顕正会事件簿&破折資料室

※個人のブログです。日蓮正宗または日蓮正宗寺院・法華講の公式サイトではありません。

顕正会破折講座(1) 御遺命

2004-11-30 11:22:26 | 顕正会研究資料
<顕正会云く>
広宣流布・本門の事の戒壇建立は大聖人の「御遺命」である。

「御遺命」実現のために活動する資格のある団体は顕正会だけである。

(破折の文証)

(1)26世日寛上人『六巻抄』の「依義判文抄第三」にいわく、

「問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何。

答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かって三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成り、此の六義散じて八万法蔵と成る。

例せば高僧伝に、一心とは万法の総体分かって戒定慧と為り、開して六度と為り、散じて万行と為ると云うが如し。当に知るべし、本尊は万法の総体なり、故に之れを合する則んば八万法蔵は但六義と成り、亦此の六義を合する則んば但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成る。

故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。若し此の開合の意を得ば亦所引の文意を得ん云云。」

と。


(2)日寛上人以来の口伝を43世日相上人が書き留められた文書『日相上人聞書』の「三大秘法之事」の項にいわく、

「本門本尊

在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也

富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒也」

と。

(3)60世日開上人の『御宝蔵説法』にいわく、

「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山・事の寂光土」

と。

(破折1)

まず、広宣流布とは、「三大秘法の広宣流布」ということである。

文証(1)に明らかな通り、「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法を合すれば「本門の本尊」の一大秘法となる。

だからこそ、「本門戒壇の大御本尊」の別名を「三大秘法総在の大御本尊」とも申し上げているのである。

しかるに、「本門戒壇の大御本尊」は御宗門にあり、顕正会には無いではないか。

無いものを、どうやって「広宣流布」するのか。

(破折2)

「本門戒壇の大御本尊」の御出現こそが一大秘法の完成であり、一大秘法の完成は即ち三大秘法すべての完成である。「本門戒壇の大御本尊」こそが、「三大秘法広宣流布」の根源である。

よって、御在世における弘安2年10月12日の「本門戒壇の大御本尊」の御図顕の時を以て、根源の相における「広宣流布」の瞬間と拝するのが信心の基本である。

「大聖人すら御在世には成し遂げられず『御遺命』として残された、それほどの偉業をオレ達はやるんだ」

と言わんばかりの態度は、大聖人御在世の御事績に対する過小評価であり、軽賤の罪に当たる。

(破折3)

また文証(1)によれば、「本門の事の戒壇」とは六大秘法(六義)の一つである。

三大秘法を開いたものが、六大秘法である。本門の本尊を人と法、本門の戒壇を事と義、本門の題目を信と行とに分析して捉えるのである。

さて、三大秘法の総在たる「本門戒壇大御本尊」が既にこの世にましますからには、六大秘法も同時にすべてこの世に出現していなければなければならぬ。

「今のところは五大秘法しかありません」では、明らかにおかしいのである。

それでは、この裟婆世界には、完全なる「三」大秘法というものも、まだ存在していない(2.5大秘法?)、という話になってしまうではないか。

繰り返すが、広宣流布とは「三大秘法の広宣流布」である。まだ存在していないものを、どうやって「広宣流布」しようというのか。

(破折4)

「『本門の事の戒壇』という語は、広宣流布の暁にはじめて建てられる戒壇のことしか意味しない。広宣流布が事相に至るまで、『本門の事の戒壇』はこの世に存在しない」

などという浅井式の「戒壇の事・義」の立て分け方では、広布達成以前には

”本門戒壇大御本尊の所住の処も、その他の御本尊の所住の処も、等しく「本門の義の戒壇」であって、何の区別もない”

という事になってしまうではないか。この考え方は大謗法である。なぜなら、所住の処の価値が同じというならば、本門戒壇大御本尊であれ他の御本尊であれ、住する本尊の価値もみな同じという話になるであろう。結局のところ、本門戒壇大御本尊はかけがえのない随一絶対の御本尊などではなく、別に他の御本尊でも代用が効くのだからあってもなくても同じ、という結論を導いてしまうではないか。

(破折5)

よって、広布達成以前でも達成以後でも等しく、文証(2)および(3)の御指南に明らかな通り

「本門戒壇大御本尊御安置の場所は本門事の戒壇/御本尊所住の処は本門義の戒壇」

と解釈するのが、やはり正しいのである。

(破折6)

日蓮大聖人の仏法を信ずる者ならば、一日も早く「御遺命の戒壇」の建立が実現するよう励んでいくべきなのは当然のことである。いわゆる「御遺命の戒壇(大「本門寺の戒壇」)」というものは、「現時における本門事の戒壇」に対し、広布の進展に応じてまたさらに相を異にした「広布事相における本門事の戒壇」として、教義上位置づけられるべきものである。「『御遺命の戒壇』以外を『事の戒壇』と呼べば謗法」などという浅井説は完全に誤っている。


創価学会がトップ、顕正会は8位 --- 宗教法人所得ランキング

2004-11-30 11:19:56 | 顕正会組織活動の解明
2003年度 宗教法人申告所得ランキング

1 創価学会 181億1500万円
2 明治神宮 16億8700万円
3 月窓寺  4億900万円
4 蓮乗寺(日蓮宗) 3億8800万円
5 浅草寺 3億2100万円
6 霊波之光教会 3億1900万円
7 靖国神社 3億1800万円
8 顕正会 2億9300万円
9 光専寺 2億6900万円
10 日本基督教団三崎町教会 2億5800万円
11 日枝神社 2億5400万円
12 真宗大谷派難波別院 2億2600万円
13 修験四恩寺 1億7700万円
14 日本バプテスト宣教団 1億6700万円
15 観泉寺 1億6100万円
16 霊友会 1億5900万円
17 熱田神宮 1億5800万円
18 東方之光 1億5300万円
19 稲足神社 1億4900万円
20 正教寺 1億4300万円

※出典:週刊ダイヤモンド別冊「日本の会社ベスト7万1076社」2004年版より

顕正会 会館・事務所安置の大曼荼羅情報

2004-11-30 11:18:06 | 顕正会組織活動の解明
過去の顕正新聞の公式発表を整理しなおしてみました。結果はこうなりました。

札幌事務所 ?
黒石会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
八戸会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大幅)
秋田会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大幅)
仙台会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
笹口事務所 「55世 日布上人御書写御本尊」
新潟会館 「55世 日布上人御書写御本尊」(大幅)

三条会館 「26世 日寛上人御書写御本尊」
長岡事務所 ?
柏崎事務所 ?
水戸会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
郡山会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
古河事務所 ?
宇都宮会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大幅)
渋川事務所  ?
高崎会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
水戸会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
古河事務所  ?
信州会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
新本部会館 「28世 日詳上人御書写御本尊」
青年会館   ?
浅井会長宅 「60世 日開上人御書写御本尊」 板御本尊
顕正会典礼院 ?
東京会館 「60世 日開上人御書写御本尊」(妙縁寺重宝)
芙蓉会館 「大幅御本尊」
旭会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大幅)
千葉会館   ? 
甲府会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
横浜会館
 3F 礼拝室:大正2年09月、79歳書写 「55世 日布上人御書写御本尊」
 2F 第一・二集会所:大正5年12月、82歳書写 「55世 日布上人御書写御本尊」
相模会館 「55世 日布上人御書写御本尊」
小田原会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大)
沼津事務所  ? 
名古屋会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大幅)
京都事務所 「55世 日布上人御書写御本尊」
尾道事務所 「55世 日布上人御書写御本尊」
松山事務所  ?  
高知会館 「55世 日布上人御書写御本尊」 (大)
大分会館   ?
沖縄会館 「55世 日布上人上人御書写御本尊」 (大)
その他 「54世日胤上人御書写御本尊」(御大事守護の御本尊)
(旧・顕正寺   「56世 日応上人書写御本尊」 板御本尊 → 現在、所在を秘す。)


顕正会「入信勤行の栞」 

2004-11-25 18:31:12 | 顕正会組織活動の解明
これは平成九年一月一日版のものです。現在では既に「100万達成」された訳ですから文面は変更されていると思います。

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入信勤行に当り、会長浅井先生の指導を、一言、ここに代理として伝えさせて頂きます。

 あなたは本日、末法の御本仏日蓮大聖人に帰依し、値いがたき三大秘法に値い奉ることができました。どうかこの上は、大聖人の仰せのままの信心を貫き、現当二世の大功徳を得られんことを、心から念願するものであります。

 日蓮大聖人は、末法の全人類を現世および来世にわたって救わんと、三大秘法という根源の仏法を、身命を賭してお弘め下された、大慈大悲の下種の御本仏であられます。

 その大慈悲たるや、あるいは極寒の佐渡への流罪、あるいは竜ノ口における死罪等、二十余年におよぶ耐えがたき大難を忍ばれた上で、ついに御自身の下種本仏としてのお悟りの全体を一幅の御本尊に顕わし、一切衆生成仏の対境として、日本国に留め置かれたのであります。

 この御本尊こそ、富士大石寺に七百年来相伝護持され来たった「本門戒壇の大御本尊」であります。

 この大御本尊には、日蓮大聖人が久遠元初以来お積みになられたあらゆる功徳が、ことごとく収まり具わっております。

 ゆえにこの御本尊を一筋に信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、大聖人より大功徳を譲り与えられ、いかなる人も罪障は消え、宿命は変わり、現世に幸せを得るだけでなく、未来の成仏も叶うのであります。

 ただしこの御本尊も、もし邪宗の執着が少しでもあるならば、全く功徳を生じません。

 まさしく大聖人仰せのままの信心とは、一切の謗法を捨て、この御本尊を強く清らかに信じて南無妙法蓮華経と唱え、人にもこの大法を勧めるところにあります。

 本日よりは、我が家より富士大石寺にまします「本門戒壇の大御本尊」に向い奉り、朝晩、遥拝勤行を実践いたしましょう。たとえいかに遠く離れていようとも、信心に距離は関係ありません。直ちに感応道交して大御本尊に通じ、大功徳を生ずるのであります。

 いま富士大石寺顕正会は、日本国において、日蓮大聖人の御遺命のままに広宣流布・国立戒壇建立をめざす、唯一の仏弟子の集団であります。あなたもこの清純なる団体の一員として、大聖人仰せのままの信行に励み、三世に崩れぬ大幸福を得られんことを、切に祈るものであります。以上
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『立正安国論』は暴力主義を否定している

2004-11-14 22:55:04 | 立正安国論の正しい解釈
近年、井沢元彦あたりの俗説を真に受けて、

「折伏とは、暴力による布教のことである」

「日蓮(大聖人)は、他宗教の者は殺しても良いとか、国家権力を発動させて他宗教の者を全員処刑せよ等と説いていた」

などというデマが世間にはびこっている。そしてこうしたデマが、主に極端な無宗教主義を唱える一部論者たちによって日蓮正宗誹謗の根拠の一つとされているのである。一方このかん、日蓮正宗の教義を悪用して、仏教に無知な大衆(=私もその一人だったのであるが)を騙しながら組織拡大を図っているあの邪教・顕正会の見解は、なぜか、上記に挙げたような無宗教主義者らの御書解釈と完全に一致している。彼らの場合はこの解釈をもって逆に、「国立戒壇絶対」説や違法な勧誘活動を正当化する論拠として用いている訳である。まことに、不思議な現象と言わねばならぬ。

 一部の無宗教主義者グループにせよ、顕正会にせよ、彼らの誤りはそもそも、明らかに大聖人様の御書もせいぜい飛ばし読み程度にしか目を通していないし、ましてや本物の日蓮正宗の正しい御書解釈については何ひとつ知らない、ということに尽きる。

 彼らが根拠としている御書の「文証」なるものは、

・第一に、『撰時抄』等の御書において大聖人様が「一切の念仏者や禅僧を捕らえて、由比が浜で首を切れ」と発言しているということ

・第二に、『立正安国論』において、仙予国王(釈尊の前世の一つ。大乗仏教を誹謗するバラモンを処刑したが、三悪道には堕ちなかった。)の話が挙げられ、「殺人よりも謗法の方が、仏法上の罪ははるかに重い」と説いているということ

主にこの二つだけである。だが、待ってもらいたい!まずは、御書の原文を見てみよう。

「去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」

と『撰時抄』にはある。文永八年九月十二日といえば、何と、あの「竜の口大法難」の時ではないか!この時、念仏者禅僧等の画策と権力者の私的感情によって実際に捕らえられ、首を切られそうになっていたのは大聖人様の側なのである!!この重大な文脈を無視して、切り文だけ取り出して解釈するなどという法がどこにあろうか。「彼等が頚をゆひのはまにて切」れ云々との強言、これはあくまでも、念仏者禅僧等の手先として弾圧に乗り出してきた平左衛門の職権濫用をなじり、彼の耳目を驚かさんためにあえて発せられた「方便」の言と解すべきなのである。

ましてや、『立正安国論』の仙予国王云々を殺人肯定だなどと受け取るに至っては、粗忽も極まるというか、率直に言って、空いた口がふさがらない。オウム真理教の「ポア」ではあるまいし。まあ、古文解釈の試験ならば完全に0点を取るであろう。『立正安国論』のその部分からもう少しばかり先に読み進めさえすればそこには大聖人様の御本意がハッキリ書いてあるというのに、万事この調子なのだから、まったく嫌になってしまう。

「客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。若し然らば殺害相加て罪業何が為んや。 則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば、持戒及び毀戒をも天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是れ我が子なり。若し彼を打する事有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり。」と。料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。 先証斯れ明かなり。後昆最も恐あり。謗法を誡むるには似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。

主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか。理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるには非ず。唯偏に謗法を悪むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。」

と・・・。ちなみに能仁とは能仁寂黙の略で「能く仁を為す者」つまり絶対慈悲の体現者の意、能忍とある本もあるがこの場合は「能く耐え忍ぶ者」つまり絶対忍辱の成就者の意となり、いずれにせよここでは釈尊の別名として用いられているのである。要するに、「客」が

「殺人よりも謗法の方が罪は重いということはつまり、念仏者等は殺しても構わないというでも言うつもりか!」

と拒否反応を示したのに対し、「主人」の言として、

「それは全くの誤解であって、先ほどは謗法の罪の恐ろしさを表すために釈尊の前世譚を引用したまでである。釈尊出現以後の仏教徒は、暴力とか殺人などという布教手段は決して用いるべきではない。悪徳宗教者に対してはせいぜい、経済封鎖でよかろう」

と、大聖人様は懇切丁寧にも補足説明を加えて下さっているのである。文義、誰の目にもまったく明らかではないか。※1

そもそも、『立正安国論』とはいかなる書物であるか。あの有名な「自界叛逆の難・他国侵逼の難」の予言というものを、どう受け止めるべきなのだろうか。「自界叛逆の難・他国侵逼の難」とは、現代で言えばテロの応酬と戦争の勃発ということになるのであろう。さて大聖人様は、テロと戦争の時代が到来したことを布教のチャンスと見て、手を叩いて喜んでおられただろうか?・・・決して、そのように考えるべきではない。大聖人様は、「自界叛逆の難・他国侵逼の難」は「亡国」の原因となるから何としても避けよ、と進言されておられるのである。そしてまた、単純な愛国主義的心情だけから大聖人様は「テロと戦争の防止→亡国の回避」を叫ばれたのでもない。『立正安国論』の末尾近くには、このような文もある。

「人臣は田園を領して世上を保つ。 而るに他方の賊来て其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば、何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はば、先ず四表の靜謐を祷らん者か。」

すなわち、テロと戦争で国が亡んで苦しむのが権力者だけならよいが、しかし実際にそうではない。民衆もみな、田畑を奪われ、住む家を失って苦しむのである、だからやはり「亡国」は絶対に防がねばならないのだ、と、大聖人様は長い自問自答の末にそのように結論されておられるのである。こうした仏教的平和主義の観点に立った上で、「亡国」をもたらす「国難」到来の根本原因は“諸宗教の無力化・謗法化、そしてそれによる上下万民の心の荒廃と生命力の枯渇”にこそありと喝破し、真実の仏法=法華経の教えを再生させて、この日本の大地の上にこそ真の「常寂光土」(極楽浄土と同意である)を具現させたいとの願いから、『立正安国論』は幕府権力者に向けて奏上された。この大前提をちゃんと踏まえた上で議論すべきである。無宗教者からこの誠意が理解されないのは末法だから無理もないが、仏弟子を名乗る顕正会員たちまでが、この大聖人様の純粋な思いを180度正反対にねじ曲げてまで、自分たちの国家主義的・ファッショ的野望の正当化に利用しようとしている有様は、実に驚くばかりである。何が「事の戒壇建立には国家主権による国家意思の表明が絶対に必要」であろうか!だいたい、大聖人様の言われた「国家」という語は、今の近代主権国家などを意味していないのである。近代国家なんてのは、極論すれば一種の「暴力装置」とすら言えるではないか!!そんな、天下国家を語る大言壮語の類よりもまず大事なのは、等身大の、ちっぽけな自分自身の姿をしっかりと自覚し、自分自身の苦しみを克服していくこと。それから、目の前にいる身近な一人ひとりの心の救済を、地道に手助けしていくことなのである。それがひいては社会の仏国化へとつながるのである。

人々が一切の謗法への執着を捨て、富士の大石寺にまします本門戒壇の大御本尊様の大慈悲に目覚めてあらゆる対立を止め、立正安国=世界平和の実現が到来する日。その日のことを、かつて自身も謗法の泥沼にまみれて死ぬほど苦しんだ経験を持つ一人の法華講員として、心底から「一日も早く」と、願ってやまないものである。

※1:確かに『立正安国論』には、「弓箭」「刀杖」を取って戦えとの涅槃経・仁王経等の文が引用されている箇所もある。しかしこれらの文が元来「守護付属」などと呼ばれていることからも分かるように、この文も到底、顕正会のテロ教団としての過去をもって「日蓮正宗の本来的なありかた」と主張する証拠には成り得ないのである。基本原則としてはあくまでも暴力布教・宗教戦争は否定されているのであって、ただごく常識的な留保事項として、在家が仏・法・僧の三宝を命がけで護ることはそれじたいが仏道修行の一環として考えられるとの立場から、たとえば寺院が謗法者によって武力攻撃を受けた等の場合においては、必要最小限度の正当防衛の範囲内で在家が反撃し救援を図ることも例外的には許しているというに過ぎないのである。なお、「反撃」の是非に関する宗内での受け止め方を実際に検証するならば、たとえば小松原法難で「反撃」して討死された工藤吉隆公よりも、熱原法難の時にいわゆる「非暴力・不服従」をもって最期まで抵抗を貫いた三烈士たちの方が遥かに多く賛嘆されてきた、というのが誰の目にも明らかな事実なのである。これらを決して看過すべきではないだろう。