり、修行の中心となる道場は戒壇=御本尊様の住処ですから、「本門の題目」は三番目なのです。

つまり御本尊様なくして、戒壇も題目も無いというのが大石寺の考え方なのです。三大秘法を合すれば、「本門の本尊」という一大秘法に収まるのです。26世日寛上人『依義判文抄』に「三大秘法の開合の相如何。答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり」とある通りです。

ですから、大聖人究竟の御本尊である弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊様の別名を、「三大秘法総在の御本尊」と申し上げているわけです。 『依義判文抄』に云く、「本門戒壇の本尊を亦(また)、三大秘法総在の本尊と名づくるなり」と。

さて、本門戒壇の大御本尊様は、総本山大石寺歴代の血脈付法の御法主上人が御相伝あそばされているところです。本門戒壇の大御本尊様は、顕正会の会館には無いのです。

よって、三大秘法の正体である本門戒壇の大御本尊様が相伝されていない顕正会には、本物の三大秘法などはただのひとカケラも無いのです。「広宣流布」とは、「三大秘法の広宣流布」なのに、無いものを、一体どうやって広宣流布しようというのですか?

<破折の試案1-1>血脈付法の御法主上人に背く輩は大聖人の御遺命を語る資格なし

2006-03-04 18:31:11 | 顕正会破折50の論点
『一期弘法付嘱書』に曰く、「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」と。

そもそも、日蓮大聖人の「御遺命」というのは、基本的に言うと、第二祖日興上人ただお一人に付嘱されたものです。

したがって、「御遺命実現のため」の「活動」と言っても、その一切は基本的に、日興上人嫡々代々の御法主上人だけに託された事柄なのです。

私たち弟子檀那というものは、時の御法主上人のお許しがあってはじめて、そのお手伝いをさせて頂ける立場にあるというに過ぎません。

唯授一人の付嘱をお受けになられている時の御法主上人から離れた所で、身延派や創価学会や顕正会のように、自分勝手な思い込みから大聖人の御遺命をああでもないこうでもないと偉そうに語っても、それは全くの無意味なのです。

<顕正会の邪義・その1>日蓮大聖人の御遺命について

2006-03-03 23:44:10 | 顕正会破折50の論点
宗門は、日蓮大聖人の御遺命に背いている。
大聖人の御遺命とは何か。それは、「広宣流布・事の戒壇建立」である。

すなわち、日蓮大聖人は逆縁の広宣流布を示されたが、
順縁の広宣流布は自ら実現されなかった。

また、三大秘法のうち題目と本尊は御在世に顕わされたが、
戒壇建立は滅後の弟子達にこれを残された。

御遺命実現のために真剣に活動している団体は、今や顕正会だけである。

<破折の試案1-1>血脈付法の御法主上人に背く輩は大聖人の御遺命を語る資格なし

<破折の試案1-2>本門戒壇の大御本尊なくして広宣流布なし

<破折の試案1-3>当家は因の姿において宗旨を建立する教えである

<破折の試案1-4>本門戒壇の大御本尊まします処、必ず事の戒壇有り