緑に包まれた真如堂
青もみじ
真如堂本殿から三重塔
京都洛東にある天台宗のお寺で普段は静かですが紅葉の時期は大勢の観光客で賑わいます。
金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)の山門
広き境内は幕末に京都守護で会津藩主松平容保が本陣を置いた場所です。
又新選組の発祥地でもあります。
前から気になっていた会津藩のお墓所ある地点に向います。
会津藩殉難者墓地入り口
境内には明治維新の影で命を落とした300名以上の会津藩の方々が
眠っています。何故京都に会津藩のお墓があるのでしょうか・・・
会津藩士の墓所
守護時代に命を落とした藩士240名、戊辰戦争の鳥羽、伏見の戦いで120名 皆ここで眠っています
お墓に会津の文字が~
お盆だというのに訪ねる人もなく静まりかえっています。
治安荒れる京都を天皇住む都を誰が守るのか徳川幕府が白羽の矢を立てたのが会津藩でした。
それは薪を負うて火を救うようなものと家老は猛反対でしたが容保は京都守護職を引き受けて
藩士1000名と共に東北から入洛、金戒光明寺拠点に命懸けで京都の治安、天皇の命を守ります。
京都を守ることを幕府より命じられていた会津藩(新選組含む)は仕方なく、暴れまわる長州の志士を
征伐し恨みをかいます。政権が薩長に移った後、鳥羽伏見の戦いを経て、徳川慶喜と共に会津藩は
恭順を示します。しかし、新政府はその恭順姿勢を無視して朝敵、逆賊の汚名を被せます。
どこかに悪をつくり、それを叩きのめす必要から白羽の矢が立てられたのが会津藩でした。
何かを訴えかけるような会津藩墓地
コロナ禍もありお天気もイマイチひとり手を合わせました。
松平容保公の銅像と
鳥羽、伏見の戦い犠牲者の慰霊碑
大河ドラマ「八重の桜」にこんな言葉が~
私は何度考えてもわからない天子様のため、公方様のため尽くしてきた会津がどうして逆賊と
言われなければならないのか。会津の者なら皆知っている。悔しくてたまらない。
死んだ皆さんは会津の誇りを守るため命をかけたのです・・・
菩提寺西雲院のハス
同じくサルスベリ
此処に来てハッーと気付きました。朝お線香を上げた時、ロウソクの火を消し忘れて
そのまま出かけて来たのを思い出しました。家人は今日から仕事で誰もいません。これはヤバッ~。
仏壇は観音開きです。扉が閉まらぬよう厚紙で止めて在ります。ロウソクはカップに入った12時間のボーティブタイプで
三分の一残っています。扉が閉まらない限り大丈夫かと思いますが・・・ 優雅な歴史散策からおうち丸焼けが
最悪脳裏にチラつきます。寺の高台から自宅のある南西の方角を眺めると煙は上がっていません。
町内焼け野原かと大急ぎで帰宅するとロウソクは終わりかけでしたがまだ炎は出ていてヤバかったです。
何事もなく良かったですが消防局からみれば大目玉でしょう。かおりはんも華麗と共に益々忘れっぽくなり
痴呆徘徊が進んでいます。特に火の扱いだけは充分気をつけなくてはダメですね・・・
オヤジのご先祖様もお墓があり幼き頃より良く連れられてお参りに行きました。今回の歴史散策万感胸に迫る会津の魂に触れさせていただきました。何も考えずに会津藩の墓所の前を通っていましたが、いや~京都は歴史をたどれば散策も興味は尽きないですね~
コロナ、長雨、山歩きには厳しい今年のお盆ですが
丁寧にシャッターを切られる御大のお姿が目に浮かびます、冒頭2枚目黒の伽藍を背景に雨に濡れた青モミジは痺れましたあ~、又お盆らしく蓮の花も今回のレポのスパイスで自宅療養のような生活をしているしている昨今うれしいレポを拝見させていただきました。 合掌。
追記
痴呆徘徊の先輩として一言蠟燭を消さなかったとゆうことを思い出されているのですから大丈夫です。
オヤジなどは今朝お詣りしたかどうか覚えていないのですから本物です。
こにゃにゃちわ。先週からの雨で、おばはん、絶不調でございます。
おまけにお年頃なので、尚更。。。
お寺というか、維新時代の歴史めぐりという脚本逍遥は
すばらしい!!
司馬遼太郎大ファンのおばはんとしては、本にあった。。
と思いながら、かおりはんの講義を受けました。
8月という気分でない今年。。
あっという間に秋が来そうです。
おばはんの夏は、夏は。。無いではないか!!
火事にならなくて良かったですね。
じゅうううううぶ~~~~ん気を付けて下さいね。
おばはんも、携帯、財布をあちこちで忘れます。
京都駅で預かってるっていうのはザラでございます。
ほな、外出するときは、気を付けて、玄関にチェックメモ書いておいてください。
じゃあ~ね~ アロハ~
八重の桜は観ていました。
綾瀬はるかさんの演技にも涙出ました。
私も台所のガスの火消し忘れで、お鍋真っ黒になったこと、あります。
以来出かけるときは
声に出して2度、3度と消火確認しています。
かおりさん、こんばんは。
真如堂や金戒光明寺… 私も数年前(もう10年くらい前かな?)、その辺りを散策しました。金戒光明寺は山門が工事中でほっかむりしてました。 京都は歴史に残る様々な場所があって、興味が尽きませんね。 なかなかゆっくり訪れることもできないので、懐かしく拝見しました。
先日、脚立から足を滑らして転落、左の肋骨を強打して難儀してます。 仕事は何とか通勤してますが、サラシのような簡易コルセットを巻いて、まだ痛くて動きが鈍いです。 だんだん無理がきかなくなってきたようです〜(悲)
自分の大ポカを曝け出すようなブログに相成り掲載するべきかと大いに迷いました。
幸い大事には至りませんでしたが火の扱いだけは
心して気をつけなくてはと猛反省どす。
会津墓地のある黒谷さんは一度お参りしたかったので
今回初めての訪問でした。
苔むした墓標に会津の文字が読み取れます。
お盆だというのにお天気とコロナ禍も影響してるのでしょう静まり返る墓所に
強かったがゆえに 義理が堅かったがゆえに 優しかったがゆえに滅び去った会津
遠く離れた異郷に会津藩士の無念さに伝わって参ります。
クリヤ谷から笠ヶ岳拝見しました。笠は登っていませんがロングコースの笠新道は
登るだけでも大変なコースですが草刈なき藪状態のクリア谷遡上の難コースを選択され
途中でビバーク余儀なくされての登攀は驚きです。
洛西オヤジさんならではの難コースで笠ヵ岳制覇
ハラハラしながら楽しませて頂きました
甲子園はどうなるんだろうと
心配しますよ
かおりさんの、歴史講義
楽しく拝見いたしました、
懐かしいような、京のお寺です
お線香の下りでは
私も気を付けねば
おやかん、おなべ
消したか点検気をつけます
どれだけ降れば気が済むのでしょうかね
予報を見ると延々と雨と傘マーク続きます。
おばはんの大好きな金鳥と真夏の季節だというのに・・・まぁ~おばはんのことやから
少々の雨なら登っていられるのではと思いますが・・・
又また音を立てて降ってきました。もううんざりどす~ もう夏が消えてしまったかのようどす
かおりはんも火のとり扱いだけはくれぐれも気をつけたいと思います。
まぁ~明日になればこれも忘れてるかもどす
勝てば官軍負ければ賊軍とありますが京都の治安と天皇の命を守り命懸けで守った会津藩士
薩長が実権を握ると一夜にして朝敵、賊軍にされる汚名にやむなく戦った会津の藩士達の御霊に合掌です。
日本の歴史を読んでるとこんなくだりがあります。江戸治安攪乱工作のため西郷さんは相楽総三の赤報隊をさんざん利用します。新政府から
民衆に租税半減の命令を手に入れ官軍の先鋒部隊として赤報隊は各地で大歓迎を受けます。
ところが新政府は軍資金と政費等で財政難になり
租税半減ができなくなると赤報隊に「にせ官軍」の汚名をかぶせ処罰します。
ご一新は勢力をかため、広げていく一段階ごとに万民を振り捨て政府の一新に止まるばかりで
万民のための一新は容易に実現されず
「夜明け前」の主人公青山半蔵がつぶやきます
「夜はまだ暗い」と
今も昔も権力側の嘘は変わらないですね
大河ドラマでは渋沢栄一が幕末動乱期から維新政府
に移行中で・・レポ興味深く拝読しました。
京は歴史散策に事欠かないですね。
お墓参りでもロウソクの消し忘れよくありますよ。
風呂の空焚きとか とにかくその場を離れて
違うことをしているとポカをやりますね😢
今回大きなポカをやらかすところでしたが何事もなくホッでした。
うっかりでは事があれば済まされませんね下手すれば何もかも無にしてしまうところで猛省どす。
味噌汁を温めていて消し忘れも度々どす。
外出の時錠をかけたかと必ず2度確認しますが火の始末は3度確認して念には念を入れなくてはダメですね。
以前から黒谷さんの名で知られる金戒光明寺に
会津藩の墓地があるのは知っていましたが
何故ここに~が疑問でした。明治維新と云う大きな時代の流れの中で
いつも犠牲を強いられるのは名もなき藩士や市井の人々です。
会津戦争では会津の武士道に殉ずる道を選び多くの悲劇が生まれます。
婦女子や子供まで戦い自決し、その数自刃は140家族239名。
「義に死すとも不義には生きず」合掌
京都は明治維新まで都が置かれていたので王政復古の舞台になった二条城や
新選組の屯所があつた壬生寺など歴史と絡んでひとつひとつ訪ねてみると興味は尽きませんネ
長引く大雨と再び緊急事態発令でお寺さんも訪ねる人なく閑散としています。
脚立から転落ですか痛かったでしょう。
私も脚立に乗るときはガタしないよう気をつけながら運動靴に履き替えて作業します。
くれぐれもお互い無理は禁物ですね。
どうぞお大事に~